第7話 初めての花葬り
さて、ただ今咲かせまするは、
桜に霧島、
四季折々に十人十色、
灰とは思えぬ形にて
皆の
灰の上にかざした掌がほんのりと温かい。
(金森時雄さん。教えてください、あなたがあの手紙に込めていた想いを)
そっと灰に触れる。
すると、触れた場所から血管を巡るようにして、故人の記憶がどっと流れ込んできた――
***
「申し訳ないですが、うちでは載せられませんね」
年季の入ったオフィスの片隅。
社員が往来する通路の横に設置された、ついたてで区切っただけの簡易な打ち合わせブース。
周囲の雑音が酷いのに、対面に座る男の声だけはやけにはっきりと聞こえていた。
「先生の写実力の高さは確かに素晴らしいんですけど、リアルすぎて面白みに欠けるというか……。はっきり申しますと、ご自身と重ねすぎですよ。この主人公では売れないでしょうね」
突き返される原稿の束。金森時雄は骨ばった腕でそれを受け取った。
「そうですか」
ただその一言しか出てこなかった。
編集の言葉に怒りさえ湧いてはこなかった。
金森は背中を丸め、とぼとぼと打ち合わせブースを後にする。オフィスを出た後、高くそびえるビルを
そして道中のコンビニの前にあるゴミ箱に、先ほど返却されたばかりの原稿を何のためらいもなく突っ込んだ。周囲には読み終えた新聞でも捨てたかのように見えただろう。何度も繰り返しているうちにそれくらい自然な動作になってしまった。
吸い込まれるようにコンビニの店内に入っていき、何も考えずに週刊誌を物色する。ぱらぱらと流し読みしていると「超絶悲惨! 九十年代人気アイドルの今」という見出しが目に入り、急に目が醒めたようにパタリと雑誌を閉じた。
他人事ではないのだ。いや、むしろ悲惨だろうとなんだろうと注目されるだけ彼女たちの方がましとさえ言える。小説家は違う。過去に華々しい賞を獲ったことがあったとしても、次々に面白い作品を生み出せなければ存在を証明できない生き物だ。だが、書けば書くほど面白さが磨かれるかというとそうでもない。書いても書いても実にならず、次第に何が面白いのか自分でも分からなくなってどつぼにはまる者もいる。
(……だが、書かなくては死んでも死にきれん)
雑誌を元の場所に戻し、カップ酒とあたりめ、そして新しい原稿用紙を買って、金森はアパートに戻ってきた。行きつけのスナックでそろそろ死に場所を探したいなんて愚痴っていたら、賃貸経営も手掛けているママに勧められた家だ。曰く、古すぎて近々取り壊しが決まっているので、最悪事故物件になっても構わないとのこと。家賃は破格の二万円、風呂なしエアコンなしの四畳間。じゅうぶんだ。貯金などないし、贅沢な生活を送るつもりはない。むしろ取り壊しが決まっているおかげで他の住人がほとんどおらず、静かなのは気に入っている。
だが、一つ迷惑していることがある。
立て付けの悪いポストを開けると、どさどさと
「またか……!」
白くなった頭を抱える。
化粧品やダイエット食品のDM、大学生協からの袴レンタルのチラシに、ショッピングモールのセールの案内。どれも宛名は「高山さつき」。おそらく前の住人だ。住所変更手続きをしなかったのか、彼女宛の郵便物がしばしば届く。
これだから今時の若者は、と思わず定型文を吐きそうになり、すんでのところで飲み込んだ。腐っても作家としての意地があった。
ため息を吐き、地面に落ちた郵便物たちを拾い上げる。
と、その中にこれまで見たことのないものが紛れ込んでいた。
スズランの花の柄が描かれた封筒。手紙だ。
宛名はやはり「高山さつき」。封筒を裏返すと差出人には「高山美代子」とある。
家族? だとしても、住所が変わったことを伝えていないのか?
