第5話 文通相手


 柳田斎場の火葬炉前の景色は、ぱっと見高級ホテルのエレベーターホールかと思うくらい清潔感がある。

 ほこりひとつない掃除が行き届いた大理石の床。

 重厚感のある六つの両開きの扉。

 ホテルと違うのは飾り気がないことくらいだろう。

 ただその一点の違いが、別世界への入り口らしく荘厳な雰囲気を醸し出すので不思議なものである。


「本当にこの方が娘の手紙を書いていたんですね……」


 火葬炉の前で、最期のお別れにと台車に乗った棺の窓が開けられた。高山さんは金森さんと対面した後、両手を合わせて静かに黙祷もくとうした。


 その後扉が開かれ、白州さんが台車を炉の中へ押し入れる。

 ガタン、と台車が炉の奥へ着いた音が反響した。

 灰慈が知る葬儀の中では最も静かなお見送りであった。


「案外驚かれないんですね。もっと衝撃を受けられるかと……いや、そもそも来ていただけないだろうと思っていました」


 遺族控え室に移動して、黒古さんはお茶をれながら言った。

 火葬にかかる時間はおおよそ一時間から二時間。そのあいだ遺族たちは控え室でゆっくり過ごすことができる。

 今回の葬儀では遺族がいないので、部屋にいるのは灰慈と黒古さん、そして高山さんの三人だけだ。


「初めから、気づいてはいたんです」


 高山さんは黒のハンドバッグから一通の手紙を取り出す。どうやらこれが金森さんが書いた最初の手紙らしい。中を見せてもらうと、金森さんの部屋にあった書きかけの手紙とはずいぶん雰囲気が違っていた。




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 お母さんへ


 前略


 手紙ありがとうネ。

 わけあって連絡できず。

 それでも私は元気に過ごしております。


 カレのために料理を振舞いたく、

 お母さんお勧めのレシピはありますか。


 草々


 さつき


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「これは……なんというか、年齢がにじみ出ているな」


 黒古さんが苦々しい表情でそう言うと、高山さんは「そうでしょう」とくすりと笑った。

 本人なりに頑張って「さつきさん」に寄せたのだとは思うが、それでもこれを若い娘が書いたと言うには無理があった。筆跡もほとんど金森さんのままなので、高山さんからすれば娘の手紙じゃないことぐらい一目瞭然だっただろう。


「怪しいと思って、大家さんにすぐに確認しました。それで、さつきはもう引っ越してしまったということは分かったんです。あの子、自分で引っ越しするなんて初めてだから、郵便局に住所変更届を出すってことを知らなかったんでしょうね」


 だから金森さんの部屋に前の住人であるさつきさん宛の手紙が届いたのだ。


「さつきさんじゃないって知っていたなら、どうして返事を書いたんですか?」


 灰慈が尋ねると、高山さんは金森さんの最初の手紙を懐かしむような視線で見つめながら言った。


「お礼を伝えようと思ったんです。前の住人宛の手紙が届くって、なんとなく気分が悪いでしょう? 普通は見なかったふりをして捨てられたっておかしくないと思うんです。それなのにこの人はわざわざ返事を出してくれた。そのおかげで娘がもうあのアパートに住んでいないってことを知ることはできましたから」


 彼女の話をもとに、灰慈は金森さんの部屋から持ってきた手紙の中からその時のものを開いてみた。




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 一○四号室の方へ


 先日はお返事をいただきありがとうございました。

 前にこの部屋に住んでいた娘が住所変更をしていなかったようで、ご迷惑をおかけし申し訳ございません。

 娘とは相変わらず連絡が取れませんが、おかげさまでこちらにはもう住んでいないことが分かりました。

 ささやかな御礼ではありますが、今の季節にぴったりな「たけのこの土佐煮」のレシピを送ります。


 ・

 ・

 ・


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「私の中ではこれで終わりだと思っていました。だけど、一ヶ月したらまた届いたんです。手紙は『お母さんへ』から始まって、『たけのこの土佐煮』を作ってみた時の感想が書かれていて……『美味しかったけど、お母さんが作るものの方が味が染みていて美味しいです』って。以前さつきが言ったのと同じことが書かれていて……」


 そう語る高山さんの瞳は、少しだけ潤んでいる。

 それからというもの、娘じゃないとは知りつつも手紙を続けることにした。不思議なことに、やりとりを重ねるほど手紙は「らしく」なっていったらしい。筆跡も、文体も、内容も、だんだん本当のさつきさんそっくりになっていったそうだ。


「金森さんは小説家でした。おそらく、高山さんとのやりとりを通じてだんだんとさつきさんのキャラを掴んでいったんでしょう」


 黒古さんが高山さんに茶菓子を勧めながら言った。

 実際、金森さんの部屋には筆跡の練習のあとだけでなく、若い女性が読みそうなファッション誌の切り抜きだったり、近隣の大学のパンフレットだったりと、より「高山さつき」になりきるための資料がいくつも残っていた。


「本当に娘と手紙をやりとりしているみたいで嬉しかったですよ。毎月の楽しみでした。だけど……そのぶん少し怖い気持ちもあったんです」


 高山さんの手紙を握りしめる手に力がこもる。


「この人は一体どういう思いで手紙を書いているんだろう、ひょっとして私を騙すことを楽しんでいるんじゃないかって。前の手紙から三ヶ月空いて、いよいよイタズラだったんだ、きっともう飽きちゃったんだろうと思っていました。それがまさか、亡くなっていたなんて」


 高山さんは肩を落として言った。


 突然知らされた文通相手の死。

 手紙を書いていたのは娘ではなく、身寄りのない老人であった。

 別人であることは分かっていても、改めて聞いたときはやはり衝撃的だった。

 そしてその死の直前まで手紙の返事を書こうとしていたと聞き、さらに衝撃を受けた。


 どうして? 何のために?


 頭の中は混乱していた。

 黒古さんから電話で「良かったら立ち会いませんか」と言われ、すぐには言葉が出てこなかったという。

 二年ものあいだ文通をしていたとはいえ、相手自身のことは何一つ知らない。

 小説家としてのペンネームすら初めて聞いた名前だった。

 ……だけど、知りたい。

 どうして手紙を書いていたのか。最期に何を書こうとしたのか。

 この機を逃したらきっと何も分からないまま終わってしまう。

 そう思って、ここへ来ることを決めたのだ。


 死人に口無し。

 亡くなってしまった以上、金森さんの真意を知ることはできない。


 ……本来ならば。


「たぶん、イタズラではなかったんだと思います。詳しくは本人に聞いてみないとですけど」


 灰慈は立ち上がる。

 ちょうど火葬の終わりを告げるアナウンスが館内に響いた頃だった。


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