第14話 変わらぬ日常



 イグアナの葬儀から一週間が経った。

 四月も半ばを過ぎ、花の季節から新緑の季節へと変わり始める頃。

 放課後の静かな教室。

 灰慈は一人、日直の日誌を書いている。

 あれ以来、黒古さんからの連絡はない。一週間に一件も葬儀がないということはないだろうから、灰慈から声を掛けるまで花葬りの依頼をしてこないつもりなのだ。

 一度だけ供花を受け取りに家に来ているのを見かけたが、「よっ」と軽く手を振るだけですぐに仕事に戻ってしまい、それ以上は話さなかった。

 黒古葬祭のサービスの中において、花葬りはあくまでオプションメニューの一つだ。だから、それがなくても誰も困ることはない。花葬りがなくても、花咲師がいなくても、世の中は何事もなく回っていく。

 日誌を書き終え、灰慈は誰にも聞かれることのない溜め息を吐いた。

 窓からはさまざまな音が絶え間なく入ってきて賑やかだった。運動部の掛け声、吹奏楽部の演奏の音、どこかの教室から漏れる談笑。


(こんなことならどこかの部活に入っておけば良かったかな)


 体験入部の期間は過ぎ、クラスのほとんどは何かしらの部活に入ったらしい。みんなホームルームが終わるとそそくさと教室から出て行き、それぞれの居場所へと向かっていく。唯一放課後に何も用事のない灰慈がのんびりしていたら、クラスメートの女子に日直の仕事を代わってほしいと勢いのままに押し付けられ、今に至る。

 ……そろそろ帰るか。

 灰慈は重い腰を上げて、教壇の上に積まれた課題のテキストの山を両手で抱える。帰る前にこれと日誌を職員室に提出しなければいけない。

 灰慈たち一年生の教室がある校舎と、職員室がある校舎は別だ。渡り廊下で移動する途中、他のクラスや他の学年の生徒たちとすれ違い、やたらと視線を向けられた。灰慈に聞こえないようひそひそと小声で何か話す生徒たちもいた。髪色でそもそも目立つというのもあるが、一瞬とはいえやなぎんチャンネルの配信に出演してしまったので、それが噂になっているらしい。

 灰慈は再び溜め息を吐く。

 庄内さんの先日の動画についてはネット上では賛否両輪に分かれている。

 久々の七不思議動画を見られると期待した人からの不満の声。

 ペットとはいえ葬儀の様子を配信しようとしたことを不謹慎だと批判する声。

 庄内さんがすぐに動画を削除しても、一瞬の配信をスクリーンショットを撮っていた人もいて、中には「やなぎんがダメなら俺らでこの花咲師ってのをとつしよーぜw」なんていう投稿もあった。

 ただ、それ以上に見ていて辛かったのは花咲師の存在や花葬りのことをヤラセだと疑っている人が多いことだ。

 「やなぎんの自作自演でしょ」「注目集めのための炎上騒ぎ乙です」「どうせマジックのたぐいじゃね?」……そんな投稿を見て気落ちしている灰慈を心配したツヅラが、スマホからSNSのアプリを一旦削除してくれたのだが、一度目にしてしまったものはなかなか脳裏に焼き付いて消えてくれなかった。


「こういうのはきっと時間が解決する。あんまり酷いのがあったら俺が父さんに言ってなんとかしてもらうから。黒古さんに言われた通り灰慈は何も考えず少し休んだらいい」


 ツヅラの言葉は正しいと思う。

 だが何も考えずにはいられなかった。

 それでは答えが出ない気がして。

 いつまでも花咲師に戻れない気がして。

 堂々巡りと分かっていても、あの時どうすれば良かったのかを延々と考えてしまう。


 職員室の前まで来て、見慣れたシルエットが出てくるのが見えた。

 水川雪乃。

 毎日教室で顔を合わせているが、入学式の日以来ずっと言葉は交わしていない。それは灰慈だけでなく他のクラスメートも同じだが。いつもどこか不機嫌そうで、他人と関わり合おうとしない。授業が終わるとそそくさと帰ってしまう。だから彼女がこの時間に学校にいることが少し意外ではあった。

 ぱっちりと開かれた目がこちらを見ている。

 彼女の方も灰慈に気づいたらしい。

 そして灰慈の抱えているテキストの山を見て、眉間に皺を寄せる。


(な、なんだ? 僕、彼女のかんに障るようなことしたか……?)


