第五話、喧嘩。

「どうだ、ここの料理はうまいだろ!」


「本当に、おいしいです……」


 アメリはうっとりとした顔をして、パンをシチューに浸しながら食べている。ここのパンは他の店と違い、薄切りにした後、更に表面を焼いてカリッとさせてあった。それが、トロっととろけるシチューに浸しても柔らかくなりすぎず、程よい食感を歯に与えてくれる。


 前に店長に聞いた時に、色々なこだわりを言っていたが大半は忘れてしまった。正直、理論には興味ない。美味しければなんでもいい。


「よかった、気にいってくれたようで」


 俺は豚肉のステーキを一切れ食べ、口の中に残った塩味と脂っぽさをシードルで一気に洗い流した。豚肉の生臭い感じがリンゴの香りで上書きされていく。


「くぅっ、やっぱり豚肉にはワインよりシードルだな……」


「ふふ、おじさんっぽい」


 俺の食べ方を見てアメリは笑っていた。いや、まぁおっさんだからその感想に対してなにも否定できないのだが。


 しかし、アメリもこの空気に慣れてきたみたいでよかった。これなら、また機会があったら連れてきても……いや、俺はもうギルドから去る身だったな。


 そう思うと心の中に少し寂しさを覚える。せっかく縁が出来たのにこれで終わりだなんて思いたくなかった。


 もう少し俺が若ければ……アメリと一緒に冒険に出たりしていたのだろうか? もしそうなら、なんて楽しそうなんだろう……


「──あー腹減った。ラルフ、何頼むよ?」


「なんでもいいだろ、腹が膨らめば」


「お前、いっつもそうな!」


 幸せな想像をしていると、よく聞いた声が耳に入ってくる。その声に、俺の意識はは現実へと引き戻されてしまった。入り口を見ると、今一番会いたくない人物が立っていた。


 シータとラルフ、あの二人がこの店に食べに來るだなんて想像もしていなかった。俺は急いで入り口から顔を背ける。せっかく楽しくなってきていたこの食事会を邪魔されたくなかった。二人にバレたら壊されるのは目に見えている。


「リッドさん?」


 アメリは不思そうに俺の名前を呼んでしまった。急いで、俺は彼女に口止めの合図を送る。しかし、それは遅かったようだ。


「──リッド?」


 シータがこっちに目を向けるのがわかった。入り口から近いところに席を取ってしまったのは運が悪く、俺は彼と目を合わせてしまった。俺を見た彼の顔が、嘲笑混じりに歪んでいく。


「シータ、こんな所で会うなんて奇遇だな」


 目が合ってしまったからには無視するわけにはいかず、挨拶だけしておいた。素直に食事に行ってくれれば御の字なんだけども、そうはいかなそうだ。


「なんだ、おっさんかよ! ギルドから出ていく身分でよく冒険者の店に来れたよな! その面の皮の厚さ、尊敬するぜ!」


 やはり、シータは俺を嘲笑ってくる。こいつはいつも、どんな場所でだって態度を変えることはない。やっぱりか、という愕然とした気持ちが胸の中を満たしていき、一気に心が冷えていくのを感じた。


