第8話 春の再来
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お母さんへ
三ヶ月ぶりですがお元気ですか?
今日は、ずっと言えなかったことを伝えようと思います。
実は、彼とはもう別れています。
二年前……お母さんに彼を紹介して三ヶ月経たないうちに、彼の浮気が発覚したんです。
私が就職活動で忙しかった頃のことでした。
ショックで就活には身が入らなくて、卒業までに内定をもらうことができませんでした。
そんな自分がみじめで仕方なくて、ずっとお母さんに言えませんでした。
黙っていてごめんなさい。
今は居酒屋でバイトしながら資格勉強をしています。
手紙に本当のことを書こうと思ったのは、バイト先に来たお客さんに説教されてしまったからです。
最初は何このおじいちゃんうるさいなって思ったけれど、自分のお母さんに意地張って会わなかったことをずっと後悔してる、君はそうなるなって話を泣きながらし始めて、思わず私も泣いてしまいました。
お母さんと仲直りしたい。
でも、今更なんて言えばいいか分からない。
そんな話をしたら、おじいちゃんが代わりに手紙を書いてくれるというので、代筆を頼んでいます。
新しい住所を書いておきます。
お母さん、今度の休みに会いに来てくれないかな。
待っています。
さつきより
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「初仕事お疲れ」
火葬場のエントランスで高山さんを見送った後、黒古さんが自販機で買ったコーラ缶を差し出してきた。近くのベンチに腰掛けて一服。強めの炭酸が全身に染み渡っていく感じがした。
「高山さん、無事にさつきさんに会えるといいですね」
黒古さんは「ああ」と頷き、自身のコーヒー缶を開ける。
金森さんの部屋には、彼が文通を続けるためにまとめた「高山さつき」についての資料がたくさん残っていたが、その中に一つだけ若い女性が書いたらしい住所と名前のメモ書きがあった。居酒屋のロゴが入ったメモ用紙。名前は「高山さつき」。金森さんの偽装の筆跡とも違う字で書かれたそれは、おそらくさつきさん本人が書いたものだろうと灰慈たちは踏んでいる。
「そういえば今朝、なんで高校生になったばかりで花葬りを始めるのか、みたいなことを聞かれましたよね」
「ん? 聞いたっけか」
黒古さんはとぼける。確かに言葉にはしていないが、どう考えたってあのカフェでのやりとりは灰慈を試していた。朝イチで嫌な汗をかかされた側はよく覚えている。
「今日初めて花葬りをやってみて、改めて思いました。
灰慈は右の手のひらを膝の上で広げて見つめる。
よく冷えた缶を握っていたはずなのに、まだ儀式の時の灰の熱が残っているような感覚があった。
「僕、頑張ります。一日も早くじいちゃんみたいな花咲師になれるように」
「そうか。それなら……」
黒古さんはにっこりと笑い、そしてとんとんと灰慈の肩を叩いて囁く。
「まずは、現場でのマナーとルールをきっちり覚えてもらおうか?」
心なしかいつもより低い声で。
「えっと、あの……」
「今日はご遺族がいなかったから特に言わなかったが、基本的に故人様の持ち物を勝手に改めるなんて絶対ダメだ」
「うっ」
「あと靴下。くるぶし丈は次から避けるんだな。座った時に肌が見えてご遺族の中には気にされる方もいる」
「は、はい」
「それから――」
ダメ出しの嵐を覚悟して灰慈が身を縮めていると、ぽんと頭を軽く叩かれた。
「灰ノ助さんが君に期待していた理由はよく分かったよ」
「……え?」
見上げてみても、黒古さんはにっと歯を見せて笑うだけでそれ以上は語ってくれなかった。
「さ、帰った帰った。俺はまだ後片付けがあるけど、灰慈くんは明日から学校が始まるだろ。早く寝て入学式に備えなくちゃな」
よく晴れた空は茜色に染まり始めている。
スマホを見ると、ちょうど母さんから「そろそろ夕飯だよ」とメッセージが来ていた。
灰慈はコーラを飲み干し、黒古さんに向かってペコリとお辞儀する。
「あのっ、今日はありがとうございました! これからもよろしくお願いします……!」
「ああ、よろしくな。頼りにしてるぜ、十代目」
十代目花咲師。
まだ着慣れないぶかぶかの制服のような肩書き。だが、これからは胸を張って名乗ることができる。そんな気がして、灰慈は密かにぐっと拳を握るのであった。
***
小さくなっていく灰慈の姿を見ながら、黒古は煙草に火をつける。
陽が沈みかけても外はまだぽかぽかと暖かい。
