第6話 ぱぱ、いってらっしゃい。

 ゴウンゴウンと音を立てて回る洗濯機を前にして、コインランドリー内で僕と向井先生は丸椅子に腰かけ談笑する。幼稚園で会う時とはやっぱりどこか雰囲気が違う感じがする向井先生は、いつも以上に気さくに、楽し気に話を続けてくれた。


「あー、確かに、室内干しってどうしても臭いますよね。私も幼稚園終わった後に家事する時間なくて、最近だと全部ここで終わらせちゃってますよ」

「全部ですか? 結構高くありません?」

「一回で済ませるように沢山詰め込めば、一週間に二回とかで済むので、結果的にリーズナブルかなって。自分が動いた時の時給換算すると、多分こっちの方がお得だったりします。あ、もちろん沢山の替えが必要になりますけどね」


 そんなものかと思いながらも、確かにそうかもと納得する自分がいた。

 一回の洗濯にかかる手間暇は、思っていた以上に掛かる。

 洗濯機を回し、取り出して干し、取り込んでたたみ、収納する。 

 コインランドリーに行けば、その手順の中間二回が短縮されるのだ。

 僕の時給として計算すると、確かに結果的にはお得なのかも。


「他にも、私ここでのんびりする時間が好きなんです。たまに人が来ますけど、私みたいに長居する人なんてほとんどいないですし。今回は高野崎さんが来て、思わず話し掛けちゃいましたけど」

「す、すいません、お邪魔してしまって」


 向井先生は笑顔のまま「いいえ」と首を横に振ってくれた。

 

「菜穂ちゃんのこと、私も気になってましたし。でも、いまここに高野崎さんがいるという事は、あの後は大丈夫だったって事ですよね」

「そうですね、寝ないかもって言われてちょっとドキドキもしたのですが、思っていた以上にあっさりと寝てくれまして。いまは、ウサギのぬいぐるみを抱きしめながら、ぐっすりと眠ってくれています」

「えー、そんな可愛い状態で寝るんですか? 私も見てみたいなぁ」

「あはは……あ、先生の乾燥機、止まったみたいですね」


 コインランドリーで稼働していたのは、僕の他に一台しか存在しない。ずっと相手してくれたお礼がしたいなと思い、一人立ち上がりピピピと鳴動していた乾燥機の前へと移動する。

 

「何か出来る事があれば手伝いますよ、実はコインランドリーって初めてでして」

「え、あ、ちょ、ちょっと」

「大丈夫です、タオル畳むのとかは得意でしたから」


 かぱっと蓋を開けた所で、僕は自分が何をしているのかを自覚する事に。

 タオルやバスタオルの他に、色鮮やかなTシャツやズボン、多数の洗濯ネット。

 二週間分、しかも女性ものの洋服ばかりが入れられていた乾燥機を勝手に開けるなど、言語道断も良い所だ。


「ご、ごめんなさい! すいません、何も考えずに行動してしまいました!」

「あ、あはは、あ、いや、大丈夫です、大したもの入ってませんから」

「本当に、本当に申し訳ない!」


 下げた頭を上げられないままでいると、向井先生は一人乾燥機から山の様な洗濯物を取り出すと「じゃあ」と言いながら、僕の前にいくつかの洗濯物を置きながら「これ、手伝って下さい」と声を掛けてくれた。


 目の前におかれたのは、畳みやすいタオル系、それに普段先生が着用しているジャージなんかが置かれていて。


「す、直ぐに取り掛かります」

「ふふっ、そんなに力まなくても大丈夫ですよ」

「いえ、そんな、色々とお世話になっているのに、恩をあだで返すような真似をしてしまい、ほんとに」

「だから、平気ですって。私も独身ですし、誰に見せるモノでもないですし」


 向井先生は本当に気にしてないといった感じで、鼻歌を歌いながら自分の洗濯物を畳み始める。

 本当に大丈夫なのか? 疑問符を頭に残しながらも、あてがわれた分はきちんとこなそうとタオルを手に取り、僕も畳み始めた。


 一枚一枚に、なぜか緊張してしまう。

 人の家の洗濯物を畳むことなんて、生まれてこの方したことが無い。

 無いのが普通だろう、しかも異性の洗濯物とあっては更に確率は下がる。

 緊張は当然かと思いながら無言で畳んでいると、向井先生の方から話しかけてくれた。


「ほんとにね、笑えないくらいに出会いってないんです。私の先輩に神崎さんって人がいるんですけど、もう二十八歳なのに彼氏もいないんですよ? 男のお友達だっていないですし、そもそも幼稚園の先生っていうジャンル自体が人気ないのかな? スチュワーデスとか、キャリアウーマンだったら合コンとかお誘いありそうですけど、一切何もないんです。誘われたとしても、行く時間なんてないんですけどね」


