第三話「土手道で遭遇したドーベルマンと老人」

 数年前の話なのだが、私がいつものように土手道を散歩していると、ひとりの老人がドーベルマンらしき物体を引き連れて前方から歩いてきたことがある。

 真っ黒い毛並みに、流れるようなスマートな肢体。人を食い殺しそうなその獰猛な顔つき。仮に二足立ちしたら人間並みの身長になりそうなほどのその巨体は、犬に恐れおののいて暮らしている私からしたらもはや恐怖の対象でしかなかった。


 今思い返しても身の毛がよだつほどの出来事だったのだが、ドーベルマンって首輪をしないものなのだろうか?

 その老人は、まるでそのドーベルマンと相棒同士かのような面持ちで、さも当たり前のように並んで悠然と歩いてくる。だがそのドーベルマンの首には何もついていないのだ。

 恐らく飼い主と思われるその老人と、ペットであろうドーベルマンとの間には、きずな以外の何にも存在していない。

 ロープも、紐も、糸すらもないのだ。本気で何も存在していない。


 当然のように手ぶらで歩く老人。

 その隣では、狼のような吐息を漏らしながら、涎を垂らしまくっているドーベルマンが野放しで歩いているのだ。


 怖すぎる。


 この老人は飼い主で、自らの所有するドーベルマンと何かしらの意思疎通が図れているのか知らないが、そんなことは他人にはわからない。

 そもそもそれが事実だとしても、意志疎通が出来ていてドーベルマンから危害を加えられないのは老人本人だけであって、そのドーベルマンが老人以外の人間に危害を加えない保証などないではないか。

 さらに言えば『飼い主に忠実だったペットの猛獣が、突然攻撃してきて重傷を負った』みたいなニュースもたまに目にすることがあるだろう。

 自分では意思疎通が図れていると感じていても、人間語を話せない犬と意思疎通を図れていると思うほうが愚かなのだ。

 それは飼い主の身勝手な思い込みでしかない。

 どれだけ可愛いと感じているのか知らないが、そんな確証のない飼い主都合の独りよがりな妄想に巻き込まれるこちらの身にもなって欲しい。


 人間並みの巨体をしたドーベルマンが首輪もつけずに「はっ……はっ……はっ……」とか言って近づいてくる様は、まるで未知のモンスターに遭遇したときの心境と非常によく似ている。


 というか、ドーベルマンって犬の種類で間違いなかっただろうか?

 一瞬、記憶がおかしくなっていると感じたが、私脳死してない?

 なんとなく『マン』ってついているから『ガードマン』っぽいイメージが頭に浮かぶのだが、そうなってくると「あれ? 名称って違っていたっけ?」となってしまうのだ。犬って、これで合ってる?

 ドーベルマンが違うものの総称であるのなら、あの黒くて狼みたいな形の犬の名称ってなんだっけ?

 もしかして、私がアルツハイマーになりかけているのか?

 ドーベルマンって私のことだったっけ?


 ──と、このように、その名称だけで私の記憶すらも翻弄してくるのだ。本当に気が抜けない。



 ここで私が特に念を押して主張したいのは、このドーベルマンが首輪なしでも飼い主であろう老人に忠実であったという部分だ。そこから私が導きだした解を、この場を借りて公開したいと思っている。

 この数年間。誰の目にも触れていなかった、私だけが知っているとっておきの情報だ。今これを読んでいる人はラッキーと言えよう。

 なにせ歴史的真実が明かされる瞬間を、目の当たりにできるのだから──。


 恐らく、この老人は操られていた。


 一見、老人が飼い主でドーベルマンがペットのように思えるが、そうではない。

 実際には老人のほうがペットで、ドーベルマンに飼われている状態なのだ。


 もう少し詳しく解説しよう。

 あのドーベルマンは首輪なしでも『飼い主ということになっている老人』に忠実なふりができる化け物だ。

 『首輪なし』って一歩間違えれば『首なし』って読み間違えられそうだから、場合によっては『首なし騎士』の話でもするのかのように思われそうだが違う。今から私が話すのは『首なし騎士』の話ではない。


 あのドーベルマンは、恐らく中に『何か』が入っている。

 『知能がある何か』が『ペットに首輪すらしようとしないボケた老人』の忠実なペットになりすましているだけなのだ。


 解っていると思うが、通常のドーベルマンといえば通行人に襲いかかってくるのが当たり前である。

 なのに、このドーベルマンは首輪がなくても襲いかかってこなかったのだ。

 もはや中に『何か別の違う知的生命体が入っている』のは疑いようのない事実だろう。


 それが何なのか。そこが問題なのだ。


 私の予想では、まだUMAとしても、都市伝説としても、知られていない本当に未知の生命体であると考えている。

 それが何食わぬ顔をしてドーベルマンの姿を装い、操っている老人のペットになりすまして普通に生活しているのだ。

 近所の人々と挨拶を交わす老人の、その隣で────。


 次に私が考えたのは、その生命体が『どうやってドーベルマンの中に入ったのか』ということである。

 背中にチャックがついている可能性も考えたが、口から潜った可能性も考えられる。

 口から潜れるなら、お尻の穴から潜った可能性だって考えられるだろう。

 さまざまな可能性が考察できるなかで、最終的に私がたどり着いた結論はやはりお尻の穴だと思うのだ。



 このとき考えられるもうひとつの可能性。

 それは老人が『正常であるか、正常でないか』だ。


 だいたい野放しのドーベルマンを引き連れて、手ぶらで並んで歩いてくる老人っておかしくないか?

 そう────

 この老人は、恐らく正気ではなかった。

 少なくとも、もう人間だった頃の記憶など持ち合わせていないのだろう。


 現時点で考えられる可能性はふたつある。

 ひとつ目は、ドーベルマンによって意識を乗っ取られている可能性。

 ふたつ目は、ドーベルマン同様『中にが入っている』可能性だ。


 ひとつ目は文字通りだが、ふたつ目の場合は状況によって深刻さが異なってくる。

 それは『老人の皮の元となったモノ』が何なのかということだ。

 中に入っているのは間違いなくドーベルマンの仲間か何かなのだろうが、老人の皮が『もともと人間として存在していた老人の皮』を使っているのか、ドーベルマンたちが自ら作り、用意した小道具なのかということである。

 もし、もともと存在していた人間自体を改造して、中に入れるようにしたのだとすれば、このドーベルマンは恐るべき生物であると推測できる。


 あれから私は土手道の散歩を辞めてしまったが、今でもこのドーベルマンと老人はあの土手道を何食わぬ顔で歩き続けているのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未確認性Ж生態理論 音村真 @otomurasin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