「シータやめておけ、流石に場所が悪い。ギルドの恥を晒すことになる」


「いやいや、あのおっさんを囲っていたってだけで十分ギルドの恥だから」


 ラルフがシータをたしなめるが全く聞きもしない。しかし、よくここまで俺を煽る言葉が出てくるな、逆に感心を覚えるくらいだ。


「あの、大丈夫ですか?」


 アメリは心配そうな顔でこちらを見てくる。それを俺は「大丈夫」と笑いの顔を作って返した。今の俺はちゃんと笑顔を作れているのかはわからない。


「というか、おっさん、アメリ連れてるじゃねぇか。成績最下位二人組が仲良くご飯ってか。お似合いだぜ! 次に出ていくのはアメリか? 倉庫番が似合う女になるかもな!」


 シータの言葉にアメリはショックを受けた顔をした。その目には涙が浮かび始めている。こんな純粋な彼女の心を……こいつは、踏みにじった。


「おい、シータ。おま──」


「シータ!!! いい加減にしろ!!!」


 ラルフの言葉を遮って、俺は怒声を上げていた。興奮しているのか、身体が熱くなっていく。こんなに怒りを感じたのは久々のことだった。


「別に俺をどう言われたって構わない! でもな、アメリを悪く言うな!!!」


 俺が見せる初めての怒りにシータは少し怯んだような顔を見せる。しかしすぐにいつもの不敵な笑みへと戻っていく。


「お、喧嘩か!?」


「やれやれ!!!」


「賭けしようぜ! 俺はシータに賭ける!」


「あのおっさん何者だ?」


「なんでも、スカイディアの倉庫担当だとよ」


「じゃあ、賭けにすらなんねぇじゃねぇか!」


 周りは俺とシータが喧嘩をすることを期待していた。別に俺はそんなつもりはない。しかし、あちらは指を鳴らし、やる気満々だった。


「おっさん、こいつらは俺とアンタの喧嘩を望んでるっぽいぜ! 今更逃げはしないよなぁ!?」


「シータお前な……」


 ラルフは呆れているだけで止めることはしない。なら、もうシータとやり合うしかない。奴の強さは俺がよく知っている。こいつはこんなんでもスカイディアのエースだ。討伐数はいつもギルドで一番の成績を残してきている。


 前の俺なら間違いなくこいつに勝ち目は無かっただろう。だけど、俺には今、戦う術がある。


「リッドさん、やめて! 私は大丈夫だから!」


 後ろからアメリが懇願してきている。それがなぜか遠くから聞こえているように感じられた。今はシータの動きに集中していたい。


「すまないアメリ。俺にだって譲れないものがあるんだ」


 アメリの制止を俺は振り切り立ち上がり、懐からラベルを取りだす。頭の中で、スキルの条件を思い出す。


 何にでも貼れる、この意味が最初は理解出来なかったが、『エクスカリバー』を見た今ならわかる。本当に何にでも貼れるとしたらこういう使い方が出来るはずだ。


「ははっ、ラベルを出してどうするんだ!? 俺にラベルでも貼るつもりかよ!」


「⋯⋯ああ、そうだ」


 俺はシータの挑発を聞きながら、ラベルに文字を書いていく。貼り付けた物はラベルに書いた文字の効果を得る。なら、書くものはこれだ。


「シータ、やめておけ。お前じゃ俺には勝てない」


 文字を書きながらシータを煽る。俺の力を知らないこいつは、一撃で倒す為に真っすぐ突っ込んでくる。それはもう読みですらない──確定事項だ。


「は? 血迷ったかよ。あんたが俺に勝てるわけないだろ!?」


 シータの顔が怒りに歪んでいく。その間に、ラベルに文字を書き終えることが出来た。そのラベルを俺はシータへと突き出してこう言った。


「かかってこい、シータ」


「なめるなぁ!!!」


 俺の言葉にブチギレたシータは、目にも止まらないスピードで俺の方に突っ込んでくる。それを見て俺は……にラベルを貼った。思った通り、何もない空中にラベルが浮かぶ。


 書いた文字は『障壁』。それは俺とシータの間に壁を作り出した。


「ぶげぇあ!!!」


 シータは、ドゴォオオオン!!! という凄まじい衝撃音と共に壁にぶつかり、その場に崩れ落ちた。見えない壁に突っ込んだのだ、意識の外からのダメージは思ったより痛いに違いない。


「な、なんだ……これは……?」


 シータは目の前にある空気の壁に手をついて困惑している。それを見て俺は『障壁』のラベルを剥がし、用意した二枚をシータの上着とズボンに貼り付ける。その文字は『粘着』。


「これで終わりだ」


「……なんだこれ……動けねぇ」


 シータはもう動くことが出来ないだろう、今はもう『粘着』の効果で完全に床にくっついてしまっている。現に、とりもちに引っかかったネズミのようにジタバタともがくことしか出来ていない。


