第31話 吐露


「ちょっと! なんで灰慈くんがここにいるんだよ!」


 車を運転していた黒古さんは、停車するなり大慌てで出てくる。

 それもそのはず。

 今日行われる水川佳苗さんの火葬では花葬りは行わないことになっていた。

 つまり、灰慈の出番はない。

 黒古さんから事前に連絡をもらっていたし、それが水川さんの意思であることも承知している。


「べ、別に今日は花咲師として来たんじゃないですよ。桜庭花店の仕事でたまたま来ただけですし」

「花ひとつ持ってないのに? 苦しい言い訳だな」


 訝しむ黒古さんの視線がチクチク刺さってくる。


「とにかく、そういうわけなので! 僕はたまたまここにいるだけですから! 本当に!」


 その時、バタンと車の扉を閉める音がした。

 お母さんの位牌を抱えた水川さんが車の中から出てきたのだ。

 彼女は灰慈を一瞥して、それから。


「……勝手にすれば」


 とだけ言って、スタスタと玄関の中へ入って行く。

 相変わらず瞳の色は光を失っており、感情のこもっていない声音だった。

 泣いた痕跡もない。灰慈の方がずっと目が腫れているくらいだ。

 かけがえのない人が亡くなったというのに、落ち着き過ぎている。

 背筋のあたりがぞっと冷えるのを感じて思わず黒古さんの方を見やると、黒古さんは肩をすくめ、水川さんに聞こえないように小さな声で言った。


「まあ、確かに人手は必要になるかもしれん。灰慈くん、あの子から目を離すなよ」




『水川家のみなさま、二番火葬炉前までお越しください』


 館内にアナウンスが響く。

 たまたま居合わせたという名目上、遺族控え室に入ることは黒古さんに許してもらえず、灰慈は先に火葬炉の前で待機していた。

 金森さんの葬儀以来の火葬場。何度足を運んでも荘厳な雰囲気と誰もいない時の奇妙な静寂に圧倒される。

 やがてカツカツと足音が聞こえてきて、灰慈は音がする方を振り返った。


「こんにちは、十代目。黒古さんから聞きましたよ」


 上下黒スーツに身を包んだ白髪の女性。

 白州さんだ。佳苗さんの火葬は彼女が担当するらしい。


「ご迷惑おかけしてすみません……」

「いえ。別に火葬場職員の我々としては何も迷惑なんてありませんよ。招いていないお客さんが増えているなんて、よくあることですし」

「そ、そうなんですね……へえ〜……」


 その物言いからなんとなく人ならざるものが含まれているような気がして、なるべくこの話は深掘りしまいと灰慈は引き攣った笑いを浮かべながら適当に流す。


「それにしても、たかがクラスメートの家族の葬儀のためにここまでします? ああ、キツい言い方に聞こえたらすみません。私、学生時代に仲の良かったクラスメートっていないものですから、十代目のお気持ちが理解できなくて」


 そもそも今日って平日ですよね、学校サボってるんですか? と畳み掛けるように言われ、灰慈はうっと喉が詰まる感じがした。


「自分でも、どうしてこんなことしてるのかなんて説明つかないですよ……。ただ、クラスメートだからというよりは、水川さんに僕と同じ想いをしてほしくないからっていうのが強いかもしれません」

「それは、九代目のことをおっしゃってます?」


 灰慈が何か答える前に、白州さんがスッと姿勢を正した。

 佳苗さんが眠る棺と共に水川さんがこちらへやってきたのだ。

 灰慈も白州さんの隣に立ち、改めて気を引き締める。


 六つ並ぶ炉の中で唯一「二」と書かれた扉だけが開いている。

 棺はその炉の前の台車に乗せられた。


「それでは、最後のお別れです」


 黒古さんが故人の顔を見られる棺の小窓を開き、水川さんを誘う。

 他に遺族はいないのでゆっくりとお別れをする時間があったが、それでも彼女は合掌して瞼を閉じた後すぐ棺から離れてしまった。もうすでに何度もお別れの言葉を交わす機会があったのかもしれないが、やっぱり彼女が毅然とし過ぎているのが気がかりではある。

