第二話、スキルの覚醒。

「うっ……」


 口から変な呻き声が勝手に漏れてしまった。頭の芯が殴られているように痛むし、太陽の光がやけに目に入ってくる。それが寝不足の目にはつらかった。


 明らかに二日酔いだ。喉が渇いてたまらない。体が水分を欲しているのがわかった。


「もう若くないってのに、さすがに飲みすぎか……」


 昨日の記憶を探ろうにも頭が痛くて思い出すのも億劫だ。唯一思い出せたのは、昨日家に帰ってすぐに酒場へと駆け込んで酒を飲み始めたところまで。


 酒を飲めるならどこでもよかっただろう。嫌な気持ちをすぐにでも掻き消してしまいたかっただろう。何も考えたくなかった、だから酒をたらふく飲んだ。未来のことを見て見ぬふりをするのに、それが一番いいと思ったから。


 飲んで飲んで、我を忘れる程飲んで、そしてそこからの記憶は無い。気付いたら家でベッドに突っ伏していた。誰かが送ってくれたのか、それとも自分で歩いて帰ったのかはわからないが、道端で倒れていなかっただけ有難いと思えた。


(それがこのザマだけどな……)


 胸がむかむかして気持ち悪い。一旦、家に帰って休んだ方がいいだろうか?


(いや、今日の業務は引継ぎの子に教えるだけだよな。それなら終わらせてから帰ればいいか……)


 倉庫番の引き継ぎなんて、そこまで時間を取らないはずだ。それに、早く行って仕事を済ませた方がこの後の時間を自由に使えるだろう。


 なにせ、俺には次の仕事を探さなければいけないという使命が待っている。時間は有効活用しないとな。


「……急ぐか」


 俺はふらつく身体に鞭を打ち、『天空の理想郷』までの道を早足で歩くことにした。




「──おはようございます」


「ああ、リッドさん。おはようございます」


 クランの事務員に淡々と挨拶を交わし倉庫へと向かった。もう何十年も歩いた通路だから、身体が勝手に動く。そして、倉庫の少し重くなった扉を開けた。


(これが終わりになるかもしれないのか)


 感慨深いことを思っていると、普段とは違う景色が目に入ってきた。赤い髪をふわふわと揺らしながら、一人の華奢な女の子が倉庫を見回っている。あまりにも場違いな光景に俺は二度ほど目を擦ってしまった。


(この子が新しい子か? ハルト……男にしておけよ)


 倉庫番は力仕事もある。この子で務まるかは……レベル次第だな。


 俺が入り口で立ち尽くしていると、女の子はこちらの存在に気付いたのか、身を正しこっちを向く。それに倣って俺も身を正してしまった。二日酔いで地味に頭が揺れているが。


 にこにことした晴れやかな笑顔で「おはようございます!」と言ってくる。あまりの元気さに、俺は気圧され「あ、ああ、おはよう」と歯切れ悪く返してしまった。


 その女の子はあまりにも元気すぎて、今の俺には少し眩しく見えてしまった。





「──というわけだ、わかったか?」


「はい、わかりました!」


 俺は引継ぎの為、女の子に仕事を教えていた。説明を聞き、女の子は素直に頷く。 


 まぁ、仕事と言っても箱に詰めるものとそうでないものの仕分け方、それに箱にラベルを貼るということを教えるだけだ、すぐに引継ぎは終わってしまった。


 酒のせいで身体が怠いが、なるべくハキハキと動いたり応答したりするように努めた。初対面の女の子を相手にしているのだから、気の抜けたところを見せたくないと思うのは男なら当たり前のことだろう?


「後は何をしたらいいんですか?」


「次は内容をまとめる作業だな、こっちに着いてきてくれ」


 女の子が次の仕事を聞いてきたので、俺は隣の部屋へと彼女を呼んだ。


 後は、仕分けたアイテムの個数を板に書き写すだけなのでそこまで覚える仕事量はない。これもほんの二時間程で全行程を終わらせてしまった。


「しかし、リッドさんってずっと一人でこんな仕事してたんですね」


「あぁ、新しく入ってきた奴にも使ってもらえるように手入れとかもする時はあるが、一年に一回くらいだ。そもそも、ここにあるのは大体いらないと言われたアイテムだからなぁ」


