第5話 アーケード通り
山車の女衆がやってきた。「私にも抱かせて」と照人を受け取り、照人は三人の姐さんの腕の上に寝そべるように抱っこされた。すると、「私も」「私も」と女衆に囲まれ、照人はたちまち祭り支度の粋な姐さんたちの人気者になった。
その光景を眺めていた匠と征志は、口々に羨ましがった。
「一度でいいから、あんな目にあってみてえよ」
「俺も赤ん坊に戻ったら、ああしてもらえるかな」
五月は征志の背中を叩いた。
「征志、五月でよけりゃ、いつでも抱っこしてやるよ」
「ありがとうよ。待ってたぜ」
「本当? 五月、信じちゃうよ。折角の機会だからやってみるか」
征志に擦り寄ると、「よせやい」と逃げる。
「花川戸町会青年部を、二人で支える征志と五月じゃないか。助六と揚巻のようなものだよ。まさか、あたしじゃいやだなんて言わないよな」
「嬉しくて涙が出らあ」
征志は一瞬、困惑した様子でやや戸惑いながらも、懸命な笑顔だ。五月は征志に抱きついた。
顔は見えないが、空でも見て呆れているだろうか。
征志が何と思おうと、いつまでもこうしていたい気がした。
時刻は正午を回り、休憩が終わった。いよいよ神輿が浅草寺境内へ乗り込む段だ。
手締めの拍手で気合を入れ、山車の五人が囃子を奏し始める。先導の男の掛け声と共に神輿が担ぎ上げられ、小中大の神輿の順に、前へ進み出した。
町会毎に、通る経路が決まっている。花川戸の神輿は、雷門から仲見世通りへ続く正面の参道は通らない。雷門から吾妻橋寄りの、仲見世通りの一つ東側にあるアーケードの道、観音通りへ入る。アーケードを抜けて突き当りのT字路を左折し、参道に入る。そして参道を右折した後、宝蔵門を潜って浅草寺本堂の正面に至る、という順路だ。
町会の山車は、本神楽が構える浅草神社には入らないのが礼儀とされ、二天門へ抜けたところで待機する。一方、各町会の神輿は浅草寺の東側に位置する浅草神社の前を通り、浅草寺裏の広場に集合する。
町会の重鎮たちによって送り出され、青年部の若衆に担がれ、山車と神輿は、まるでそれ自体が生命を持っているかのように練り動き、相次いで、アーケードに入って行った。
女神輿の担ぎ棒には、五月の馴染みの仲間たちが取りついている。
「そらそら、前だ」
五月は太い声をからし、大げさな身振り手振りで皆をあおる。
観音通りの入口で、母と葉月が見送った。大きなお腹の葉月は、人混みが増し、見物客さえ押し合いへし合いしている観音通りまでは、さすがに入って来ない。
母に抱っこされた照人は、にこにこしながらこちらを見て、手をひらひらと振った。可愛い愛嬌者だ、この子は。五月は笑顔で三人に向かって大きく手を振った。
神輿が観音通りを進んでいくに連れ、三人の姿はだんだん遠くなっていく。
女 神輿を追うようにして、男神輿が荒々しい掛け声をアーケードの天井に轟かせながら入って来た。全員が拳を突き上げ、一段と大声を上げる。掛け声は木霊し、耳も割れんばかりの大音響、まるでけだものの咆哮のようだ。
匠は度胸がついたのか、担ぎ棒の前のほうに取り付いて、神輿の揺れに身を任せながら、胸を張ってアーケードの天井を見上げている。喧騒に陶然と酔い痴れ、恍惚として天井を見上げつつ、船を漕ぐかのように神輿を担ぎ続けている。
何を思っているのか? いや、何も考えてない。ただただ無心で担いでいるだけだ。
揉まれ続けながら神輿にしがみつき、掛け声を上げ続ける様子を、五月は微笑ましく見守った。
観音通りの中ほどまで来ると、尾崎会長の掛け声で、神輿が高く差し上げられた。
「おーっ」と大音声が沸き起こり、皆が担ぎ棒を一斉に叩く。 姐さんたちの高い声とは対照的で、豪雨が降ってきたかのようだ。しばらくの間、嵐のように担ぎ棒は叩かれ続けた。
担ぎ棒を叩く行為は敬虔な神への感謝か、この土地で生きる喜びか。
太古の昔から続く神の差配に身を任せ、一体化する喜びに身を任せている。五月も一緒に天上に吸い込まれていくような気がした。
神輿はアーケードを抜け、再び青天の下に出た。突き当りを左折、さらに参道を右折し、宝蔵門へ向かっていく。
周囲を眺め渡すと、二天門のほうへ抜けようとする山車、浅草神社へ曲がって行こうとする女神輿、宝蔵門を潜った花川戸の男神輿、さらに遠くにいくつかの他の町会の神輿が視界に入った。波に揺られ、腕を突き上げ、神輿を前へ進め、あるいは押し戻し、渡御は果てしなく続く。
いつの間にか匠が近づいてきた。
「最高だな。照人も神輿に担ぎ上げられて、俺も浅草の神様と一体になったようだよ」
「あんたたちの娘が生まれたら、その子もまた浅草の神様に讃えてもらおう」
「そのときゃ、女神輿だね。今から楽しみだ」
満ち足りた気分だった。始まる前は、長い一日がやってくると気を揉みもするが、いざ当日になると、あっという間に時間が過ぎる。
男たちが浅草寺本堂に向かう頃には、陽が西に傾いていた。神輿を担ぐ者たちは、五重塔のほうからかっと照り付ける強烈な西日にさらされていた。
毎年、祭りはこうだ。五月晴れの日は、地黒のあたしは一日で真っ黒になっちまう。色白の面子も頬やおでこを真っ赤にして、健康そのものの顔だ。
少し疲れたか、朝方の華やいだ表情から、やるせない表情を垣間見せる男たちの顔も、それを取り巻く群衆の顔も、祭りの興奮と日焼けで西日の中に照り輝いて見えた。
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