 白州さんはこの後の流れを水川さんに説明した後で、彼女に真鍮の鍵を握らせた。持ち手のところに「二」と彫られている。


「あの、これは?」

「古い慣習の名残で、遺族の方にお預かりいただくことになっています。お骨上げの時まで持っていてください」


 水川さんは「わかりました」と頷く。

 それを合図にしたかのように火葬場の職員の人たちがやってきて、棺の周りから離れるようにと言った。

 彼女が一歩下がったのを確認すると、職員の人たちは二人がかりで棺の乗った台車をゆっくりと押し出す。


「あ……」


 水川さんの口から、声が。


「待って、お母さ――」


 ガコンと響く音に彼女の声はかき消され、火葬炉の扉はゆるりと閉ざされていく。

 まるで、現世とあの世を隔てるかのように。

 お母さんはもうこの世にいないと、知らしめるかのように。


「ああ……っ! あああああ…………!」


 水川さんが炉に向かって駆け寄ろうとするのを、灰慈は後ろから引き止めた。それでも彼女は強い力で灰慈の腕を引き剥がそうとする。


「離して! お願い、離してよっ……! お母さんが行っちゃう! お母さんがっ……!」


 堰を切ったように彼女の瞳からはぼろぼろと大粒の涙が溢れていた。

 あれだけ落ち着いていたのが嘘かのように、歯を剥き出しにして、全身無茶苦茶にもがいて。


「分かってる。水川さんが辛いのは、みんな分かってる……!」


 灰慈は言い聞かせるように言うも、彼女の耳にはまるで響いていない。

 わんわんと幼い子どものように取り乱し、何もかも拒絶しているようだった。

 それでもと、灰慈は彼女を取り押さえる腕に力を込める。

 想いを伝えるのは言葉だけじゃないと、教わったばかりだから。




 水川さんはしばらく泣いていたが、やがて過呼吸を起こしてしまった。

 遺族控え室までは距離があったので、黒古さんの誘導で火葬炉のそばにある簡素な日本庭園まで連れ出し、そこにある池のほとりの小屋の中のベンチで落ち着くのを待った。


「彼女、連日の葬儀の対応でたぶんほとんど寝れてないんだ。隣に座って肩を支えてやってくれ」


 黒古さんにそう言われ、灰慈は水川さんの隣に座り彼女の背をさすった。呼吸がだんだん落ち着いてくると、水川さんは糸が切れた人形のようにトンと灰慈の肩にもたれかかってきた。普段ならどきりとするシチュエーションかもしれないが、瞼を半分落とし口が薄く開いたままの彼女の顔はあまりに弱っていて、そんな気など起きようもない。

 黒古さんは色々とやることがあるようで、少し席を外すと言った。「何かあれば呼んでくれ」と言い残すあたり、彼も水川さんのことを気にかけているようだ。

 黒古さんが行ってしまうと、あたりはしんと静かになった。と言っても、火葬炉の前の無機質な静けさとは違う。定期的に響くししおどしのカコンという澄んだ音。池の水面で跳ねる魚の水音に、草むらを物色する鳥たちの囀り。時折涼やかな風が吹き、夏に向けて生い茂った木の葉が揺れる音もする。火葬場の敷地内にあるのに、不思議とここは生き物の音に満ちていた。

 ちらりと水川さんの方を見やると、呼吸は穏やかだが瞳からはまだつうと涙が流れ続けていた。

 ずっと、我慢していたのだろう。

 彼女のことだから、お母さんが亡くなっても悲しむより先に、ちゃんと喪主の務めを果たすことを優先してしまった。自分の本当の気持ちを押し込んで、たった一人で強くあろうとしたのだ。


