第3話 書きかけの手紙
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お母さんへ
三ヶ月ぶりですがお元気ですか?
今日は、ずっと言えなかったことを伝えようと思います。
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たった三行だけの、書きかけの手紙。
それ以降は書き途中で亡くなったのか、文字が乱れていて読むことはできない。
しかしこれだけでも引っかかる点がいくつもある。
「金森さんのお母さんはもう亡くなっているんですよね?」
「ああ。確か、二十年前くらいにな」
亡くなった人へ手紙を書く。そのこと自体は不思議ではないが、だとすると「一ヶ月ぶりですが」のくだりが妙だ。
「まめに手紙を送っていたんでしょうか。もしくはお墓参りに行っていたとか」
「いや……ご実家は県外だし、むしろ絶縁に近い状態だったみたいだぜ」
「じゃあ、この手紙はいったい……?」
灰慈はうーんと首を
しかも、引っかかるのは内容だけではないのだ。
七十過ぎたおじいさんが選んだとは思えない、北欧風のハリネズミ柄の
(金森さんとは別の人が書いた手紙……? だけど、それならどうして亡くなる直前に続きを書こうとしたのかが分からない)
念のため故人の筆跡を確認してみるつもりで、灰慈は部屋の隅のゴミ袋に入っている丸められた原稿用紙を開いてみた。
しかし、そこにもあの丸っこい筆跡。
内容も小説ではなく、手紙の下書きのようだった。
何枚か開いてみると、小学生の宿題のように同じ一文をひたすら書き連ねた原稿用紙が出てきた。そこには筆跡が二種類混在している。故人の年齢相応らしい角ばった行書体風の筆跡から、丸っこい筆跡へと徐々に変化していくのだ。
(やっぱり手紙を書いた本人は金森さんだった……? でも、なんでわざわざ筆跡を変えたんだろう)
他に何か手がかりはないだろうか。
灰慈は身を低くしてちゃぶ台の下を覗いてみる。
するとそこには封筒に入った手紙の束が置いてあった。
全部同じスズランの絵が描かれた封筒。
差出人の名前は、几帳面そうな字で「
宛先の住所は間違いなくこのアパートの、この部屋。
だが宛名には金森さんの名前ではなく……「高山さつき」と書かれていた。
封筒の消印を調べてみると一番最近のものは三ヶ月前。それまではだいたい一ヶ月ごとに届いているようで、最も古いものは二年前になっている。
「二年前っていうと、ちょうど金森さんがこの家に住み始めたのと同じくらいの時期だな」
黒古さんはファイリングされた資料を確認しながら言った。中には故人の情報が書かれているようだ。
「それってもしかして……。金森さん、高山さん、すみません!」
「あ、こら灰慈くん!」
灰慈は一番日付の古い封筒の中身を取り出す。
そこにはこう
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さつきへ
電話もメールもつながらないので、手紙を送ります。
あれから元気にやっていますか。
あの日のことは、お母さんも後から反省しました。
あなたたちの気持ちをちゃんと聞かず、頭ごなしに否定するのは良くなかったわ。
本当にごめんなさい。
彼とは上手くやっていますか?
さつきが幸せならそれが一番です。
同棲すると言っていたけど、住所が変わるなら教えてね。
母より
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便箋一枚の短い手紙。何度も書き直したような跡があり、どう書いたら返事がちゃんと返ってくるだろうかという書き手の不安がありありと伝わってくる。
「そういうことか……!」
灰慈は黒古さんと顔を見合わせる。
それから黒古さんはすぐに大家に電話をかけた。
確認したかったのは、この部屋の前の住人のことだ。
そして予想通り、金森時雄が住む前には高山さつきという若い女性が住んでいたことが分かった。
「つまり、この手紙は前の住人に宛てて届いたものだった。それをどういうわけか金森さんが本人になりきって返事を書いていたってことだな」
灰慈は
しかもそのやりとりはおよそ二年のあいだ定期的に続いていたのだ。
「お母さん……きっと心配してますよね」
もう一度、故人が最期に書こうとしていた手紙を手に取る。
普段は一ヶ月に一度のやりとりをしていたのが、この内容の通りならすでに三ヶ月空いていることになる。
しかも、何か伝えたいことがあったみたいだ。
「黒古さん」
「うん?」
「少し、時間もらってもいいですか」
灰慈はゴミ袋をひっくり返した。
丸まった原稿用紙が大量に床に散らばる。
もう少し知りたいのだ。
老小説家が偽りの手紙に何を書こうとしたのか。
どんな思いを込めていたのか。
一気に散らかった部屋の様相に、黒古さんは苦々しい表情を浮かべた。
「言っちゃなんだが、火葬の時に君の
遺灰を花に変えて
花が咲く瞬間、故人の声が聞こえることがある。
じいちゃんに教わった話だと、
「でも、僕が花葬りをやるのは初めてです。じいちゃんの時と同じように声が聞こえるかは分からないし、金森さんが話したがるとも限らない。だったら、火葬場に行く前にやれることをやっておきたいんです」
そう言って黙々と原稿用紙を開き始める灰慈に、黒古さんも観念したように肩をすくめた。
「……分かった。俺も手伝うよ」
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