第88話 人間から神へ

 森の中で一人、傷ついた体を引きずりながら歩いている女性がいた。


 体の至る所には火傷の跡があり、身にまとっている黒いローブはぼろぼろ。

 足取りもおぼつかず、危険な状態。


「ちょっと、しくじったわね…………」


 憎しみの込められた言葉を吐き捨て、舌打ち。

 体力の限界というように、木に背中を預け荒い息を整える。


「こんな所で何しているの、フェアズ」

「貴方こそ、こんな所で何をしているのかしら。もしかして、笑いに来たの? 貴方、そのような趣味あったかしら」


 声が聞こえた方を見ると、少年姿のアマリアが気配無く現れていた。

 表情一つ変えず近づいて来るアマリアに、フェアズはバツが悪そうに目を逸らす。


「まさか、君がここまでやられるなんてね。知里は強いけど、まだ実力は僕達に遠く及ばなかったはず。戦闘魔法をあまり持っていないフェアズでも、余裕で倒せるはず。なんで、ここまでやられたの?」

「話す必要はないわよ。それと、私に関わらないでくれるかしら。今は気分が悪いの、貴方の顔を見たくないわ」


 体を引きずらせアマリアの隣を通り過ぎようとすると、フェアズの手を彼が掴む。

 舌打ちを零し、アマリアを睨みつけた。


「何よ」

「君、また一人で行動するつもり? さすがにこれ以上、勝手なことはされたくないんだけど」

「ギルドには一切迷惑はかけていないと思うのだけれど? 知里に関しては、貴方が縛っていい人物ではないのよ。誰も私を止められない。たとえ、の貴方でも、ね?」


 傷だらけの顔を向け、したり顔を浮かべアマリアを見下ろす。

 今の言葉に一切反応を見せなかったアマリアは、掴んでいた手を離し、少年姿から青年の姿になった。


 ローブの中は黒いスーツ。革靴を鳴らし、フェアズの隣に立った。


「な、なによ。まだ何かあるの?」

「別に。ただ、さすがにその怪我をほっておくのは僕が嫌なだけ」


 言いながらさりげなくフェアズを横抱きにし、その場を歩き出した。

 その動きがスムーズすぎて最初は反応出来なかったが、すぐに現状を把握したフェアズは驚きで目を開き暴れ出す。


「下ろしなさいよ! 私は貴方にもう頼らない。貴方も私に構わないで!!」

「体に悪いよ。それに、暴れると僕なら普通に落とす。傷が悪化すると思うけど、大丈夫?」


 左右非対称の瞳に見下ろされ、暴れていたフェアズの頬が赤く染まる。

 高鳴る心臓を誤魔化すように顔を逸らし、舌打ちを零すと大人しくなった。


「ん、いい子」

「私はもう貴方と別れたの。貴方も、私がやっていたことに対して怒っていたじゃない。なぜ、今更このような事をするのかしら」

「僕は振られた側だからねぇ。まだ未練たらたらという事だよ」

「それを本人目の前にして言えるのが貴方の凄い所よね…………」

「事実だからね、嘘を言う必要性もないし」


 アマリアがまた言葉を繋ごうと口を開くが、自身から目を逸らしているフェアズをちらっと見ると、開いた口を閉じてしまった。


 その後は二人、何も話さずアマリアが歩く足音だけが響くのみ。


 途中で雨が降り始め、アマリアが自身のローブをフェアズの身体にかけてあげた。


「ちょっと、余計な事しないでくれない?」

「僕はまだ君に未練があるの。このくらいはさせてほしい」

「必要ないわ、迷惑よ」

「傷に雨は駄目だよ。悪化するかもしれない」

「もう、本当に迷惑なの、辞めてくれないかしら!」


 我慢の限界というように怒りの形相で叫ぶフェアズを見下ろし、アマリアは口を開いた。


「ずっと気になっていたのだけれど。君はなぜ、土地への執着がここまで強くなってしまったの?」


 アマリアから放たれた言葉に、フェアズは一瞬戸惑いを見せる。だが、すぐに気を取り直し鼻を鳴らした。


「当たり前でしょ? 村や国、町を管理するのが私の仕事だからよ。その中に、人を守る事という物は混ざっていない。私は自分が守れるものが少ないから、優先して守っているだけ」

「それがおかしいんだよなぁ」

「何がよ」

「君、昔はここまで割り切れる性格ではなかったでしょ? 管理者に入る前はもっと――――――」


 アマリアが流れるように過去の事を話そうとすると、フェアズが彼の胸ぐらを掴み、顔を青くし甲高い声で叫び出した。


「黙れ!!! それ以上口にするな!!」


 息を切らし、目を血走らせる。

 彼女の豹変に動揺することなく、アマリアは安全面を考え一度足を止めた。


「私達管理者は、クロヌ様に拾われた。死ぬ直前に、拾われたでしょ。その時、私達はクロヌ様の言葉に頷いたじゃない。『何を失ってでも、お前達は生きたいか』と聞かれた時に、迷わず。…………私はこの選択を間違っていないと、言い切れるわよ。命を失ってしまったら何も出来ないもの。私達を殺そうとした村の人達に、復讐が出来なかったじゃない」


 歯ぎしりをし、アマリアの胸ぐらを掴んでいた手がするりと落ちた。


 アマリアの頭の中には、今のフェアズの言葉により過去の記憶が蘇る。



 管理者になる前、家に火がつけられ同居をしていた二人は、逃げ遅れそのまま焼かれてしまいそうになる。

 そんな二人の目の前に、一人の老人が姿を現した。


『何を失ってでも、お前達は生きたいか』


 その質問に、迷わず頷いたのはフェアズだった。

 アマリアも遅れて頷くと、老人は二人に魔石を与えた。力を、魔力を与えた。


 二人はこの時から"人間"を捨て、"神"になる道を歩むこととなった。


 それにより、フェアズは性格が豹変。

 人間の頃では考えられない力を手に入れ、自由奔放となる。

 アマリアは人間の時とは変わらず、手に入れた魔力も必要最低限でしか使っていない。


 フェアズの自由をアマリアは何度も叱り、喧嘩をし。

 そのうち、二人は別れてしまった。


 だが、アマリアにはまだ気持ちが残っており、今もこうして、フェアズを助けようと手を伸ばし続けている。


 そんな彼の手を弾くことも、手に取ることも出来ないフェアズは、ただただアマリアの想いから逃げるしかできない。



「貴方は、なぜ恨まないの。私達は何もしていないのに殺されかけたのよ?! ただの妬みだけで!!」

「その証拠がない。もしかしたら事故かもしれないし、不注意だったかもしれない。もう、三百年も前の話だ、今更どうでもいいよ」


 いつでも冷静なアマリアは、フェアズの言葉にも淡々と返し、再度歩き始めた。


 彼の言葉に、フェアズはもう何も返さず、ただただ運ばれる。

 下唇を強く噛んでしまっているため、血が流れ出ていた。


「私は、強いのよ。もう、誰にも負けない、殺されるなんて、ごめんよ」


 憎しみの込められた言葉に対し、アマリアは何も言わず、瞬きをした一瞬のうちに姿を消した。

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