 俺は倉庫の中を見渡す。そこには、いつも見慣れた光景が広がっていた。もしかすると、これで見納めになるかもしれないそれらに目をやる。


 錆びた剣、割れた盾、それに槍などがまるで武器屋の品揃えのように壁に立て掛けてあった。


 それと大量の箱。百個はくだらない数の箱全てにラベルが貼ってある。これが、俺の今までしてきた仕事の成果だ。


「売りに出したりはしないんですか?」


 女の子が首を傾げ、もっともな疑問を口にした。これだけアイテムをため込んでいるのはギルドの方針。「いつか使うかもしれない!」はハルトの談だ。


 理論は間違っていない。もしこのギルドに鍛冶師や錬金術師が加入した時を考えると、アイテムなんかは腐る程あってもいいに違いない。


 問題は、そのアイテム置き場にギルドの費用がそれなりに使われているところであるが、辞める俺には関係のないことだ。


「マスターなりの考えがあるんだろうさ」


「確かに、そうですね!」


 女の子は大きく頷き微笑んだ。健気な子だなぁ、と俺は感心する。


 でも、ここに居るということは成績が悪いということか⋯⋯そのことを考えると何故だか悲しくなった。


「どうかしました?」


「いや、なんでもない。後は頑張ってくれよ」


「はい! ありがとうございます!」


 そう言って、彼女はお辞儀をした。その姿が今の俺には眩しくて、思わずその場から逃げるように扉の外へと出てしまった。







「……さて、何をしよう」


 引継ぎを終わらせた後、俺は街に出て一人で悩んでいた。先ほど、昼にやっているバーにて果実水を腹がたぷたぷになるまで飲んだ。そのせいで、今はあまり腹も減っておらず飯という気分ではない。


(クランを抜けるまで後二日だけど……仕事探しって気分でもないんだよな)


 


「たまには外に出てみるとするか」


 たまには街の外へ出て空気を吸うのもいいだろうと考えた。辺りには弱いモンスターしかいないし、それなら俺でも最低限の身を守れる……と思う。


 俺は自分の部屋にある剣を取りに帰ることにした。それはギルドに入る時に一応買っておいたものだ。ちなみに一回も使ったことはない。使う機会なんて今までこなかった。


「そうか、クランを抜けるなら部屋も探さないといけないのか」


 帰っている最中に、もう一つ厄介なことを思い出す。俺が今住んでいるのはクランの寮、追い出された奴がそのままいるわけにはいかないだろう。


 ──まぁ、おいおい住めるところを探すとするか……幸い荷物も少ないしな。


 そんなことを考えながら俺は自分の部屋へと入った。









「⋯⋯今の俺、かっこよくないか?」


 俺は今、絶賛興奮中であった。剣を持って外に出るなんて初めてのことで、高揚感が身を包んでいるのがわかる。


 腰に剣を背負っているが、昔より軽く感じられた。これも、倉庫番で重い荷物を運び続けた結果だと思うと感慨深いものがある。


 とりあえずモンスターと戦ってみたい。今の俺なら勝てそうな気がする。そんな気持ちで、最弱のモンスターと言われているスライムを探すことにした。


 スライムのデータは頭の中に入っている。倒し方は核を潰す。潰し方は貫通力のある攻撃で突き刺す、それだけのことだ。今の俺なら造作もないことに思えてくる。


 相手の攻撃方法はこっちの顔にぶつかり窒息させてくる。なので、飛びつき攻撃だけには注意を払う。たまに酸を持つ個体がいるが、ここにいるスライムは素手で触れるくらいの弱さだ、気にする必要はない。


 頭の中で倒し方を何回も何回も繰り返し予習。いざ出会っても緊張しないように、先にプランを頭の中で組み上げておく。初めての挑戦に心臓の鼓動が早くなってきているのを感じ、ふーっと大きく深呼吸をした。


「落ち着け、リッド」


 言葉に出して気持ちを沈めていく。何事も初めは怖い、緊張するのは当たり前だ。でも、やっぱり冒険は楽しい。この年齢になってもこんなに胸がわくわくするなんて。


 年甲斐もなくはしゃいでいる俺の目に、一匹のスライムが映った。その姿を見て、俺の体が変に震えていることに気付いた。


 ──怖いのだ、周りにフォローしてくれる仲間もおらず、未知の相手と生死のやり取りをするのに恐怖を覚えないやつがいるだろうか?