(春だな)
思いを馳せるのは一年と少し前のこと。
あれはそう、花葬りを終えた灰ノ助を自宅まで車で送っている時だった。
「わし、もうすぐ死ぬかもしれん」
後部座席に座る灰ノ助の突然の言葉に一瞬思考が停止した。思わず前方車両にぶつかりそうになって、慌ててブレーキを踏む。後続の車両からブーイングのクラクションが鳴り響いた。
「勘弁してください! 本当に死ぬとこでしたよ、俺まで一緒に!」
「すまんすまん、あとこの十五ページの水着の子、ええの〜。横乳のラインが絶妙じゃ」
「まさか、グラビア誌見ながら話してます……?」
「仕方ないじゃろ〜。家だとばあさんと
「だからって大事な話する時くらいはやめてくださいよ……」
黒古はがっくりと首を落とす。
葬儀の場ではしゃんとしている九代目花咲師だが、普段の姿はどこにでもいるただのスケベ爺だ。
「とにかく、死ぬなんて冗談でも言わないでくださいよ。っていうか、僕らの仕事上冗談にはしてほしくないですが」
「うん。だから冗談じゃないんじゃ」
「ええ……」
ルームミラーで後部座席の様子を確かめれば、灰ノ助の目は相変わらずグラビア誌に釘付けのままであったが、確かに黒古をからかっている雰囲気ではない。
「わしはたぶん、もう何年も
「そんなこと言わないでくださいよ。灰慈くんには高校生になるまで花葬りをさせないんでしょう? だったらせめて、それまでは頑張っていただかないと」
「うん。じゃから、灰慈には悪いと思っとる」
「……本当に、冗談じゃないんですね」
長いため息を吐くと、フロントのグローブボックスを開け、その中から封筒を一つ取り出した。
「
「おほぉっ! 分かっとるのう〜〜〜〜! さっすが宗司じゃ!」
うきうきと早速封を開ける灰ノ助に呆れながら、黒古は煙草をふかす。
普段は車内で吸わないようにしているのだが今だけは特別だ。
柳田市の中心地に入り、
「……俺はまだ、灰ノ助さんと仕事したいですよ」
ずずっと鼻をすすりながら呟く。
人前で泣くなんていつ以来だろうか。たぶん、葬儀屋の仕事を初めてすぐの頃にひどい失敗をした時以来だ。その時もそばに灰ノ助がいた。古い付き合いだから彼の前ではつい気が緩んでしまう。
灰ノ助は封筒の中身をそっと元に戻し、後ろから黒古の背を軽く叩いた。
「宗司、灰慈を頼むな。あの子はまだ子どもじゃが、きっとわし以上の花咲師になる。それはわしが保証する」
「灰ノ助さん以上、ですか?」
「ああ。あの子はわしと違って芯から優しい子じゃから」
黒古は顔を上げられなかった。
すぐには受け入れられない。彼にとっては灰ノ助が一番の花咲師だ。
灰ノ助が行う花葬りは、遺族や故人だけでなく、時に葬儀の場で働く人々の心も救う。彼が仕事場に一緒にいてくれることがどれだけ心強かったか。
それだけじゃない。灰ノ助は黒古にとって師匠と言っても過言ではなかった。黒古は先代社長の父親の後を継ぐ形で今の仕事をしているが、父は職人気質の厳しい人だったので直接教わることはほとんどできず、灰ノ助を頼ることもしばしばあった。
静かに
「……じゃ、わしはそろそろ行くよ」
後部座席の扉が開く。
二月の冷たい風が吹き込んできて、車内が一気に冷える感じがした。
春はまだしばらく来ない。
その時はそう思ったのだが……。
「黒古さん」
声をかけられてはっと現実に戻る。
火葬師の末理が両手を胸の前で抱えて後ろに立っていた。
「一輪、まだ残っていたので」
彼女がそっと手のひらを開くと、小さなスズランがその中にあった。
「春を告げる花、とも言うそうですよ」
風に触れると、スズランがキラキラと輝き、粒子状になってその姿を消す。
花葬りで咲いた花は少し時間が経つと消えてしまうのだ。
「春を告げる、か」
黒古は茜空を見上げて微笑んだ。
ようやく長い冬が明けたような気がする。
(灰ノ助さん。約束通り、今度は俺が灰慈くんをサポートしますよ)
ベンチから立ち上がり、緩めていたネクタイを元に戻す。
さて、もう一仕事。
……その前に。
「ところで末理ちゃん。この後仕事終わったらどっか飲みにでも」
「すみません、今日は予定があるので」
食い気味に即答であった。
彼女はくるりと背を向け、スタスタと火葬場に戻っていく。
「はは、いつも通りつれないねぇ……」
まあ、そこが彼女の良いところでもあるのだが。
苦笑いして、黒古もまた仕事に戻るのであった。
***
〈第1章 了〉
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