第3話 シングルファザーになった、あの人。(向井祥子視点)

 幼稚園に通う園児の両親が離婚する事は、別に珍しい事じゃない。

 離婚が原因で転園する子だって私は見てきたし、そこは割り切らないとって思ってる。

 

 あんなに仲の良さそうなご夫婦が? なんてのもしょっちゅうだ。

 人間、裏では何をしているのか分からないもの。

 裏切る人間ほど、笑顔が上手なものだ。


「それじゃ、菜穂ちゃんもお部屋に行こっか」

「ねぇねぇ、しょーこてんてい、ぱぱはすぐにかえってくう?」


 正門からすぐに見えなくなってしまった高野崎さんを見送っていると、菜穂ちゃんからこんな質問が飛んできた。


 ほんの一か月前までは母親である江菜子さんが一緒に来ていたけど、菜穂ちゃんからこんな質問飛んできたことは一度もない。

 お父さんが一緒に来るようになってからは、逆に毎日の様に菜穂ちゃんは質問してくる。

 これだけで、あの夫婦の実情が見えてきてしまうというものだ。


「うーん、今行ったばかりだからなぁ。すぐはどうかなぁ?」

「やら、なほ、ぱぱといっしょあいい!」

「うん、そうだね。じゃあ菜穂ちゃん。そんな大好きなパパが喜ぶように、菜穂ちゃんも一緒に文字数遊びしよっか。菜穂ちゃんが文字を読めたら、きっとパパも喜んでくれるよ?」

「ぱぱ、よおこぶ?」

「うん、ぱぱ、喜んで泣いちゃうかも?」

「わあった! なほ、もいかうあそびする!」


 しっかりと握った手に力を込めて、菜穂ちゃんはお部屋へとのしのし歩き始めた。

 お部屋に入るなり皆に挨拶して、笑顔になって友達の輪の中に消えていく。


 あまり大きな声では言えないけど、あの夫婦はきっと離婚した方が良かったんだ。

 高野崎さんの奥さん、江菜子さんは幼稚園でも有名な存在だった。

 

 挨拶はしないのは当たり前、遅刻しても菜穂ちゃんを園庭に放置して自分はいなくなる。

 菜穂ちゃんの歯ブラシセットはいつも汚れていて、園服だって泥が残ったまま。

 髪型も三つ編みにはしてるけど、洗っていないのかフケが凄かったり。

 

 離婚したって聞いた時は、何故だか少しだけスッキリしてしまったものだ。

 親権も旦那さんである俊介さんが取ったみたいだし、菜穂ちゃんもこれで安心かなって。

 

 だけど、元々家事をあまりしてこなかった人なのかなって。最近感じる。

 ウチの幼稚園はお弁当持参だから、毎日作らないといけない。

 お昼の時間に菜穂ちゃんのお弁当を覗き見ると、大体が冷凍食品かコンビニ総菜。


 別に冷凍食品を使ってるお弁当なんて珍しくもないけど、一から十までそんな感じなのだ。

 作り置きしたお浸しとか、そういった類のものが何もない。

 今朝の髪の毛もそうだけど……でもまぁ、出来ないか、普通。

 

「向井先生」

「神崎先生、あ、すいません、出欠連絡がまだでした。竹組、高野崎菜穂ちゃんも登園して、全員出席確認完了です」

 

 「それは良かった」と言いながら、神崎先生はお部屋の引き戸を閉める。

 神崎先生は私よりも三年ほど長く楓原幼稚園で務めている、いわば先輩だ。


 長い髪を一つにまとめて、まるで就活中の女子みたいに笑顔を張り着かせている。

 能面みたいで、ちょっと怖い。

 それが原因かは知らないけど、アラサーにして独身、頼りになる姉さんだ。


「菜穂ちゃん、お母さんが居なくなったばかりだから、私達としてもちょっと気にしてたのだけど……。どうやら、大丈夫そうね」

「ええ、むしろ以前よりも元気になったみたいです。やっぱり、お母さんが問題だったのかなって思います」

「あまり悪く言ってはいけないのだけど、問題の多いお母さんだったからね。でも、お父さん一人になってしまった以上、これまで通りにはいかないのでしょうけど。幼稚園としてもお手伝いしてあげたい所だけど……特別扱いには出来ないからね。私達との関係はあくまでお客様であること、向井先生も一線を越えない様にね」


 一線を越えない様に、か。

 幼稚園で働いて分かった事だけど、本当に笑えないくらい出会いが少ない。

 毎日朝早くから夜遅くまで仕事して、休みの日も勉強に研修会。


 幼稚園に来るお父さんは、言わずもがな妻帯者さんであり、手出し厳禁。

 幼稚園の先生とお父さんが不倫……なんてなったら、一発で幼稚園ごと吹き飛ぶ。


 私も神崎先生の様に、もれなく独身貴族……独身令嬢? の仲間入りするのだろうなって思っているのだけど。


 菜穂ちゃんのお父さんと、か。

 あの人は確かに優しそうだし、子供からもこんなにも好かれている。

 私よりも身長が高いから、百七十五センチくらい……かな?

 ルックスも良いし、服装的に無駄遣いもしてなさそう。


 必然的にバツイチな訳だけど、個人的にそれはあまり気にならない。

 菜穂ちゃんも良い子だし、一緒に育てるとしたら色々な所に連れていったりとか。


「向井先生?」

「え? あ、あはは、すいません、ちょっとぼーっと考えごとを」

「そうですか、そろそろ時間ですから、後はお任せしますからね」


 ううう、神崎先生が変なこと言うから、無駄に意識しちゃったじゃないですか。

 でも、あんな派手な奥さんが趣味だとしたら、地味子ちゃんな私は論外かな?

 って、いい加減スイッチ切り替えないと。よし、今日も一日頑張るぞ!

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