 苦笑しながら、向井先生はひょいひょいと洗濯物を畳んでいく。

 手慣れた感じだ。

 きっと結婚しても、向井先生なら同じように旦那や子供さんの洗濯物を畳むのであろう。

 絨毯の上に座りながら、鼻歌と共に洗濯物を畳む向井先生を想像しながら、僕は思いを吐露する。


「とても、魅力的な女性だと、僕は思います」

「……え?」

「向井先生は子供たち一人一人に、きちんと向き合って接してくれていています。菜穂も向井先生のことが大好きだって言ってました。とてもありがたい事だと僕は思いますし、そんな仕事をしている皆さんを人気のないジャンルなんて分類するのには、ちょっと抵抗があるって言うか。すいません、寡夫の戯言だと思って聞き流してください」

 

 苦笑しながらも、語る内容に向井先生は耳を傾けてくれていた。

 まだ離婚して直ぐなのだから、僕が人を好きになるのは早すぎる。

 あり得ないことと言っていい、それは間違いなく、相手にとっても失礼な事だ。


「高野崎さん……」

「向井先生、僕は」

「あ、いえ、違います。その……ごめんなさい、手にしているのを返して頂ければと思いまして……」


 無意識に僕が手にしてしまっていたもの。

 それは、白いガーゼの様な洗濯ネットに入れられていた、向井先生の下着類であった。

 ファスナーが閉じられているとはいい、洗濯ネットは中身がほとんど透けて見える。

 白いレースのついた下着や、思った以上に大きい赤いブラジャーが目に飛び込んできて。


「――――! す、すいません! 何度も何度も本当に!」

「あ、あははは……いえ、ちゃんと見ないで渡してしまった私の責任ですし、そもそも菜穂ちゃんのお父さんに任せること自体が間違っているというか。ですから、そんな、土下座なんてしないで下さい! 私気にしてませんから、大丈夫ですから! あ、頭打ち付けちゃダメですって! 高野崎さん、私大丈夫ですからー!」



 もはや会話内容のほとんどが謝罪だった気がする。

 色々と気さくにお話ししてくれたから、調子に乗ったのかもしれない。

 思えば、先生と父兄の間柄なんだから、そりゃ会話するよね。

 僕の方が気を使ってあげなきゃいけなかったのに……バカだなぁ。

 

 げんなりと一人反省会をしていると、ピピピと僕の洗濯機も終わりを告げる電子音が鳴り響いた。

 扉を開けて中に手を入れるだけで、結構な熱さが伝わってくる。 

 生乾きだったワイシャツを手に取ると、臭いもなく、物凄いぽかぽかだった。


「家に帰ってアイロンかけて、とっとと寝ないとだな」


 そういえば、向井先生も明日仕事なのに、こんな遅くまでコインランドリーにいたのか。

 時間を見ると二十三時を回っている……大変なんだな、幼稚園の先生も。


 幼稚園の時はエプロン姿だから気づかなかったけど。

 向井先生の下着、結構大きかったな。

 

 ……いけない、変な妄想とかダメだろ。

 早く帰らないと。


 翌朝。


「お、おはようございます、向井先生」

「おはようございます、高野崎さん」

 

 申し訳ない気持ちのせいか、眩しすぎる向井先生の顔が見れない。

 いつも通りにしないといけないのに、無駄に緊張し俯いてしまう。

 

「(……おでこ、大丈夫でした?)」


 突然の耳打ちに、僕はパッと顔を上げた。

 女神のような笑顔で微笑む向井先生は、僕のおでこを見て更に目を細める。


「傷にならなくて良かったです。さぁ菜穂ちゃん、今日もみんなと一緒に楽しい一日にしようね!」

「なほ! ようちえんしゅき!」

「あはは、うんうん、先生も元気な菜穂ちゃんが大好きだよー! あ、ほら菜穂ちゃん、パパにいってらっしゃいしてあげよっか。ほら、いってらっしゃーい」

「ぱぱ、いてらしゃいまてー!」


 しゃがみながら菜穂と一緒に手を振る向井先生は、やっぱり幼稚園の先生なんだ。

 たくさんの元気を分けて貰った僕は「いってきます」と二人に告げて、自転車を漕ぎ始める。

 今日を頑張れば明日はお休みだし、なんだか活力でいっぱいだ。

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