第八話、スキルの真価。

「──ん、んん」


 目蓋の裏に窓から差し込む光を感じて目を開け、上体を起こす。寝起きで少し頭がぼーっとしているが、やるべき事を思い出して目が冴えてくる。


「⋯⋯準備をしないとな」


 今日は寮を退去する日、長年住まわせてもらったこの部屋とお別れの日だ。そう思うと少しだけ悲しくなったので、思い出を振り返ろうとした。


「よくよく考えると、何も思い出がないな」


 寝泊まりだけにしか使っていなかったので、思い出もクソもない。そう思うと、この部屋が灰色に見えてくるから不思議である。


「……起きるか」


 悲しくなってきたので、着替えをしてから荷物を準備することにした。俺の荷物は着替え程度のものですぐに荷造りは終わってしまう。宿は昨日の時点で契約しておいたし、後は荷物を運ぶだけ。


 ──そういえば、あそこに剣を置いてきたままだな。


 荷物の中に剣が無かったことで、昨日のことが頭の中に浮かんでくる。帰ってくる時、俺は剣を置いてきてしまった。


 刀身が無くなっているのでもう使い物にはならないが、俺があの草原を焼いたことがバレるかもしれない。あの剣にはラベルが貼ってある、調べれば俺の物だとわかるはずだ。


 ……一度取りに行くべきか?


 俺の能力は昨日『アトラリット』で見せてしまった。そう考えると、シータと喧嘩をしてしまったのは失敗だったかもしれない。今の俺は後ろ盾が何もない。だから、能力がバレるとまずいのだと落ち着いてから気がついたのだ。


 昨日の俺は、能力が覚醒したことで気分が浮ついていた。これからは気を引き締めないといけないな。俺だけでなくアメリにも迷惑が及ぶ可能性があることを念頭に置かないと。


「⋯⋯そろそろ出るか」


 これ以上考えるとまた時間が経ってしまうので、考えもそこそこに俺は部屋から廊下へと出る。そして、しっかりと鍵を閉めた。


「これでよし……と。今までありがとうございました」


 そして、俺は部屋に別れを告げる。ここにはもう戻ってくることはない。


 今から俺は宿へと向かう。ここからが俺の旅の始まり。そこにようやく立ったのだと思うと、身体が震えてくる。


 昨日、シータと戦ったことで色々とスキルの応用も思いついたことがある。それを早く試したくてうずうずしてきた。


「──いざ行かん、果ての旅路に」


 気分が昂ってしまい、好きな本の一節が口から出てしまった。その姿を廊下を通った人に見られてしまったので、俺は恥ずかしくなり、その場から逃げるように寮から飛び出した。







「すみませーん、どいてくださーい!」


「はいよ、すまんな」


 後ろから男の声が聞こえてきたので、俺は道の端までずれて男を先に行かせてあげる。そうすると、男が頭を下げながら横を通って行った。


 俺は今、少し細くなった道を歩いていた。大通りを使うよりも、こちらの方が早く目的地に着くことを俺は知っている。しかし、少し難点があるとするならばこの道は運び屋がよく通るということだった。


 さっきから横を何人もが忙しなく通っていくのを見ている。鞄を抱えているところを見るに、手紙の配達や乳の配達をしている人達だと思う。


 そんな中、荷物を片手に歩く俺はこの場で浮いていた。見る人が見れば夜逃げをしてきた男にでも見えるかもしれない。事情が知っている奴が見れば追い出されたように見えるに違いなかった。


「──ん? あそこにいるの⋯⋯アメリか?」


 居心地が悪さを感じている最中、目の前をアメリが歩いてきているのが見えた。足取りが少しふらふらしているのが若干気になる。俺は駆け足でそっちへと向かった。


「おーい、アメリおはよう!」


「んん……リッドさんですかぁ? おはようございます」


 俺が挨拶をすると、彼女は寝ぼけまなこを擦りながら挨拶をしてきた。この姿から察するに、どうやら彼女は朝が弱いらしい。


「今から仕事か?」


「はい……ふわぁ……」


 俺の問いに、彼女は頷いてから大きな欠伸をした。本当に眠たそうなその姿に、俺は彼女がギルドで成績が悪い理由を見た。


 冒険者になる奴は寝起きが強い奴が大半だ。常に意識を張り巡らせているからそういう体質へと変わっていくのだと思う。それと比べるとアメリはどうも緊張感が足りないように思えた。


