第13話 主義と矜持



「これで全部ですね?」


 公園に仕掛けられたカメラが三つ。うち一つは庄内さんが最初に座っていたパンダの遊具の裏にあった。


「いや、ちょっと待て……。念のため、ポケットの中も見させてもらっていいですか?」

「チッ……」


 観念したように庄内さんがジャケットのポケットを裏返す。

 そこから出てきたのはボイスレコーダーに、小型カメラ。


「全く……。データは消させてもらいますよ」

「ちょっ、それだけはやめてくれよ! 葬式に関する撮影は不謹慎ってだけで、別に法に問われるようなことじゃないだろ!?」

「撮影すること自体はそうですね。でも灰慈くん個人の名前・容姿を本人に許可なく配信するってのは彼の肖像権に対する侵害行為ですよ。当然、すでに配信されてしまった動画についても僕の目の前で削除してもらいます」

「ぐぬぬぬぬぬ……! 消せばいいんだろ、消せばっ!」


 庄内さんは吐き捨てるようにそう言って、黒古さんに自身のスマホを見せながら先ほどの配信を削除した。

 それまでのあいだ、灰慈は小さな骨壷を抱き締めてただじっとしていることしかできなかった。未だ、花葬りが配信されたという事実を受け止めきれないでいたのだ。

 どうして? 何のために? タロぽんを視聴者の人たちと一緒に送りたかったから? だったらなぜ、先に一言言ってくれなかったのか。


 一通りデータを削除し終わり、黒古さんは庄内さんの機材を彼に返した。


「さて、どうします? 改めて花葬りを」

るかよ! 撮っちゃだめなら金と時間の無駄だろ!」


 怒鳴り声にひるんでいる間に、庄内さんは灰慈から骨壷をぶんどる。

 そして、それを――思い切り地面に叩きつけた。


「あ〜〜〜〜くそっくそっくそがっ!! とんだ損失だよ!!」


 髪をかきむしりながら地団駄を踏む庄内さんの横で、灰慈は力が抜けたようにその場にへたり込んだ。

 幸い骨壷は頑丈で割れてはいない。

 だが、彼の胸は張り裂けそうだった。


 花葬りを、できない。

 望まれない。

 撮影できない……ただそれだけの理由で。


「こいつを飼うのにいったいいくらしたと思ってる!? ペットショップの売れ残りだったけどな、それでもケージもろもろで十万はかかってんだよ! それも今日この日のため……! 七不思議の一つ、『灰を花に変える人間』ってやつを撮るための投資だったのに!」


 それから彼は延々とこれまでの苦労をぶつぶつ吐き出していたが、ただ鼓膜に耳障りに響くだけで頭には何も入ってこなかった。


「それでは、花葬りはキャンセルということで承りますね。当日なので請求額は変更が効きませんが」


 黒古さんだけは動揺せず、淡々と事務手続きを進めた。

 そのことが余計に灰慈には辛かった。


(黒古さんは、こういう時に怒ったり悲しんだりしないんだ……)


 渋る庄内さんからなんとか料金を受け取り、彼を見送る。骨壷は置いて行こうとしていたが、黒古さんが無理やり持たせた。またどこかに投げ捨てられるのではないかと灰慈はハラハラしていたが、「スズメが見ている」と黒古さんが釘を刺したおかげか、少なくとも二人が見ている前ではちゃんと持ち帰ったようだ。


「……帰ろうか」


 黒古さんがとんとんと灰慈の背中を叩きながら言う。

 灰慈は呆然としたまま、人形のようにかくんと首を縦に振った。




 春日向商店街の中にある、灰慈の家。

 商店街に面している方は花屋になっていて、その裏側の住宅街に面している方は桜庭家の玄関になっている。

 灰慈が玄関扉を開けると、大きな白い毛玉が突進してきた。


「わふっ! わふっ! わふっ!」

「わ、ちょっとクララ!」


 「く〜〜〜〜」と嬉しそうな鳴き声を上げてじゃれついてくるのは、桜庭家の愛犬・クララである。サモエドと呼ばれる犬種で、体長は二本足で立つと灰慈の首元くらいまである大型犬だ。


「お客さん、お客さんがいるから!」


 灰慈がなんとかクララを引き剥がすと、しょぼんとした表情で見つめてくるのがなんとも愛らしい。きゅうと胸が締め付けられる気がして、灰慈はクララを強く抱きしめ直した。もふもふして……温かい。自然と涙が滲んで目の端からこぼれそうになる。