 俺は気持ちを落ち着かせるために二回深呼吸した。たった一匹のスライムぐらい倒さなくて何が冒険者だ。


「──いくぞリッド。これが俺の冒険の始まりだ」


 俺はスライムを睨んだ。どうやらスライムはまだ気が付いていないようだ。半透明の身体がぷるぷると震えて転がるように歩いているのが窺える。今が好機に違いない。


「うぉおおおおおおおおお!!!」


 大きく声を上げ、自分を鼓舞した。そうでもしないと、足が前に出なかったからだ。


 剣を構え、スライムを目掛けて真っ直ぐに走る。戦いなどどうすればいいのかわからない。もしかすると、静かに近付くべきだったのではないかと頭の片隅で少し後悔した。


 スライムはこちらに気付いたのか俺に向かって飛び掛かってくる。「ひっ!」俺は咄嗟に腕を手前に出してスライムの攻撃をそこに浴びさせた。


 べちょっと音を立てて、腕にスライムが絡みついた。生ぬるい温度とぬるぬるとした感触に、背筋に寒気が走る。


「うわあああああああああ!!!」


 叫びながら腕をぶんぶんと振り、スライムを無理矢理引きはがす。するとスライムは地面に叩きつけられて平べったく伸ばされた。


「くらえぇっ!」


 核が丸見えになったのでそこへ剣を突き立てる。しかし、核を狙った渾身の一撃は地面へと吸い込まれ、ジャリっと砂を噛んだ音を立てた。


 スライムが俺の攻撃を躱したことに気付くのに数秒を要した。慌てて地面から剣を引き抜きもう一度振り被る。


「くそっ、もう一回!」


 二回、三回とスライムを攻撃してみるが、スライムは地面の上をコロコロと転がり、俺の剣が届く範囲外まで逃げてしまった。


「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯くそっ!」


 普段ここまで激しい運動をしてないせいか、息が上がってくる。じんわりと額に掻いていた汗を手で拭う。


 そんな俺を嘲笑うかのようにスライムはぷるぷると震えている、その姿はまるで俺をおちょくっているかのようだった。


 息を整え、剣を真正面に構える。腕が重く、剣が腰辺りまでしか上がらなかったが、別に斬りつけるわけではないのでちょうどよかった。


「突き刺すだけ……突き刺すだけ……」


 同じ言葉を何回も言うことで自分のやるべきことを再確認する。


 そこからスライムと何回も同じやり取りをした。⋯⋯そして、俺は10回目の攻撃にしてようやく、スライムに剣を突き立てることが出来たのだった。


 ぐちゃっと生々しい音と共に、スライムの身体は動きを止める。それで、俺はようやく深く息をすることが出来た。


 あまりの疲労にその場に座り込む。今の状態ではしばらく立ち上がれそうになかった。


「ははっ、たかがスライム一匹を倒すのでさえこの体たらくか……」


 乾いた笑いが口から出てしまう。最弱を相手にしてこれなら、どうあがいても俺に冒険者は無理だと思えてしまった。


「でも、いい経験が出来たな! 冒険も体験出来た。これで満足だ!」


 これが本心なのかどうか自分でもわからない。ただ口に出して自分で誤魔化しているだけかもしれない。それでも、俺は……。


 そこで俺は自分の下に転がっているスライムの死骸に気がつく。こいつをどうするべきかしばし逡巡し、一つの妙案を思いついた。


「⋯⋯そうだ、記念にとっておくとしよう」


 いつも懐に入れているラベルを取り出し、ペンで文字を書く。その内容は「リッド、初めての強敵」にしておいた。


「よし、行くぞ……」


 俺はスライムの死骸にラベルを貼る。──その瞬間、脳内に言葉が響いた。


【ユニークスキル『ラベル貼り』のレベルが上がりました。新たな効果が追加されます】


「……は?」


 こんな事は今まで生きてきた中で初めてのことで、俺は戸惑ってしまう。レベル? 新たな効果? ……もしかして!


「ステータスオープン!!!」


 急いでステータスを開き、能力の確認をしてみた。そこに書いてあったモノを見て俺は驚く。


『ラベル貼り』レベル1。何にでもラベルを貼れる。貼ったものはラベルに書いた効果を得ることが出来る。


「……どういうことだ?」


 しかし、俺の頭は意味が理解することが出来なかった。

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