第10話 彼女との再会



「ンなっっっっんざますか、その髪の色は!!」


 ぽかぽかと暖かい春の陽射しの中、初々しい新入生たちで賑わう柳田高校正門前。そこに、突如として甲高い声が鳴り響いた。

 何事かと周囲の人々の視線が集まるその先には、「生徒指導」の腕章をつけたベージュスーツの先生に詰め寄られる桜髪の新入生が一人。


「髪染めは校則違反ざます! それを入学早々破るとは……!」

「ご、誤解ですよ! これ、地毛なんですって! 本当ですって!」

「嘘おっしゃい!! そんなピンク髪で生まれる日本人がありますか!!」


 ぴしゃりと一刀両断。どうやら聞く耳を持ってもらえなさそうだ。

 灰慈が御伽術師であること、地毛が桜色であることは入学前に学校に説明しているはずなのだが、この先生には伝わっていないのだろう。

 ツヅラに助け舟を求めようとしたが一足遅かった。彼は忽然こつぜんとこの場から姿を消していた。人混みが苦手なのでそそくさと退散してしまったらしい。彼が裏門から入ろうと言ったのを聞いてやらなかったことが悔やまれる。


「さぁ、覚悟するざますよ……!」


 いつの間にか先生の手には黒染め用のスプレー缶が握られていた。はぁはぁと鼻息荒く、灰慈の髪に狙いを定めて迫ってくる。

 周囲からは哀れみの眼差し。ああ、こんな形で入学初日から注目を集めたかったわけではないのだが。

 灰慈は両手を挙げながら、先生を刺激しない程度にじりじりと後退する。


「せめて、担任の先生に確認してもらえませんか? たぶん、これが地毛だって伝わってるはずなので」

「なら、クラスをおっしゃい」

「それは……」


 まだ学校内に入れていないので知るよしもない。


「ほうらご覧なさい! 言えないということは、でまかせざますね!」

「い、今のはずるくないですか!?」

「ええい、問答無用ッ!」


 カチリとスプレー缶のストッパーが外される音がした。

 なんて理不尽。

 だが抵抗しても話を聞いてもらえる雰囲気ではない。むしろさらに面倒ごとになりそうな気さえする。

 灰慈は諦め、目をつむった。

 どのみちこういうスプレーの効果は一日限りだ、今日だけの辛抱……。


 シューーーーッ。


 スプレーが噴き出す音がした。

 だが、灰慈に何かかかっている感触はない。


(あれ……?)


 恐る恐るまぶたを開ける。

 そして目の前の光景に息を呑んだ。


「な……、な……!?」


 先ほどまで灰慈に詰め寄っていた先生がワナワナと震えている。

 それもそのはず、灰慈にかけるはずだったスプレー缶が後ろに立っている何者かに奪われ、自分の背中に噴きつけられているからだ。

 当事者含め、周りで様子を見ていた生徒たちも皆呆気にとられてしんとする中、スプレーを奪ったぬしの凜とした声が響いた。


「その子、地毛だって言ってるじゃん。生徒の話を聞かないのは、校則違反にならないの?」


 それは、どこかで聞き覚えのある声だった。


「あ、ああ……っ。わたくしのジャケットがぁぁ……っ」


 先生が汚れたジャケットを抱きしめてその場に崩れ落ちる。そこでようやく相手の顔が見え、灰慈は思わず「あっ」と声を上げた。

 艶のあるショートボブの黒髪に、ぱっちりと開かれたアーモンド型の瞳。

 昨日黒古さんと待ち合わせたカフェで店員をしていた女の子だ。


(同じ学校だったんだ……)


 しかも制服のネクタイは赤。灰慈のネクタイと同じ色、つまりは同学年である。

 目が合って、礼を言おうとするも、彼女はすっと顔を逸らしてしまった。そして何事もなかったかのようにスタスタと校内へ入っていく。

 やがて騒ぎを聞きつけた別の先生がやってきて、激昂する生徒指導の先生をなだめながら野次馬になっている生徒たちを解散させた。灰慈の髪が地毛であることも説明してくれて、ようやくその場から解放されるのであった。




 彼女の名前は水川雪乃みずかわゆきのというらしい。

 なぜ分かったかというと、クラスが同じだったからだ。


「太田勇輝、夏木立なつこだち一中出身です! 部活はサッカー部に入る予定! 趣味は……えーっと、動画かな! 最近地元の七不思議を徹底検証するチャンネルにハマってて……」

