第28話 彼女を探して



 柳田市駅前は南北で顔が変わる。

 駅前のチェーン店や昔ながらの商店街で栄える南口。まっすぐ南に伸びた「駅前通り」を進んでいくにつれ店はまばらになり、大きな川とそれにかかる橋が見えてくる。その橋を越えた先にあるのが灰慈たちの通う柳田高校だ。

 一方北口はというと、年季の入ったオフィスビルが立ち並ぶ横で、居酒屋やキャバクラなどの夜の店がひしめき合う。そこから少し西側、駅と反対方向に進んだあたりにひっそりとあるのがラブホ街だ。


「こっち側で合ってるんだよね?」


 北口の駐輪場に自転車を停めながら、灰慈は頭に乗っているスズメを見上げて尋ねる。

 灰慈の言葉ではスズメに通じないのか、反応はない。ただ、間違っていたら髪を引っ張って教えてくれるとツヅラが言っていた。無反応ということは合っているということなのだろう。


「……いてて」


 キリキリと胃が痛む感じがして、腹をさする。

 学校は腹痛を理由に早退してきた。半分嘘で、半分は本当。

 灰慈が水川さんに直接会いに行くと言うと、ツヅラは気が進まなさそうな顔をした。彼女のいる場所が場所だ、単に男と過ごしていただけかもしれないし、後のことは担任の先生とか大人に任せておけばいいと思ったのだろう。

 確かに彼の言う通り、彼氏か何かと仲良く過ごして学校をサボっただけなら、わざわざ会いに行くだなんてお節介どころか余計なお世話だ。

 だが、灰慈にはそうではないという確信に近い感覚があった。

 水川さんが一番大事にしているのがお母さんだということはすでに知っている。

 そのお母さんと仲直りできないまま家を飛び出したのだ。きっと今は平静さを失っている。しかもあの性格、下手に大人が介入したら余計に火をつける可能性がある。

 ……かといって自分が行くことで解決になるかは全く自信が無いのだが、何もせずにはいられなくて、勢いのままに学校を飛び出し、今に至る。


「そろそろ行こうか」


 深呼吸して、ラブホ街に続く細い路地を睨む。

 灰慈の言葉に呼応したかどうかは分からないが、頭上のスズメが「チュン」と鳴いた。


 コスプレ喫茶にガールズバー、怪しげなマッサージ屋に、顔を隠した露出多めの女性の看板。目のやり場に困るほど、欲望ひしめくネオン街。ただ、今は真っ昼間ということもあってほとんどの店が閉店しておりガランとしている。人通りも少なく、たまに路上で缶チューハイをだらだら飲んでいる酔っ払いを見かけるくらいだ。


(水川さん……こんなところに一人で来たのかな)


 夕方以降はキャッチやイカつい風貌の人々が往来しだすので、男でさえ一人で歩くのには緊張感のある道だ。

 彼女が危ない目に遭ってないかますます心配になって、再び腹がキリリと痛んだ。


「チュン! チュンチュン!」


 スズメが灰慈の頭から離れ、一本外れた路地の方へと飛んでいく。雑居ビルに阻まれてほとんど陽の差し込まないその通りにはいくつか「HOTEL」と書かれた縦看板があった。

 ごくりと唾を飲み込み、灰慈はスズメの後を追う。

 どのホテルも店の入り口を隠すような壁があって、何分いくらと書かれた料金表がある。外観がオモチャの城みたいに凝ったものもあり、側を歩いているだけで全身がむずがゆくなってきそうだ。

