第410話 妄想と現実

 イルドリは、目を覚ます。

 そこは、自室のベッドの上だった。


 体を起こそうとすれば、痛みが走り顔を歪ませた。

 それでも、ぼぉとする頭で起き上がり、周りを見た。


 なぜ、自分がここにいるのか。

 今まで自分は、何をしていたのか。


 黒ずんでいる目で自身の両手を見る。

 すると、雨の日に起きた出来事が頭の中に蘇った。


 自身の父親の死、親友の暴走。

 頭が痛くなり、イルドリは呻く。


 そんな時、扉がコンコンと叩かれた。

 返事をすると、アンジュが控えめに顔を覗かせた。


「イルドリ様」

「アンジェロか。アンジュは一緒ではないのか?」


 イルドリが名前を呼ぶと、扉を大きく開き、アンジェロが中に入る。

 ベッドまで近付き、報告した。


「姉さんは今、女性の監視をしています。一応、地下牢に入れ込み、両手両足は動かせないように拘束していますよぉ~」

「…………女性」


 まだ、頭が覚醒していないイルドリは、すぐに誰なのかわからない。

 アンジェロは、急かすのは良くないと思い、待つ。


「――――あぁ、思い出した。罪を犯した、あの女性か」

「そうです。あと、クロヌ様は行方を完全に晦ませました」

「そうか…………」


 それについてはわかっていた。

 そう言うように、イルドリは肩を落とす。


 これ以上報告をしてもいいかアンジェロが悩んでいると、イルドリは顔を下げたまま質問をした。


「父上は、どうなった」

「今は、死体安置所に預けております」

「そうか…………」


 まだ、現状を把握できていない。

 いや、把握したくないイルドリは、曖昧な返答を繰り返す。


 イルドリの様子に、アンジェロはなんと声をかければいいのか頭を悩ませた。


 そんな時だった。

 廊下の方からバタバタと、忙しない足音が聞こえ始めたのは。


 アンジェロが振り向くのと同時に、一人の警護班が汗を流し、顔を真っ青にして駆け込んできた。


「大変です、イルドリ様!! 早く地下牢に来てください!」


 叫びに近い声で報告された。


 アンジェロは、今の状態のイルドリに何を言うんだと目を細め、文句を口にしようとした。だが、報告はまだ終わっていなかった。


「昨日、地下牢に入れた女性が暴れています!!」


 その言葉にアンジェロは目を開く。

 同時に、イルドリが顔を上げ、「まことか?」と、問いかけた。


 すぐに警護班は頷く。


「…………アンジェロ、話は後だ。今は、地下牢に急ぐぞ」


 ゆっくりと立ち上がるイルドリの身体は、まだふらついている。


 すぐにアンジェロが支えたため転ばずに済んだが、今の状態で、暴れている女性がいる地下牢に行くのは、無理ではないかとやんわりと伝えた。


 だが、イルドリは「行く」と聞かず、支えながら渋々地下牢へと向かった。


 ※


 地下牢の階段を下がっている途中、女性の甲高い声が二人の鼓膜を揺らした。

 アンジュの焦っているような声も混じっている。


「私をここから出して!! 私は罪を犯していない。私は、神の使いよ!!」

「いいから黙りなさい!! 妄想もほどほどに――――」


 アンジュが言い聞かせようとしている時、イルドリ達が到着。視界に入り、すぐに近寄った。


「イルドリ様、体は大丈夫なのでしょうか」

「報告を頼む」


 アンジュの言葉など聞こえていないのか、全く気にせず報告を伝えるように促す。

 アンジェロと一度目を合わせたアンジュは、女性の方へと振り向き、現状を報告した。


「目を覚ました瞬間に暴れ出しました。自分が牢屋に入り、拘束されているのが理解できないらしいです」

「そうか」


 一言だけ返すとアンジェロから離れ、女性に近付く。

 牢屋の中にまで入ってしまい、アンジェロは慌てて追いかけた。


「おい、声は聞こえるか?」


 イルドリの問いかけに、女性は反応しない。

 地面に座り込み、ふぅーふぅーと、息を荒くするのみ。


「答えよ。私の声は、貴様に聞こえているか?」


 再度、問いかける。

 すると、聞こえてはいたらしく、顔をゆっくりと上げた。


 血走った瞳、涎が滴り落ちる口元。

 恨みなのか、それとも怒りなのか。

 何とも言えない感情で歪ませる女性の表情は、なんとも醜く、イルドリは軽蔑の眼差しを送った。


「なにを暴れている」

「なぜ、神の使いである私がこんな所に拘束されないといけないの。私は、神によってここに送り込まれた女神よ!! 私を罰することなど、王が死んだ今、誰にも出来ない!!」


 もう、妄想と現実がごちゃごちゃとなっていた。

 誰の言葉も耳には入らない状態。

 そんな女性に、イルドリは手を伸ばす。


 何をするのかと思っていると女性の胸ぐらを掴み、自身へと引き寄せた。

 刹那、誰の声かもわからない低い声が、辺りに響いた。


「黙れ、外道が」


 大きい声を出しているわけではない、それなのにこの場にいる皆の耳に届く程に響き、この場の空気を凍らせた。


 暴れていた女性ですら怯え、体を大きく震わせる。


「仮に、神の使いであれば、何をしても許されるのか? 人を殺しても良いというのか?」


 イルドリの問いかけに、女性は答えようと口を動かす。

 だが、彼の瞳は、憎悪に包まれ、女性の喉を絞めた。


「何をしても許される。そう、お前は言うのか?」


 問いかけているはずなのに、相手に答えさせない圧。

 女性は、恐怖で涙を流した。


 まだ、感情は残っているらしい女性を見て、イルドリは手を放す。


「貴様の処分は、色々片付いてからだ。それまで大人しくしているのだ」


 それだけを言い残すと、イルドリはアンジェロ達を見ず階段を上がり、その足で病院へと向かった。

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