「あ、それ俺も見てる!」

「私もー! 『やなぎんちゃんねる』でしょ?」

「そうそう! 相棒のイグアナくんが可愛くてさー」


 入学式後のホームルーム。クラスメートとの初対面。

 流行りの動画の話題で教室中が盛り上がっている中、ふと彼女の方を見やれば退屈そうな表情で窓の外を眺めていた。

 まだ高校生活始まって数時間だが、すでに彼女はクラスの中で浮き始めている。

 ホームルームが始まる前、早速席の近い人同士で自己紹介やら連絡先の交換やらが行われていたのだが、彼女がその流れに乗る気配は全くなかった。中には果敢に「今朝の見てたよ」と話しかけたやつもいたが、「だから何?」と返されて散っていった。一匹狼というのだろうか。あまり人と関わるのが好きではないらしい。そんな近寄りがたい雰囲気なので、灰慈もまだお礼を言えていない。


「はい、じゃあ次は桜庭くんねー」


 いつの間にか自己紹介の順番が回ってきていた。

 おっとりとした雰囲気の担任の先生に呼ばれ、灰慈はその場で立ち上がる。


「桜庭灰慈、春日向はるひなた二中出身です。こんな見た目ですが……不良じゃないです。『花咲かじいさん』の御伽術師なので、生まれつきこの髪の色なだけで」


 先生も「本当だよー」と補足してくれた。クラスメートたちも「へぇ」「そうなんだ」とさほど驚く様子はない。灰慈はホッとした。中学の頃とは大違いだ。この髪の色のせいで不良に目をつけられたり、逆に話しかけただけで怖がられたりしたことが何度あったことか。高校生ってやっぱり大人なんだなぁ、と少し感慨深くなる。


「花咲師の仕事があって、部活はたぶん入らないです。趣味は……筋トレ、かなぁ」


 そこでどっと笑いが起きた。そんなに笑えることを言ったつもりはなかったが、温厚そうな灰慈が筋トレに打ち込んでいるというのが意外だったようだ。

 今度オススメの筋トレメニュー教えてよ、なんて前の席の男子が声をかけてくる。

 良かった、ひとまず自己紹介はうまく行ったようだ。

 ただ、花葬りの話はできる雰囲気ではなかった。言うなれば今日は「ハレ」の日。教室は入学したての浮かれ気分に満ちており、人の死についての話題を口に出すのははばかられてしまった。


 だが、そんな気遣いをした灰慈に対し、彼女は。


「……水川雪乃。冬冴月ふゆさづき一中」


 たったそれだけ言って、席に着いてしまった。

 春の陽気に満ちていた教室の空気が、一瞬だけ冬の寒さに戻った気がした。




 ホームルームが終わり、生徒たちがばらばらと教室を出て行く。

 彼女もまた帰ろうとしていたところ、灰慈は慌てて声をかけた。


「あの、水川さん!」


 彼女よりも先に、まだ教室に残っていた他の生徒たちが一斉に振り返る。あの子に話しかけるなんて勇気あるな、なんて思われているのだろう。確かに勇気はいったが、今日中に伝えておかなければ機会を逃しそうだったから。


「今朝はありがとう。助かったよ」


 すると彼女は立ち止まってくるりと振り返った。

 ぱっちりと開いた瞳にじっと見つめられ、少し緊張する。

 やがて彼女はその薄い唇を開いて言った。


「別に。私はただあの先生が気に食わなかっただけ」

「そ、そっか」

「いるよね。ああいう、自分の考えを一方的に押し付けてくる悪人」

「悪人……」


 その言い方が妙に刺々しかったからだろうか。

 なんだか引っかかる気がして、素直に呑み込むことができなかった。


「そこまで悪くは思ってないよ。他の先生から話してもらったら分かってくれたし。生徒指導してるくらいだから、きっと学校思いの良い先生なんだよ。だから、水川さんもスプレーのことは後で謝っておいた方が」


 その瞬間、彼女の瞳から光が消えた。

 やってしまった。

 何が彼女のかんに障ったかまでは分からないが、怒らせてしまったことだけはよく分かった。


「……だったら放っておけば良かった」


 わずかに震える低い声。

 形の良い瞳が歪み、睨みつけるように灰慈を一瞥する。

 何か弁明する余地はなかった。

 彼女はスッと身を翻し、さっさと教室を出ていく。

 灰慈はその場に立ち尽くすしかなかった。


 「気に食わない」。「悪人」。「放っておけば良かった」。


 様子を見ていたクラスメートたちがなんだか励ますようなことを言ってくれている気がしたが、彼女の突き放すような言葉がこびりついて、あまり耳には入ってこなかった。


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