第4話 どうしようもない




 とりあえず、この支部初の相談者がお偉いさんの一人娘ということが分かってから20分。

 幾つかの質問をし報告書を作っていく。


「では、中学校は都内の私立に?」


「はい。……母親が教育を重視する人だったので、小さい頃から勉強はよく」


 教育を重視する人……ねぇ。まあ、鈴原が通っていた中学は東京でも1、2を争うほどの進学校だ。

 現政権の支援が手厚いからと言い、そんな中学校に受験する子供の親なんて、大体は金持ちか学歴コンプを抱えた人間の二択だ。もちろん例外はあるだろうが。

 そして鈴原の場合、話を聞く限りは前者に部類されるはずだ。父親はもちろん、母親もこの激動の時代を生き残った日本有数の財閥の三女。金銭的な問題なんて無いといっていい。



 しかし、そうなってくると、ここに書かれている鈴原の経歴には疑問が残る。



「失礼ですが、現在通っている高校にはどのような理由で受験を?」


 鈴原が通っていた中学校の偏差値は70を超えている。幼少期に相当努力したのだろう。

 だが現在、彼女が在学している学校は偏差値50程度の県立高校。相談員としては、この落差は見逃すことはできない。もしこれが滑り止めの学校で、第一志望の高校に落ちた結果だとしたらかなり残酷だ。

 しかし、彼女が今通っている高校は県立高校、それも一次募集で受かった高校のため、その線は薄い。まあ、それにしたって不躾な質問だ。自分でも理解している。


「……どうしてそんなことを聞くんですか」


「相談所の仕事は、鈴原さんのような相談者一人一人の状況に、親身に寄り添わなければなりません」


 本当は許可証の有無にかかわらず、報告書を書かなきゃいけないからなんだが……予想が正しければ、俺が彼女の報告書を上に提出することはないだろう。

 不満そうにこちらを見つめる鈴原に、続けて説明する。


「あまり大きな声では言えませんが、実際に相談所に来る方で許可証が発行され、安楽死を行う方は。そもそも許可証が発行された方も少ないですし、そこからいざ死に踏み出せる方がどれほどいるかと言われれば何となくお分かりだと思います」


 年間の相談者数は平均しておよそ5万人。そいつらをポンポン通してたらそれこそ日本が破綻してしまう。

 最もが多かった年である『2027年の4万5千人』よりも多いことから分かる通り、本当に死にに来る人間なんて半分も居ない。その相談の殆どは、当人の抱えている問題を、公的機関への案内を通して解決できる。

 金が無い奴は生活困窮者支援制度を使えばいいし、対人関係で悩みを持っているのであれば、部類に応じて適切なカウンセリングや、原因となる人物から遠ざけるような環境を与えてやればいい。昔はともかく、今の日本なんて探せばいくらでも仕事が見つかるのだから。


『安楽死相談所』と名乗ってはいるが、実際は『カウンセリング、診断情報提供、児童相談、職業安定所等が複合した相談施設』だ。世間へのインパクトや、当時の日本の状況を踏まえてこの名前にしたのだろう。一つの相談所に複数人配属されるのは、それぞれ必要となる資格が異なるからだ。予め聞いておいた内容に応じて、相談者ごとに担当を変え、適切な案内を行う。

 それを法律の穴を突いて、たった一人で配属されている辺り、俺がどれだけ嫌われているかがよく分かる。


「逆を言うと、それだけの人に安楽死以外の選択を与えているということですよね」


 今まで懐疑的な様子を隠そうともしなかった鈴原が、どこか納得したようにそう呟いた。

 確かに、相談員は名誉ある仕事だと世間には認識されている。分野ごとに就職の難易度や給金も異なるが、どんなコメンテーターも『弱者を救済する現代のメシア』だと語る。身内が相談員になれば、ご近所中に自慢して回る人間も多い。

 そのため子供のなりたい職業ランキングでも、医者には及ばずとも10位以内には必ず入っている。




 ────だが、その実態は安楽死の許可を与えれば与えるほど、上から睨まれるクソみたいな仕事だ。




 相談者を下に見るクズがのさばり、死に救いを求めている人間を、他の施設にたらい回しにして誤魔化し続けるのだ。

 その結果として、相談者が自らの手で惨たらしく死を迎えたとしても、「あの人は相談所にも行かずに自殺した迷惑な人間だ」というレッテルを貼られる。

 そして国はこう発表するのだ。『昨年に比べ、今年のも減少しています』と。


「そういう捉え方もあるでしょう」


 最終的には、「現政権は弱きものを助け、強い日本を取り戻した」として、ネット上で莫大な人気を誇るのだ。……話が逸れたな。今は仕事の愚痴を言っている暇じゃない。


 自分を戒め、体面に座る鈴原に目を向ける。一度目が合あったがすぐに逸らされてしまった。

 



