第5話 年納め

 年の瀬、花川戸町会の納会が迫ってきた。

 この日は町会会員たちの、一年の働きを労う日であるとともに、毎年、尾崎千一郎会長が主宰する「花川戸古典芸能研究会」の研究発表会が行われる。

 研究といっても、古典的な能や歌舞伎の演目を従来通りに忠実に演じるものだ。

 花川戸商工会議所の一階に舞台が設けられ、三和土からルーフのついた駐車場にかけて、観客席が作られる。発表会は宵のうちに行われ、その後に忘年会で酒を酌み交わすのが毎年のスケジュールだ。

 嘉彦は毎年、この発表会になくてはならない篠笛の奏者だったが、今年は病気療養のため発表会への参加を辞退し、専ら観劇の客の側に回ることにした。千一郎は、嘉彦の快癒祝いだとぶち上げ、今年の研究発表会は景気のいい歌舞伎の演目を上演すると決めた。

 浅草花川戸の芝居といえば、まず『助六(すけろく)由縁(ゆかりの)江戸(えど)桜(ざくら)』の名が挙がる。しかし、千一郎の推薦により、浅草者としては『助六』と共に双璧である『極付(きわめつけ)幡随院(ばんずいいん)長兵衛(ちょうべえ)』を上演することになった。

 十二月上旬、五月は千一郎から呼び出された。何を言われるかと思いきや、来年から花川戸町会青年部の幹部になってくれという。

「あたしがですか? そんな、突然言われても。とても務まりませんよ」

「そんなこたぁないよ。あたしも八十だ。もう跡継ぎを作って行かにゃあなるまい。西堀さんに町会長になってもらうつもりでいたが、通院透析で大変なので、残念だが諦めた。今年は織島征志君を青年部幹部に入れた。西堀さんの代わりといっちゃなんだが、来年は五月ちゃんが青年部幹部入りだ。構わないだろう?」

 嘉彦が引退かと思うと、五月は気が抜けた感じがした。しかし血液透析に通う父の体を考えたら、それもまた仕方あるまい。征志と二人で青年部を切り盛りできるのは正直なところ嬉しかったので、五月は承諾することにした。すると千一郎はさらに驚く提案をした。

「研究会の配役だけどね。五月ちゃん、長兵衛役を頼むよ」

 五月は驚いて手を横に振った。

「男の役ですよ。それもやくざの親分の」

「五月ちゃん、ぴったりだろ」

 ひどいなあと抗議したが、千一郎は本気のようだ。

「あの芝居は、女役ってねぇんだよ。『助六』なら揚巻花魁(あげまきおいらん)があるが、『長兵衛』はせいぜい長兵衛の妻とか、準主役の白井権八の昵懇の女郎とかで、今一つ印象が薄い。何か強烈なインパクトを与えられる配役がほしいんだ。あたしの頼みだと思って、五月ちゃん、ここはぜひ一つ受けてくんな」

 固辞したが千一郎は譲らず、結局五月は長兵衛役を引き受けることにした。

 驚きの提案はまだ続いた。準主役の白井権八役に織島征志を抜擢するという。内心は嬉しかったが、「征志には向かないんじゃないか」と意見を述べた。

「美剣士の役ですよ。ガテン系の征志のイメージかなあ」

 すると千一郎は五月の表情を窺いながら、尋ねた。

「織島君と一緒じゃ、いやかい?」

「そんなことはないですよ。でも本人が受けないんじゃないかなあ。あたしと共演じゃ、なおのこと」

「そんなこた、あるめえよ。あたしゃ、あんたを孫だと思っておる。だから、そろそろ心配しとるんだ。いい話があったっていい頃だろう。仲人役でも買って出るよ」

 五月は上気して頬が火照るのを感じた。顔が赤くなってやしないだろうか。

「よしてくださいよ。幼馴染みたいなあたしと征志を、今更くっつけようってんですか?」

 千一郎は自信ありげだ。

「五月ちゃんの気持ちは分っとる。まあ、任せな」

 照れくさいので、早々に町会事務所を退散した。

 翌々日、顔合わせがあるというので、町会事務所へ行ってみると、征志がいた。

「五月、よろしくな。俺、権八の役、受けることにしたから。会長のごり押しに押し切られちまった。その代わりと言っちゃあ何だが、今週末のはきだおれ市、ぜひ来てくれよな」

 どのように話を持っていかれたか知らないが、五月に、征志の父が経営するオリシマ靴店で靴を買わせる約束でもしたのだろうか。

 はきだおれ市は花川戸の名物市で、靴店、和風履物店などがこぞってセールを行う。オリシマ靴店も、毎年、露店を出していた。今年は町会の納会の週の週末に催される予定だ。千一郎は、「征志の父の店を後援するから、よろしく」とでも、持ち掛けたのだろう。ダメ元でも地元の振興のため、年配が次世代のために、縁を取り持ってやらなきゃなるめえ、といったところか。

 だが、余計なお節介とも言える。五月自身が勝手に熱を上げているならば気楽だが、妙な後押しをされると、高校以来の自然な付き合いが、かえってぎごちなくなる。

 五月は内心の照れくささとささやかな喜びを押し隠し、にやりとしながら拳をどんと征志の胸に当てた。そうでもしないと照れてしまい、会話がぎくしゃくしそうだ。

それからというもの、出演者たちは毎日、夕方から商工会議所のホールに集まって舞台稽古に励んだ。毎晩、午前様だった。おかげで皆、淀みなく台詞まわしをこなせるようになり、演技も余裕をもって演じられるようになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る