「水川さん。この間はごめん」

「……なんで、桜庭くんが謝るの……?」

「あの後お母さんに聞いちゃったんだ。その……水川さんたちに昔何があったかって話。苦手だって知らなかったとはいえ、大声出しちゃって、ごめん」


 彼女は灰慈の肩の上で小さく首を横に振った。


「……桜庭くんは、ばかだ。お人好しなんかじゃない、回り回って意地悪だ。関わりたくない、関わってほしくないって何度遠ざけようとしても、かえって踏み込んでくる……」


 灰慈はますます申し訳なくなる。そう言われるとストーカーみたいなしつこさである。

 だが、灰慈が再び謝ろうとするより先に、彼女は。


「君のその優しさに、つけ込みたくなる自分が嫌だった」


 そう言って、両手で顔を覆う。

 顔を見せないままくぐもった声で、彼女は付け加えた。

 「大嫌いな父親みたいで」と。




 彼女は語る。

 彼女の目から見た父親は、お人好しで気の弱い母をこき使う悪魔のような人だった。初めのうちはお母さんに対して憐れむような気持ちだったが、徐々に父のハラスメントの矛先が自分に向けられてくるようになり、その感情は怒りと恨みに変わっていった。

 この人は私を助けてくれない。夫の言うことに逆らえない人なのだ、と。

 小学四年生にして、親に甘えることを諦めかけた、その時だった。

 塾の模擬テスト中に吐いて早退した帰り、つい弱音が口をついて出る。

 「もう塾には行きたくない」と。

 言ってからすぐに、しまったと思った。どうせ「お父さんはきっと許してくれない」って言い訳されて、自分が傷つくだけのことを口にしてしまったことを後悔した。

 なのに、母は急にその場でえずいて……美しい顔を吐瀉物で汚しながら、優しく微笑んで言ったのだ。

 「お母さんがなんとかするね」と。

 その時、水川さんは気づいてしまった。

 お母さんが逆らえないのは、夫の言葉だけではないことを。


「だから、あいつが留守の日を狙って唆したの。わざわざ『このままだと嫌いになる』だなんて脅しみたいな言葉を使って、お母さんの優しさにつけ込んだ。それが父親と同じやり口だなんて気づきもせずに……」

「お母さんはそんな風には思っていなかったよ。水川さんの言葉がきっかけではあったけど、自分の意思で離婚することを決めたって」

「そうだとしても……! 実際、お父さんと別れてお母さんは不幸になった! 身体が弱いのに無理して働いて、それで病気して倒れて……! これじゃあ、私がお母さんを殺したようなものでしょう……!」


 顔を覆い隠した両手の中で、嗚咽の音が響く。

 灰慈は薄々理解した。

 お母さんに対して自分がしたと思っている過ちを繰り返したくなくて、あえて灰慈を遠ざけようとしたのだと。


(……水川さんこそ、ばかだ)


 灰慈はギリと奥歯を噛み締めた。

 だけど今の彼女には何を言っても通じないだろう。

 だからこそ、拒絶されてもこの場に赴いたのだ。


「水川さん。僕に花葬りをやらせてくれ」


 顔を隠す彼女の手を引き剥がし、真っ直ぐに目と目を合わせる。

 彼女の黒い瞳は不安げに揺れていた。


「前に一度、烙所山で僕が花葬りするところを見ているよね? なら分かると思うけど、僕は灰を花に変えるだけで、咲く花を選ぶことはできない。どんな花が咲くかは灰になった人の想いや性質に左右される。だから、花葬りをすれば混じりっけないお母さんの本心が分かるよ。水川さんをどう思っているか……それこそ、恨んでいるかどうかもはっきりする」


 でも、と視線を逸らそうとする彼女。

 灰慈は「水川さん」と呼び戻すように名前を呼んだ。


「向き合おうよ。罪だと思っているなら尚更だろ」


 その言葉に、彼女の瞳に一瞬光が戻る。

 長い沈黙。

 やがて彼女は絞り出すように、


「……わかった」


 と灰慈の目を見てそう言った。



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