(……これは参ったな)
部屋の中に入り、カップ酒を煽りながら封筒と睨み合うこと一時間。
DMとかチラシであれば迷わず捨てる。
だが、手紙は別だ。
たとえ他人宛のものだとしても、書き手のことを思うと忍びない。
自分が書いた文章が人目に触れないまま捨てられる虚しさは、誰よりも知っているつもりだ。
(開けて、みるか)
酔いが回ってきたのもあってか、つい魔が差した。
手紙の封を切り中を確かめる。短い手紙だったが、どうやら差出人と前の住人は親子であり、娘の男関係で喧嘩をしたらしい。
「親不孝者め……」
薄暗い四畳間で一人、悪態をつく。
このまま返事が来なかったら母親はどうするだろうか。赤の他人だ、知ったことではないが……つい、自分の母親と重なった。文筆業で旗を立てようとしたら猛反対されて、連絡を絶っていたら知らないうちに亡くなっていた母のことと。
金森は腕時計を見る。酔いでぼやけた視界の中でなんとか針の位置を捉える。まだ近くの文房具屋は開いている時間だ。
慌てて部屋を飛び出し、千鳥足になりながらも文房具屋へと向かう。便箋、封筒。さまざまな柄のものが揃っている。「高山さつき」ならどれを選ぶだろうか。腕を組んでしばらく悩んでいたら店員に声をかけられてしまった。仕方なく「孫娘が喜びそうなものを」などと嘘をついて顔から火が出るような想いをしたが、店員は快く北欧調のハリネズミ柄のレターセットを選んでくれた。
部屋に戻るなりすぐさま机に向かう。
ひとまず原稿用紙に下書きを始める。
「拝啓 お母さんへ」……いや、これは堅すぎる。今時の子なら「お母さんへ」からだ。むしろ「ママへ」とか? だが母親からの手紙では「お母さん」と自称しているのだから、きっと家庭での呼称も「お母さん」だ。
そんな風に一言一句詰まりながら、原稿用紙に書いては丸め、書いては丸め……。
(どう書けばいい? どう書けばこの母親は満足する?)
頭を抱えながら何度も書き直す金森の表情には、本人も気づかぬうちに熱がこもっていた。
枯れ果てたはずの泉がこんこんと湧き
そう、それは創作意欲に燃える作家の顔であった。
***
口上を終えた灰慈はぎゅっと遺灰を握りしめた。
(金森さん。あなたの気持ちを、高山さんにも伝えてあげてください)
もう片方の手で遺灰を握った方の手を包み込み、それからよく晴れた青空を見上げた。
いざ――花となり
そう唱えると同時、遺灰を宙へと勢いよく放つ。
灰は弧を描きながら、太陽の光を受けてきらきらと輝いた。
「まあ……!」
高山さんが声を上げた。
灰が形を変えて、ぽっぽっと小さな花を咲かせていく。
咲いたのは、丸っこいフォルムが可愛らしいスズランの花だった。
高山さんが送った手紙にプリントされていた花だ。
「すごい、本当に灰が花に……!?」
「驚くのはまだ早いですよ、高山さん」
黒古さんがしーっと口元に人差し指を立てる。
耳を澄ますと、どこからか声が聞こえてきた。
――私も、あなたからの返事が毎日待ち遠しかった。
春風に乗って聞こえてくる声は、幻聴かと思うほどにかすかで儚い。
それでも、耳を傾ける人には必ず届く。
――私を最期まで作家でいさせてくれて……どうもありがとう。
一筋の風が渦を巻くように強く吹き、声はそれ以上聞こえることはなかった。
舞い上がったスズランの花たちがふわふわと揺れながらゆっくりと落ちてくる。
下を向く
金森さんにとってはたぶん、希望だったのだ。
誰かのために書いた文章にちゃんと反応が返ってくること。高山さんとの手紙のやりとりは、金森さんに作家としての
だから決して高山さんをからかうつもりで書いていたわけじゃない。
花葬りを通じて、きっとその想いは伝わっただろう。
高山さんは落ちてきた花をそっと胸に抱いた。
「こちらこそ……ありがとうございました。たとえ偽りでも、あなたの書く娘とのやりとりはとても楽しかった」
空を見上げ、天へ昇る文通相手に思いを馳せる。
灰慈は黒古さんの方を見やる。彼はうんと縦に頷いた。
「あの、高山さん」
灰慈は彼女に向かって一通の手紙を差し出す。
「これ、金森さんの最期の手紙です」
高山さんは受け取って、不思議そうに封筒の厚みを確かめた。なんせ、封筒がはち切れそうなくらい分厚いのである。
「電話では確か、手紙は書きかけだったとうかがっていたのですが……」
「はい。元の手紙は三行で終わっていました。でも、金森さんの部屋に残されたヒントをもとに、僕たちで書き足してみたんです」
金森さんのように上手くは書けていない。
だけど、重要なのは中身だ。
金森さんの本心が分かった今、胸を張ってこう言える。
「良かったら読んでみてください。偽りの手紙が、もしかしたら本物になるかもしれません」
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