 しばらく進むと、簡易な噴水があるホテルの前でスズメが留まった。噴水の前に誰かがぽつんと腰掛けている。

 見覚えのある服装。ただ、ほんの少しよれたように見えるシャツに、灰慈の胸はちくりと痛んだ。

 それでもと、灰慈は足を早めて駆け寄った。


「……水川さん」


 声を掛けると、彼女は力無く顔を上げた。

 その大きな黒い瞳に、光は灯っていない。


「なんで……」


 ぼんやりと灰慈を眺めたあと、彼女は嘲るような引きつった笑みを浮かべた。


「今、授業中でしょ。なんでここにいるの」

「それは水川さんだって同じだろ」

「同じじゃない」


 ぴしゃりと否定する、冷え切った声音。


「同じなわけがない。桜庭くんみたいに純粋でまっすぐな人とは」

「水川さんは違うの? 僕の目には、お母さんに対してまっすぐな人だと」


 彼女の瞳がめつけてくるように歪み、灰慈は思わず言葉をつぐむ。

 路地が一瞬静まり返った後、彼女は視線を地面に向けた。長いまつ毛が彼女の顔にさらに影を落とす。


「……罪悪感」


 カサついた唇で、ぼそりと。


「私がお母さん想いに見えるんだとしたら、それは罪悪感のせいだよ」

「どういうこと……?」

「もういい。話は終わり」


 彼女は一方的に立ち上がる。

 「終わってないよ」と灰慈が言っても、聞く耳を持たない。


「私のことは放っておいて。桜庭くんには関係ないでしょ」


 そう言って立ち去ろうとする。

 だが、灰慈は彼女の細い腕を掴んだ。

 はっと目を見開く彼女に、灰慈の顔はどう映っていただろうか。


「関係なくなんかないっ……!」


 さっき教室で彼女の特徴を書き出していて実感したのだ。

 この一ヶ月半、色んなことがあった。

 初めて花葬りをした日に彼女とも初めて出会ったこと。入学式の日に助けてもらって、その日のうちに険悪な雰囲気になったこと。灰慈が落ち込んでいる時にはバイトに連れ出してくれたし、彼女がお母さんの手術で頭がいっぱいになっている時には崖から落ちたのを庇ってやった。それから彼女が花屋でバイトするようになったり、彼女の母親に会ったり……。


「僕らもう『友だち』って言ったって良いはずだろ! 水川さんからしたら本意じゃなかったかもしれないけどさ、実質もうそうなってるんだって! 良い加減認めてよ……! 友だちに悩みがあるなら一緒に悩みたいって、そんな風に思ったって良いだろ……!!」


 少し熱が入りすぎてしまったかもしれない。

 表通りまで声が響いたのか、何事かとちらちらこちらを覗き込む人の姿があった。

 灰慈はカーッと顔が赤くなるのを感じて慌てて彼女の手を離した。

 よく考えればここはラブホテルの前。はたから見れば若い男女、激しく言い争いしていたらあらぬことを疑われてもおかしくない。


「ご、ごめん。熱くなりすぎた。どこか入ってゆっくり話そう。あっ、いやその、どこかっていうのはここじゃなくて、カフェみたいなところで……って、水川さん?」


 彼女は無言でその場にうずくまり、両手で耳を塞いでいる。

 よく見ると顔が真っ青になっていて、がちがちと歯を鳴らしていた。

 明らかに様子がおかしい。


「水川さん、大丈夫!?」


 手を伸ばそうとすると、彼女はびくりと肩を震わせた。

 瞳にはうっすら涙が滲んでいる。


「やめて……! お願いだから、大きな声出さないで……!」


 灰慈は慌てて謝ろうとするが、彼女には届かなかった。

 耳を塞いだまま呪文のようにボソボソと呟く。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! お父さん、私が悪かったの……! お願いだから、これ以上お母さんを怒らないで……!」


 いつも大人びて見える水川さんが、この時ばかりは小学生くらいのか弱い女の子に見えた。


「大丈夫だよ水川さん。ここに君のお父さんはいないよ」


 そう言いながら、背中をさすることさえできないのがもどかしい。

 「お父さん」。彼女の口から聞いたのは初めてだ。

 佳苗さんは離婚の理由について「夫婦仲が上手くいかなくなった」としか言っていなかったが、本当にそれだけだったのだろうか。

 徐々に彼女の震えが収まってきた。

 灰慈が何か声を掛けようとする前に、彼女はすっと立ち上がる。


「……もう、大丈夫」


 何事もなかったかのように。

 灰慈に対してというより、自分に言い聞かせるように呟いて。

 彼女はバッグから財布を取り出し中身を確認する。横からチラッと見えた感じ、あまりお金は入ってなさそうだ。

 彼女はホテルを見上げ、溜息を吐く。


「別の方法、考えなくちゃ……家には『あいつ』がいるし……」


 そう言ってとぼとぼと歩いていく。

 灰慈はもう一度彼女を引き止めようとしたが、その手はただ宙を掴むだけだった。再び拒絶されるような気がして、足もその場に根を張ったままだ。


(僕の言葉は、届かなかったな……)


 顔を覆ってその場にしゃがみ込む。

 励まそうとしてか、頭上に留まったスズメがくちばしで小突いてくるのが少しだけ痛かった。




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