 おどおどとしていると、背後に人の気配を感じた。


 ――ピコン。


 その音を聞いた瞬間、さーっと全身が粟立つ。

 振り返ると、三年生らしき男子生徒二人がスマホのカメラをこちらに向けていた。

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、青ざめる灰慈の様子を録画している。


「ねー、君こないだやなぎんチャンネルに出てたっしょ? 実際のとこどうなのよ、あれ。やなぎんの自作自演なんじゃないの? 協力金とかもらったりした?」


 やめて。やめろよ。……やめてくれ!

 だが、灰慈の喉は縮み上がってしまって声が出てこない。

 口をぱくぱくとさせる様が面白かったのか、上級生たちはケラケラと笑うだけだ。

 今すぐスマホを奪って撮影をやめさせたいのに、なぜか両手はテキストの山を強く抱きしめるだけで離そうとしない。

 悔しい。

 情けない。

 中学の時からずっとこうだった。髪の色のせいで意味もなく不良に絡まれて、何か言われても、拳を向けられても、震えることしかできなくて。

 全身が相手の悪意を拒絶してしまうのだ。

 目の前に害なす相手がいても、きっと自分が怒らせてしまったんだとか、たまたま虫の居所が悪いだけできっと本当は優しい人なんだとか、そんなことを考えてしまって手を出すことができない。

 だから自衛しかできなくて、髪を黒く染めた。

 そんな灰慈を見たじいちゃんが、一瞬悲しそうな顔をしたのをよく覚えている。

 高校生になったら、花葬りをするようになったら、なんとなく変われる気がしていた。

 でも、実態はこうだ。

 やられっぱなしで、何もできない――


「やめなよ」


 落ち着いた声が響く。

 水川さんだ。

 彼女は上級生にスタスタと歩み寄ると、細い手首でスッと相手のスマホを奪った。


「あっ、ちょ、なんだよ!」

「嫌がってるのが分からない? 馬鹿なの? そんな頭じゃ受験落ちるよ」

「はぁっ!?」


 上級生が声を荒げるも、それで中にいる先生の一人が騒動に気づいたのか「なんだなんだ?」と廊下に出てきた。受験を控える三年生にとっては学校内のトラブルは厳禁だ。二人とも水川さんからスマホを取り返すと、舌打ちしながらそそくさと去っていく。先生も「なんだったんだ?」と首を傾げながら職員室に戻っていた。

 灰慈が呆然と立ち尽くしていると、不意に腕に抱えているものが軽くなった。水川さんが半分持ってくれたらしい。


「え? あの……」

「手伝う。担任のとこ持ってくだけでしょ」

「う、うん……」

「あと、さっきの動画消しといたから」

「そっか……。ありがとう、水川さん」

「別に。ああいう悪い奴ら、嫌いだから」

「…………」

「今度は否定しないんだ?」


 水川さんが不思議そうに横から顔を覗いてくる。

 灰慈は見られたくなくて顔を隠すように俯く。


「桜庭くん、絶対何かあったよね」


 意外にも彼女は灰慈の名前を覚えてくれていたようだ。

 そのことに少し感動したが、同時に彼女はクラスメートの名前を覚えるような人ではないと思い込んでいた自分に嫌気が差して何も言う気になれなかった。

 黙り込んでいると、水川さんは呆れたような長い溜め息を吐いて、一瞬スマホで時間を確認して、それから。


「この後ちょっとついてきて」


 そう言って、灰慈の返事を待たずにスタスタと前を歩くのであった。


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