「……分かりました。私がこの高校に通っている理由、ですよね」


これは失敗したかと思ったが、俺の予想に反して彼女は数秒ほど沈黙した後、ポツポツと語り始めた。


「私には、尊敬できる大人が1人いました」


『いました』という、不吉な文言で言い出した鈴原。どこか懐かしさをその瞳に滲ませ、続きを語る。


「父でも、母でもなく、私が中学受験をするからと言って、住み込みで雇われた家庭教師の先生です。私より丁度一回りくらい年上の、女性の先生でした」


「……続けてください」


「私は両親には愛されていないんだと思います。世間体を気にして結婚した父と、自分の意志に関係なく20近く年上の父と結婚した母。そんな状況で子供を愛せるかと聞かれたら、正直私もすぐに頷くのは無理です。なのでその点に関しては不満は無いです。……ですが、常日頃から言われる『父のようになりなさい』という言葉に、幼いながら辟易していました」


 16歳にしては整然とした、理性的な語り口だった。

 自身が親から愛されていないという、受け入れがたい事実を認めているのだ。そしおて尚且つその理由に理解を示せる人間なんて、大人でもそうそう居ないだろう。


「先生はそんな中、私に自分で自分の道を見つけてほしいと言ってくれました。そんなことを吹き込んだとバレれば、間違いなく解雇されるであろうに」


「素晴らしい先生ですね」


「ええ。それはもちろん。……勉強をする意味なんて見いだせていませんでしたが、その時こう思ったんです『先生のためにも、少しだけ頑張ってみよう』って」


 誇らしげに肯定する鈴原。よほどその先生のことが好きなのだろう。


「その甲斐あってか、志望校にも無事合格しました。先生が泣きながら抱きしめてくれたときの喜びは、今でも忘れられません。……そんな先生は、父と現首相が施行した政策に、とても助けられたと言っていました。父のおかげで、今も幸せに生きられると」


 どこか複雑そうに語る鈴原。そりゃそうだろう。自分を愛していない父親に対して、尊敬する先生は恩を抱いているのだから。


「そのとき思ったんです。『もう少しだけ両親を尊敬してあげよう』って。笑っちゃいますよね。どの立場で言ってるんだーって感じで」


「素晴らしい考えだと思いますよ。実際あなたのお父さんは、後の教科書に載るほどの人間ですから……って、これは聞き飽きてますかね」


 余計なことを言ってしまった。そんなの、彼女が一番聞いてきた言葉だろうに。


「……ええ。良くお分かりで。中学受験に成功してからは、たまにしか帰ってこない父や母とも話す回数が増えました。気まずいところはあれど、ようやく憑き物が取れた感じがして、家にも私の居場所があると感じることが出来たんです……それも、長くは続かなかったんですけど」


 膝の上に置いた拳を握り締める鈴原。

 数秒の沈黙が辺りに流れた後、その経緯を語り始めた。


「きっかけは何てことないものでした。私は、自分が思っているほど頭が良くなかった。……ただ、それだけのことです」


 話を聞くに、入学したことにより気が抜け、周りに置いて行かれたらしい。まあ、よくある話だろう。

 今まではずっと上位の成績だった生徒が、受験後に成績が振るわなくなるなんてことはザラにある。彼女が通っていた中学は、全国から有数の秀才、天才が集まる学校だ、そこで挫折を味うのは仕方がないことだろう。……尤も、彼女の両親がそう思うかは疑問が残るが。


「人前ではあまり見せないですが、私って結構調子に乗るタイプなんですよ。志望校に受かって、両親とも少しだけ話せるようになって、先生とも一緒に過ごせるともなれば、勉強なんてほどほどでいいだろうと、そう思ってしまったのが運の尽きですかね」


「……」


「最初は良かったですよ。成績も上位30位には入ってましたし。『もうちょっと頑張れ』なんて言う母の小言を無視しながら、先生や友達と充実した日々を過ごしていました」


 上位30位と言えど、程々に勉強した結果がそれだったらかなり上出来だろう。

 しかし、かえってその要領の良さが良くなかったのかもしれない。


「雲行きが怪しくなり始めたのは2年生に入った時でした。最初の定期テストで順位が、ガクッと落ちたんです」


「それはその時だけミスをしてしまったという訳ではなく……ということですか?」


「そうだったら良かったんですけどね。……当時は知らなかったんですけど、一貫校以外の私立中学に通う子供たちって、2年生くらいから受験勉強始めるみたいなんですよ。父も母も、ましてや先生も中学受験なんてしたことが無かったので、気が付いたときにはもう遅かったんです」