「灰慈? 帰ってきたのかい」


 居間の方から母さんが出てきた。夕飯の支度中だったのか、エプロンをつけて片手にはおたまを持っている格好だ。灰慈の後ろに黒古さんが立っているのに気づき、慌てて居住まいを正す。


「あら黒古さん! わざわざ送ってくださったんです? 灰慈ももう高校生なので放っておいてくださって大丈夫でしたのに」

「いえ、咲恵さきえさん。実は今日、ちょっと色々ありましてね。灰慈くんと少し話をしたいんですが、上がらせていただいても?」

「どうぞどうぞ! 和室が空いてるので使ってくださいな。片付いてないのでお恥ずかしいですけれど!」


 そう言って母さんはクララを連れて居間に戻っていった。

 灰慈は黒古さんを居間の隣にある和室へと案内する。と言っても、案内するまでもなく黒古さんは部屋の場所も勝手もよく知っているのだが。和室というのは元々はじいちゃんが使っていた部屋で、黒古さんと仕事の打ち合わせをすることも多かった。今はじいちゃんの仏壇が置いてあるだけで、こうしてたまにお客さんが来る時の客間として使われている。


「この部屋に来るのも久しぶりだな」


 黒古さんはじいちゃんの仏壇にお線香を上げた後、ネクタイを緩めながら座布団に腰掛けた。

 確かじいちゃんの葬儀の打ち合わせもこの部屋でしたっけ。そんな話をしていたらノックする音が響き、返事をする間もなくガラッと引き戸が開けられた。


「……お茶持ってきましたぁ」


 むすっと頬を膨らませ、不満げな様子で現れたのは黒髪ポニーテールの部屋着の少女。灰慈の一つ下の妹、炭蓮すみれである。彼女はちゃぶ台に乱暴に湯呑み二つどんどんと置くと、何も言わずピシャリと扉を閉めて部屋を出ていってしまった。突然のことに目をぱちくりさせる黒古さんは、炭蓮が去った足音を聞いた後に灰慈に耳打ちして尋ねてきた。


「なんか……炭蓮ちゃん、反抗期?」

「すみません……。春の県大会でライバル校に負けてから気が立ってるみたいで」

「あ、そうか。今ソフトボール部のキャプテンなんだっけ」

「はい。今年で最後だから、全国目指してるらしいですよ」

「すっごいなぁ。灰慈くんとは違う世界で活躍しているわけだ」


 灰慈は苦笑いを浮かべながら頷く。

 血の繋がった兄妹だが、炭蓮に花咲師の能力はない。一族の中でも能力を発現できるのはほんの一握りで、誰もが御伽術師になれるわけではないのだ。

 ただ、そうは言っても炭蓮には灰慈にない才能がある。運動神経、学力、コミュニケーション能力、そして整った可愛らしい顔立ち。花咲師の能力を除けば突出した才能のない灰慈に比べ、炭蓮は才色兼備・文武両道のエリート中学生なのだ。

 そんな彼女を、時折羨ましく思う。炭蓮からしたら無い物ねだりだと怒られるかもしれない。それでも、特殊な状況でしか能力を活かせないことよりも、常日頃表舞台で能力を発揮できることに憧れを抱くことだってある。

 たとえば今日みたいに、自分の無力さを突きつけられた時は。


「庄内さんのことは、災難だったな」


 黒古さんは茶をすすりながら言った。

 灰慈はただ意味もなく湯呑みの中を見つめていた。濃い緑の茶の表面に不安げに歪んだ自分の顔が映っている。


「……気づいていたんですか」

「ん?」

「黒古さんは、庄内さんがああいう人だってこと、気づいていた感じでしたよね」


 一呼吸置いて、黒古さんは「まあな」と呟く。


「爬虫類のペット火葬は今日が初めてじゃない。だからあの飼育環境とイグアナの遺体を見てすぐに死因が分かったよ」

「そういえば、部屋を出る前に何かが無いって言ってましたよね。何だったんですか?」

「ホットスポットだ」


 ホットスポット。

 灰慈がオウム返しのように尋ねると、何なのか詳しく説明してくれた。熱帯地域を生息地とするペットを飼うのに必要な設備で、人工的に日光浴ができるような環境を整えてあげるためのものらしい。

 日本の自然環境は彼らの元の生息地と比べると温度も湿度も違う。特に冬場は冷えるので、ホットスポットがないと体調を崩してしまうのだ。


「飼育環境の悪さによってできたのがあの尻尾のまだら模様だ。脱皮不全と言うらしいが、庄内さんは元からあった模様だと言った。本当か嘘かは知らないが、イグアナの体調不良に気づいていなかったのは間違いない」

