第4話 五月晴れ

 男神輿の取り巻きの中で、匠がいつ神輿に加わろうかと様子を窺っている姿があった。笑顔だが、内心やきもきしている感じだ。葉月と母佐保子は、見物客の中から匠の様子を見守っている。「頑張って、お父ちゃん」と励ましてでもいるのだろう。

 馬道通りを進めば、浅草駅前の交差点に至る。五月はしばらく女神輿の調整にかかりっきりだった。ふと振り返ると、いつの間にか招き入れられたらしく、匠が神輿の中ほどのところを担いでいる姿が見える。右肩に神輿を担いで笑顔で腕を振っている。まだ慣れないのか、どことなく横揺れしてふらふらしているようだ。

 すると突然、横から尾崎千一郎会長が近づいて行き、匠に声を掛けた。

「兄さん、新入りかい? 腕は横に振っちゃいけねえ。前後に振るんだ」

 そうだ、匠さんのことを町会長に紹介するのを忘れちまった。

 匠とは面識がないから、千一郎は持ち前のお節介焼きを発揮して、担ぎ方の指導にかかっている。

「それと、足は横に出しなさんな。こうだ」

 千一郎は、「こっちを見ろ」とばかり、匠に模範を示している。真直ぐに前を見、腕は正しく前後に振り、足も外に開かない。上下動が主な歩き方で、神輿の揺れに合わせてリズムを付ける。由緒正しいが、匠には余計なお世話かもしれない。

「匠さん、三社デビューなのに気の毒に」と思い、吹き出さずにいられなかった。

 匠は千一郎にうんうんと頷き、言われた通りに歩き方を修正している。

「そうだ。それでいい。神輿はそういう風に担ぐもんだ」

 千一郎は漸く満足したのか、男神輿を離れて女神輿に近づいてきた。一つ一つ、神輿を偵察、指導して回るつもりらしい。

 お日様は真上から照り付けている。見事な五月晴れで、早くも暑い。

 汗かきの匠はひとまず落ち着こうと思ったらしく、神輿を抜け出た。首に掛けていた手拭いで額と首筋を拭き拭きやってきて、家族に合流した。

 ちょうど千一郎が近くにいたので、五月は出て行って匠を呼んだ。

「会長、朝はお忙しそうだったので、紹介し損ないました。こちらは私の義理の弟の鵜飼匠です。葉月の旦那で日本堤病院の外科の先生をしています。匠さん、こちら町会長の尾崎千一郎さん」

 匠は驚いた風だが、紹介された千一郎のほうが、もっと驚いた顔つきだった。

「それは、それは。お初にお目に掛かりやす。以後、お見知りおきを。先程は余計なお節介を焼いて、失礼致しました。あまり担ぎ慣れていらっしゃらないように、お見受けしたもので」

 千一郎が謝るので、匠は頭を掻いた。

「その通りです。地方で勤めていたとき、皆が腕を伸ばして横に開くように振り、足を開きながら神輿を担いでいたので、神輿はそういう風に担ぐものと思い込んでいました」

 千一郎は愛嬌のある下町の老人らしい顔になった。

「祭りには作法ってものがあるんですわ。神様に奉納するんだから、与太公みてえな担ぎ方しちゃあ、罰が当たるんです」

「与太公とは、失礼な。匠さん、会長は能書き扱くのが仕事だから、真面目に考えないでね。もう八十の歳になるってのに、お節介焼きなんだ。元気者の若衆みたいでさ」

 五月が上手く後を続けると、千一郎は破顔一笑した。

「それが下町のいいところよ。今どきどこでも隣の家は何する人ぞばかりで、地域の共感ってものがなくっていけねえな」

「そいつぁ、そうかもしれねえ」と五月は相槌を打った。

 女神輿の遙か前方に目をやると、天戸組の山車が、吾妻橋の袂の浅草一丁目一番地、神谷バーの交差点を右へ曲がっていく様子が見えた。 合力衆に前を太い綱で挽かれ、後ろからは押されて進んでいる。

「匠さん、ここらで一丁、照坊を浅草の神様にお披露目しよう」

 匠を促して、しんがりから馬道通りを進む男神輿へ向かった。男神輿は浅草一丁目一番地の交差点まで一ブロックを残したところで前へ後ろへと練り進んでいた。

征志が四本の担ぎ棒の内の、真ん中二本の先頭を担いでいる。

 征志に向かって目で合図しながら、匠を指差した。征志は頷き、匠が神輿に近づいていくと、「子供をよこせ」と手招きする。 匠が照人を差し出すと、征志が受け取って、神輿を担ぎつつ肩の上に乗せた。

 匠はどうなることかと心配顔だが、照人は泣き出しもせず、征志の首っ玉に囓りついている。そのうちに慣れてきたのか、照人ははしゃぎ始めた。波のようにひたすら繰り返す揺れを怖がるどころか、楽しんでいるように見える。両腕を差し上げて喜んでいる。

 さすがは浅草っ子だ。五月は腕組みしながら右手を顎に当て、満悦な気分で照人を眺め、「ほら、匠さん、行きな」と匠の肩をどやしつけた。

 匠が度胸を決めたように神輿の中へ入っていくと、征志は少し後ろへ後退し、自分の前に匠を招き入れた。匠が先頭に入ると、征志が照人を匠の肩に乗せる。匠が照人を神輿の前に据えて担ぐ形になった。

 左手で照人の左足を抱き、右肩に神輿を担ぎ、「そいや、そいや」の掛け声に乗って進む。幼子は掛け声に揺られつつ、馬道通りを運ばれて行く。

 男神輿が交差点を右に曲がった。交差点で掛け声が入って神輿は止まり、担ぎ手たちの手によって高く掲げられた。両手を高くかざして担ぎ棒をがんがんと叩く。

照人はきょとんとした顔で、高く掲げられた神輿を見回した。男たちが担ぎ棒を叩くのを見て一層燥いでいる。神輿が雷門へ向かって右折した頃、匠は照人を肩車したまま、神輿を抜けてきた。息子のお披露目は十分と満足したか。 五月は義理の弟の肩を抱いた。

「匠さん、よかっただろ? この春に約束した通り、首が据わってまだ一年も経たないけれど、無事に浅草の神様の洗礼を受けられたんだよ。浅草っ子はこうでなくちゃ」

 匠は先頭で揺られた興奮と、長男を無事に神輿に乗せた安堵とで、高揚した表情だ。

 照人はおでこなので、神輿に揺られてきたために、頭に巻いたはずの鉢巻がずれてしまい、片目を塞いだ格好になっていた。しかしそんなことはどこ吹く風で、燥ぎながら両手を上へ突き上げた。祭りの喧騒にすっかり溶け込んでいる。

「照坊、いいぞ。大したもんだ」

 匠よりよっぽど度胸がある。五月の甥っ子だけある。

 女神輿と男神輿は距離が縮まり、相連なって浅草通りを雷門へ向かっていた。

 浅草の象徴、雷門の前はすでに見物人でごった返しており、仲見世に向かって門を潜る人波が続いている。雷門に到着する頃には正午近くになり、花川戸町会神輿渡御は、ここでいったん昼休みの休憩に入った。

 出店からは空腹をそそるように、焼きそばや、烏賊焼き、焼き玉蜀黍の香ばしい匂いが辺り一杯に漂う。

 照人は、母が屋台で買った焼き蕎麦やアイスクリームを口に運ばれては、あんぐりと口を開けて食べている。出された食べ物は何でも食べる食欲旺盛な子供だ。

「これだけは匠や葉月より、叔母さんに似たね」

 五月は嬉しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る