 そう問うと、彼女は自嘲気味に小さく笑って返した。


「笑っちゃいますよね。周りの雰囲気が何となく変わり始めていることは分かっていたのに、心のどこかで『何とかなるから気にしなくていいや』なんて思ってたんです。だから、先生にも両親にも何も相談しませんでした」


 ……いや、普通はこういう話は両親からするものだろう。少なくとも俺の時はそうだった。

 念願だった中学受験に成功して、両親共々これで安心だと思っていたのだろうか。どちらにせよ、娘に対して関心が無いことがよく分かる話だ。


「次のテストではもうちょっと上げれたんですけど……成績を母に見せた、その次の日の話です」


 一度そう区切って続ける鈴原。


「その日は学校があったので、いつも通り登校しました。でも夕食の時間になっても降りてこなかったので……先生の部屋に呼びに行ったんです。……まあ、もうそこに見慣れたんですけど」


「……それは、先生が解雇されたということですか?」


「母に問いただしましたが、母は『成績が落ちたのは先生のせいだ』の一点張りでした。私に気づかれると反発されるからって、私が学校に行っている間に……先生とは、何も話せなくて……!」


 話している途中に感情が溢れてしまったのだろう。俯きながら肩を震わせる鈴原。

 テーブルに置いてあるティッシュ箱をそっと差し出すと、彼女は小さく笑いながら面を上げた。


「……ありがとうございます。えっと、この高校に通っている理由ですよね。……なんてことない理由ですよ。親の言いなりになって、ずっと勉強するのが嫌だったから、志願先の受験票を書き換えたんです」


 見た目に反して中々無茶をする子供だ。それも、彼女をここまで追い込んだ環境が原因なのだろう。


「もうこれで干渉されることもないだろう。幻滅されて相手にされなくなるだろうって思ったんです。……でも夜になると考えちゃうんです。もしも私がもう少しだけ頑張って、先生がクビにならなかったときのことを」


「先生が解雇されたのは、自分のせいだと?」


「……まあ、実際そうじゃないですか? やり方はどうであれ、原因を作ったのは私なんですから。先生だってきっと私を恨んでます」


 ため息を吐きながら、投げやりに語る鈴原。しかし口調とは裏腹に、彼女の声は小さく震えていた。


「で、昨日言われたんです。『いつまで意地を張っているんだ、もう子供じゃないんだぞ』って。腹が立ったので、もういっそ死んでやろうと思ったんです。……もう、私が自由に生きることは出来ないんだろうなって」


「……相談にいらしたのは、そのためだったんですね」


「はい。これって凄く面白くないですか? 鈴原直樹の娘が、安楽死相談所のお世話になるって。私が自殺したと知ったときの、両親の顔が今にも浮かんできます」


 露悪的な語り口だ。しかしそう思わないと心が持たないのだろう。自らを悪者にすることで、遺恨なく全てを終わらせたいという、心の防衛反応に似たものを感じた。


「事情は理解しました。辛い話だったでしょうに、ありがとうございます」


「いえ……私も、誰かに聞いてもらいたかったんだと思います。何か、話したらスッキリしました。やっぱりこういう相談は聞きなれてるんですか?」


「そうですね。私個人としては、慣れちゃいけないと思ってるんですけど」


「あはは、確かに。……それで、許可証ってすぐ発行できるんですか?」


 そう聞いてきた鈴原だったが、彼女の話を聞く限り、許可書を発行するのはかなり厳しいだろう。


「未成年の許可書の発行には、虐待されているなどのケースじゃない限り、必ず保護者の同意が必要です。そのため、現状許可証を発行することは出来ません」


 そもそも虐待されている場合は子供は保護され、親は警察のお世話になる。

 ターミナル治療等で安楽死を希望する子供もいるが、その場合は相談所ではなく病院の管轄になるため、未成年者が通されるケースは非常に稀と言っていい。


「……そう、ですか」


 意地が悪いことをした。普通の相談員ならまず最初に説明するだろう。だが、1人で暗い顔をして相談に来る未成年者を、制度上不可能だからと言って追い返すことは俺にはできない。