「んむ、リッドさんどうしましたぁ……?」


「⋯⋯いや、なんでもない」


 俺はアメリから視線を逸らす。女性のこういう姿をまじまじと見るのは些か気まずい。


「リッドさんはギルドに行かないんですかぁ?」


「宿に荷物を置いてから行こうと思っている。そうだ、アメリ今日から同じ宿だしよろしくな」


 その言葉に半分閉じかけていたアメリの目が急にぱっちりと開く。さっきまでの寝ぼけていた姿が見間違いと思える程の切り替えは近くにいる俺でなきゃ見逃しているだろう。


「そうでした! リッドさん、よろしくお願いします!」


「⋯⋯お、おう」


 急な態度の変わりように、俺は面を喰らってしまった。


 ──切り替え早いな、おい。


「⋯⋯これが若さか」


「どうかしましたか?」


 多分、自分の姿がどう見られているのか知らずに、アメリはきょとんとした顔で首を傾げた。それを見て俺は「なんでもない」と返した。


「じゃあ、私は先にギルドへ行ってますね!」


 そう言って、アメリは小走りでギルドの方へと行ってしまった。それを見送って俺は一言ぽつりと漏らす。


「若いっていいなぁ……」


 アメリを見ていると眩しく見える。まったく、歳は取りたくないもんだ。歳を戻せるなんて都合のいいアイテムは聞いたことすらないし、旅をするのにも不安が残りそうだ。


「──悩んでても仕方ないか」


 俺はそう割り切ることにして、宿へと歩き始めた。





「……やっぱりぼろいな」


 自分の泊まる宿を見て、抱いた感想がこれだ。昨日は暗くて隅々までは見えなかったが朝となると酷さが一段と増してみえる。


 その店は、廃屋だと言われても遜色ないくらいのぼろさだった。壁にところどころ穴も開いているし、蜘蛛の巣も張りっぱなしになっている。どう見ても手入れがされていない。


「本当に宿なのか?」


 昨日予約をしたはずなのに、何故だか不安になってくる。俺は屋根を見上げると、そこには大きな看板があり、『月夜の星々』と書かれていた。看板があるということは店で間違いない。


 その看板ももう色褪せていた。築50年という年期が窺えるその店構えを見て、俺の脳裏には後悔という二文字が浮かんできた。


「でも、前金も払ってしまったし……しばらくはここにいるしかないか……」


 そのうちアメリを連れて違う宿を取ろうと画策しながら、俺は宿の扉をくぐる。すると、声が掛かる。


「いらっしゃい」


 声のした方へと視線を向けると、そこには80をゆうに超えていそうな老婆が、カウンターに一人座っていた。その人は昨日俺が予約を取ったときもそこに座っていた。


 俺はカウンターへと歩み寄り「昨日予約したリッドナーという者だが」と言うと、老婆は無言で頷き、カウンターの下から木製の鍵を手渡してきた。


「はい、104番室ね」


「わかった」


 俺は頷き、それを手に取って自分の部屋へと向かうことにした。


「……うわ、酷いなこれは」


 ギィ……と音のするくらいに錆びた蝶番に苦労しながら扉を開けると、そこには埃を被った部屋が待っていた。


 もしかすると、この宿はあの老婆一人で切り盛りしているのかもしれない。それで手が回っていないだと思った。


「⋯⋯まぁ、寝泊まり出来るだけマシと考えるか」


 俺は備え付けられていた机の上に荷物を置き、ベッドの上に座る。その衝撃で埃が立ち、思わずむせてしまった。


「ごほっ、ごほっ……掃除が先かな、これは……」


 なんで宿に来てまで掃除が必要なんだ⋯⋯と考えたが、これはある意味でスキルを試すチャンスだと思うことにした。


「よし、やってみるか……ステータスオープン!」


 そして、俺はステータスプレートを出した。そういえば、昨日レベルが上がったことを思い出し一応確認しておく。


 今の俺のレベルは3になっていた。でも上昇したパラメーターは微々たるものだし、特に特筆すべきものはない。


 今はそんなことよりも、大事なことがある。俺は、ラベルに文字を書いていく。そこに書くのは『清掃』。王城のメイドが持つ必須技能だ。


「よし、いくぞ……」


 俺は自分のスキルの欄にラベルを押し付ける。これは本来なら無理なことだ。魔法的な何かで出来ているステータスプレートは触ることも出来ないはずだった。


 しかし、俺のラベルは何にでも貼れる。更にその書いた物の効果を……


 ラベルがスキル欄に貼りつく。まずは第一段階はクリア。


 しかし、俺の身体に変化は訪れない。でも、これは『エクスカリバー』の時と同じで、表面上ではわからないことなのだと思うことにした。


 ──ラベルが貼りついたということは必ず効果が出ているはずだ。


 俺はそう思い、シーツを持って窓の外で叩いてみた。その瞬間、大量の埃がシーツから飛び出ていくのを見て、俺はあんぐりと口を大きく開けてしまった。


 手に持ったシーツを、撫でてみる。すると、埃が全部無くなってしまったかのようなさっぱりとした触り心地になっていた。


「やっぱり、出来るんだな……」


 思った通りに実験は成功した。俺は心の中でほくそ笑む。これなら、色々なスキルの組み合わせだって出来そうだ。


 俺は、頭の中で色々なパターンを考えながら掃除を終わらせていくのであった。

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