「ひどい……」

「それに最後に本人が言ってたろ。七不思議の花葬りを撮影するためにペットショップの売れ残りを買ったって。だからおそらく、あえてホットスポットを準備しなかったんだ。そうしたら直接手を下さなくとも冬を越せなくて死ぬと考えたんだろう」


 吐き気が込み上げてきて、灰慈は思わず口元を押さえた。

 視界が滲む。

 哀れなイグアナのことを思うと、涙が止まらなかった。


「僕は……そんな人の動画のために、花葬りを……っ!」


 嗚咽おえつで言葉が続かない。

 花葬りは、故人や遺族のための尊い儀式のはずだ。

 それなのに。

 それなのに……。


けがされた気がしたか?」


 黒古さんの言葉に、灰慈ははっと顔を上げる。

 そして彼の視線の鋭さに息を呑む。


「言っておくが、撮影なんかされていなければ予定通り花葬りはやるつもりだった」

「どういう、ことです……?」

「言ったろ。『俺らは俺らの仕事をやることに変わりはない』って。俺らがやっているのは慈善事業じゃない、死を取り扱うプロフェッショナルの仕事だ。死の前に命は平等。善人も悪人もない。だから差別はしない。相手が極悪人だろうと、依頼されればきちんと送ってやる。それが俺の葬儀屋としての矜持だ」

「たとえ悪人でも……」


 今日現場に向かう前に黒古さんとクラスメートについて話していたことを思い出す。


 ――いるよね。ああいう、自分の考えを一方的に押し付けてくる悪人。

 ――灰慈くんは純粋だから。そういうところが彼女にとってイラッと来たんだろう。

 ――その子が言いたかったようなことはこの仕事してたら嫌でも思い知ることになると思うぜ。


 灰慈は俯いた。

 ぽたぽたと涙がこぼれ、ちゃぶ台に水たまりを作る。

 そんな自分の弱さがますます嫌になった。


「すまん、少し言い過ぎたかな」


 黒古さんの申し訳なさそうな声に、灰慈はぶんぶんと首を横に振った。


「誤解しないでほしいんだが、君が理想主義なのを否定する気はない。純粋ってのは素敵なことだ。ただそれだけだと、この仕事を続けていくにはしんどいぜ」


 彼の言う通りだと思う。

 無意識のうちに全ての死が悼まれ悲しまれるものと思い込んでいたが、必ずしもそうとは限らない。さまざまな生き方があるように、さまざまな死に方がある。


「なら、教えてください。じいちゃんは、こういう時どうしてましたか?」


 灰慈はすがる。 

 じいちゃんはあまり仕事の話を家でしない人だった。

 だからこういう時、いわゆる悪い人の葬儀に関わる時、どんな感情で、どんな態度で臨んでいたのかを知りたかった。

 長いあいだ共に仕事をしてきた黒古さんならきっと知っているはずだ。


 逡巡。

 何か迷うような間があった後、黒古さんはようやく口を開いた。


「悪いが、今の君には灰ノ助さんのことを教えられない」

「え……?」


 愕然とする灰慈に構わず、黒古さんはずずっとお茶を飲み干して湯呑みをちゃぶ台に置いた。


「ま、とりあえず少し休むといい。また気が向いたら連絡してくれ」

「待ってください、黒古さん……!」


 引き止めようとしても、聞いてはもらえなかった。

 黒古さんは「じゃあな」と言って和室を出ると、居間にいる母さんに声をかけて帰ってしまった。


(どうして……)


 教えてくれたって良いじゃないか。

 花咲師は他にいない。じいちゃんが亡くなった今、黒古さんだけが頼りなのに。

 どうして何も教えてくれないのだろう。


 ぐちゃぐちゃの顔を家族に見られたくなくて、灰慈はそっと和室の扉を閉める。

 隣の居間で母さんに炭蓮、ばあちゃんが何やら楽しげに談笑しているのが少しうっとうしかった。

 イヤホンをつけ、畳に寝っ転がり、ダラダラとスマホを眺める。

 SNSを開くと、誰かがやなぎんチャンネルの過去の動画をシェアしているのが目に入った。数ヶ月前のタロぽんが映っている雑談配信だった。


(ごめん……。何もしてあげられなくて、ごめんな……)


 白木の箱の中で穏やかに眠るイグアナの姿を思い出し、灰慈の瞳からはまた涙がこぼれ落ちるのであった……。



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