「シータ、どうした!?」


 何が起きたのかわからずに、ラルフは困惑した声を上げた。相棒がいつの間にか地面に沈んでいるのだ。困惑するのも当然のこと。


 気が付けば周りの喧騒は静まり返っていた。この異常な光景に皆、息を飲んでいるようだ。


「……くそっ、おっさん何やった!?」


だけだ。お前の言った通りにな」


 俺は鼻でふん、と笑ってやった。俺の態度にシータは歯ぎしりをする、よっぽど俺に煮え湯を飲まされたのが屈辱なのだろう。


「さあ、どうする? 負けを認めるか?」


「く、くそっ……誰が」


 シータは頑として負けを認めずに立ち上がろうとする。しかし、立ち上がれるはずもない。それほどまでに粘着は強力だった。


 さて、こいつには色々と恨みがあるし、ここで痛い目にあってもらうのもいいかもしれない。今ならやりたい放題だしな。


「あ、あのリッドさん……」


 そんな事を考えている俺の耳に、アメリの声が聞こえてくる。俺が振り返ると彼女の目には涙が浮かんでいた。その目には俺がどんな姿で見えているのだろうか。


「もうやめてあげてください……もういいですから、ギルドの仲間でこんなことするのはおかしいですよ……」


 その涙混じりの言葉に、俺はハッとさせられる。そうだ、こんな子供のような仕返しをする為に俺は強くなろうと思ったんじゃない。


 心が急速に冷えていく。どうやら怒りで目が曇ってしまっていたようだ。今では、はっきりとするべきことが見える。


「あー……アメリ、すまない。君のお陰で目が覚めた」


 俺は居心地が悪くなり、頭を掻いてごまかす。すると、彼女はぎこちない笑顔を浮かべてくれた。どうやら許してくれるみたいで俺は一安心する。


 俺は床にくっついたままのシータを開放するため、二枚のラベルを剥がした。シータはラベルが剥がれた瞬間、一跳びで俺から距離を取り、自分の身体を確認していた。


「俺はもう帰るから。これ以上絡んでくるなよ」


 俺はシータに注意をしつつ、店のレジに金を置いた。いつもの金額より少し多めに置いておく。これは店に対する詫びも含まれている。


「──おっさん、逃げるのかよ!?」


「決着はついただろ。アメリに礼を言うんだな」


 もうシータには取り合わないことにした。アメリがギルドの仲間と戦うなと言ったのだ、これ以上は構っていられない。


「おっさんの癖に、俺の事をなめやがって!」


 シータは拳を握っている。もう一度戦うつもりなのだろうか? もうやめておいた方がいいと、俺の勘が告げている。そろそろフロアの騒ぎを嗅ぎつけてあいつが出てくるころだ。


「──何やってやがんだ、お前ら!!!」


 俺の予感は的中した。これでもう二度目の闘いが起きることはなくなった。何故ならば、この店の店主が裏から出てきたからだ。


「お前ら!!! 店から出て喧嘩しろ!!!」


 二メートルを超す大男が厨房の入り口に立っていた。この人がこの店の店主であり、この店に置ける絶対君主であった。彼はアドルフ、元S級冒険者。皆の憧れだった男だ。


「よっ、アドルフ久しぶり」


 俺は気さくに声を掛ける。なんせこいつは昔からの友人、喋り方に気を付けなくていいから楽でいい。


「おお、リッドじゃねぇか。ん、珍しいな……今回の騒動はお前が原因か?」


「まぁな、向こうから喧嘩売ってきたから買ったって感じだな」


 俺は視線をシータへと向ける。するとアドルフの視線がそちらへと移った。


「おいおい、殺気を出すのはやめてやってくれ。あれでもギルドのエースなんだ。トラウマを植え付けられても困る」


 アドルフが殺気を漏らしていたので、俺は止めてやる。シータが使い物にならなくなったら困るのはハルトだ。それは俺の望んだ結末じゃない。


「まぁ、別に店の物を壊したわけじゃないから許してやってくれ。それにもう喧嘩を続ける気はないしな」


「そうか、ならいい。おい、お前らも喧嘩はほどほどにしておけよ! 店の物壊したらコイツみたいになるからな!」


 そう言ってアドルフが指をさした先には、首から板をぶら下げたカミラがいた。


 何をしでかしたのかはわからないがアドルフに絞られたことはわかる。……口をもぐもぐしているってことはあいつ、つまみ食いしやがったな。


 その証拠に板には「仕事中に酒とつまみを食べたバカです」と書いてある。……酒も飲んだんかい!


 俺はカミラに乾いた笑みを浮かべてやる。すると何を思ったのかこちらに向けて親指を立ててきた。なんだ、その口の中に入っているものがそんなにうまいのか?


「まあいいや、アドルフまた来るよ。今日は悪かったな。レジに今回の詫びも置いておいたから受け取ってくれ」


「あいよ、またなリッド」


 俺達は軽く挨拶を交わすと、アドルフはまた厨房へと戻っていく。すると、辺りにはまた喧騒が戻ってきた。どうやら今の話題はさっきの俺がしたことについての考察みたいだった。


 いたたまれなくなって、俺はアメリの手を引き外へと出る。アメリは何も言わずに俺に付いてきてくれた。


 店の外に出ると同時にアメリは口を開く。


「──リッドさん、聞きたいことがあるんですけど⋯⋯いいですか?」


 食事が始まる前にも同じことを言われていたな。さっきのやり取りを見て、思い当たることがあったに違いない。


「いいよ、俺も酒を覚ましたいし。少し散歩しようか」


 ──俺達は、日が完全に落ちて少し冷え始めた街を歩き始めた。

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