「ははっ、私……バカみたいですね。来栖さんも人が悪いですよ。最初に言ってくれればよかったのに」


 体をだらんとソファに預け、冗談めかした口調で非難する鈴原。


「……私が相談しに来たことって、父に知られてしまうでしょうか。報告書とかって、やっぱり提出するんですよね?」


 そしてそれが叶わないと知った彼女は、何よりも両親に知られることが心配なようだ。

 歪な話だ。両親への意地返しで自殺にまで踏み切ろうとしたのに、それが出来ないと知った瞬間、両親にバレること心配をしてしまうのだから。


「本来ならばそうしなければいけませんが、この報告書は破棄しますので安心してください」


「……それって大丈夫なんですか?」


「バレても怒られるのは私なので、心配いりませんよ。……その代わりと言っては何ですが、少し手続きをしなければならないので、もう一度来ていただく必要があります」


 そう言うと、彼女は疑問符を浮かべながらも小さく頷いた。


「? 分かりました。来週の土曜日なら多分大丈夫です」


「では、具体的な時間が決まったら連絡をお願いします。電話でもメールでも構いません」


 電話番号とアドレスが書かれた名刺を差し出す。何気に初めてここの名刺を渡した気がする。


「……今日は、ありがとうございました。わざわざ話を聞いて頂いて。こっちの事情にまで配慮いただいて」


「いえ、どうせ相談者なんて来ないですし。……それと、これは個人的な意見なのですが」


 扉の前でこちらに礼をし、出て行こうとする彼女に声をかける。


「あなたのご両親は、。親と折り合いの悪い子供の話は何回も聞いてきましたが、割とその中でも断トツで」


 正直蛇足だとは思う。彼女も目をまん丸くしてビックリしている。

 しかし、ここで言っておかないと気が済まない。……こういう所が、向いていないと言われる理由なのだろうが。


「幼少期から虐待紛いの躾を受けてきた子供は、それに応えられないと罪悪感を抱くようになります。あまり断定はしたくありませんが、鈴原さんにもその傾向があるとみてよいでしょう」


 思い当たる節があるのだろう。彼女は両手に鞄を持ちながら、視線を右往左往させている。

 不気味なほど静かな事務所に、俺の声が小さく響き渡る。


「先生が解雇されたのは、あなたのせいではありません。そして先生もあなたを恨んでなんていないでしょう。あなたの尊敬する先生は、そんなことであなたを恨むような人間ですか?」


「……!」


 俺の言葉にハッとした様子で面を上げる鈴原。実際のところは分からないが、少なくともそう思っていた方が心は楽になるはずだ。


「……本当に、ありがとうございます」


 もう一度深々と頭を下げ、鈴原は相談所を後にした。




 扉が小さく締まる音が聞こえた後、事務所が再び静寂を取り戻す。時刻は既に16時を回っていて、背後からは西日が突き刺すように照らしていた。

 そんな中、陽光を切り裂くようにたった一つしかない机に座り、机に付けられたデバイスでとある番号に電話を掛ける。

 数回ほどコール音が鳴った後、空中のディスプレイに『通話中』と表示された。


「来栖だ。今時間あるか?」


『こっちはガッツリ仕事中だよ。お前と一緒にすんじゃねえ』


 そんな憎まれ口が飛んできた後、どうやらお取込み中だったようだ。


『てか、お前が仕事用の端末で掛けてくるなんて珍しくね? また人探しでもしてもらいたいってか?』


「ああ。よく分かってるな」


『……マジかよ。んで、相手は誰』


 どうやら冗談のつもりで言ったらしい。トントン拍子に進んでいた会話に不自然な間が生まれる。


「既にメールで送ってる。検索をかければ一発だ」


『あのなぁ、おまえ職権乱用って言葉知ってるか? バレたら飛ぶのは俺のクビなんだぜ?』


「どうせ上は履歴なんて見ないだろ」


『そう簡単に言うけどさぁ…確認したよ。で、こいつは何関係だ?』


「相談者関係だ」


そう言うと、スピーカー越しに相手のため息が聞こえてきた。


『……分かっちゃいたけどさ。お前、ホントこの仕事向いてないよ』


「うるせぇ」


 その時、ディスプレイにメールの通知が表示される。


『ほら、送ってやったからもういいだろう? 俺はお前と違って忙しいんだよ』


 呆れた様子を隠そうともせず言い放つ。こいつは今きっと電話越しにシッシと手を振っているだろう。


「悪いな」


『今度飯奢れよ。クッソ高い焼肉な』


「ああ」


 そう言って通話終了ボタンを押し、端末の電源を切る。


「……さて、一体どう出るかな」


 そんな俺の呟きが、ため息とともに事務所にこだました。



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自殺相談所 匿名希望 @SUN0429

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