02 江東橋の戦い

 一三六〇年。

 遥か昔から流れる悠久の長江を下る大艦隊がいた。

 陳友諒の艦隊である。

 そこへ。

「康茂才?」

 陳友諒は弟の陳友仁ちんゆうじんからの報告に首を傾げた。

「ああ、そういえば胥吏だった頃にいたな、そんな奴」

 陳友諒と康茂才は元に属していた。

 そして今に至るが、陳友諒は康茂才がやって来た理由を考える。

「裏切りか、それともか」



「木の橋だと?」

 陳友諒は康茂才の差し出した地図を眺めつつ、片方の眉を上げた。

 陳友諒は地図を弟の陳友仁に渡し、目配せで真贋を確認させろと命じた。

 康茂才は語る。

「さよう。この江東橋は。ゆえに、ご自慢の巨艦をもって破壊が可能」

「そうだな」

 康茂才はさらに言う。江東橋で待っていると。それで、水先案内を務めると。

「この策を用いれば、朱元璋など鎧袖一触。来たるべき張士誠との対決に備え、兵を損なわずに済みます」

 陳友仁が戻って来た。その眼で地図がだと告げた。

「よし」

 康茂才のが嘘だとしても、地図は本物であり、江東橋がであることには変わりない。

「江東橋へ向かう。その時、声をかける。共に応天府を攻めよう」

「委細承知。ただ、いつ頃になるか教えていただければ」

 猜疑心の強い朱元璋の下から抜け出すには一苦労だという。

 陳友諒はわらった。

 人材も兵数も少ないのに、そんなに疑り深いのか。

「だからこうして裏切るだ。やはり君主とは器量を大きくせねば」

 こうして康茂才を信じる自分のように、と大度を示す陳友諒。だが、彼とて上司たる倪文俊を殺し、主君である徐寿輝を弑して、帝位にいていた。



 陳友諒は江東橋に達した。

「このまま進め」

 だが、康茂才を完全に信頼したわけではなく、仮に罠だとしても、の江東橋を破壊すれば良しと、艦隊を進める。

 が。

「あ、兄者」

 先鋒の艦に乗っていた弟の陳友仁が、急ぎ、陳友諒の乗る旗艦へとやって来た。

「江東橋は、なんだよな」

「そう言っていた」

 陳友仁は「見ろ」と陳友諒を舳先へと引っ張る。

「おい、おれは仮にも皇帝だぞ。いくら弟とはいえ」

「そんなこと言ってる場合じゃない、兄者! あれを見ろ!」

 そこには、の橋が架かっていた。

「石だと?」

 どういうことだ、と陳友諒はこの場にいるはずの康茂才を呼んだ。

 だが、返って来たのは、矢の雨である。

 背後からの。

「後ろ」

 陳友諒が振り向くと、朱元璋麾下きかの艦隊がいつの間にか陳友諒の艦隊を包囲していた。

 朱元璋は、陳友諒が江東橋に気を取られている隙に、伏せていた艦隊を動かし、包囲していたのだ。

 そしてまた、朱元璋は、急拵えだが江東橋を石の橋に造り替えていた。

「やりやがったな!」

 陳友諒は怒号し、朱元璋の艦隊への攻撃を命じた。

 陳友諒艦隊が押す。

 すると朱元璋艦隊は巧みに後退して、しかし包囲は崩さずに攻撃を継続した。

鬱陶うっとうしい……」

 陳友諒が歯噛みして、旗艦を陣頭に出せと言おうとしたその時。

「兄者!」

 陳友仁は江東橋の橋の上を指差していた。

 そこには、一軍がずらりと並んで弓矢を構えており、その将は康茂才である。

「騙しやがったな!」

「射よ!」

 吠える陳友諒目掛けて、幾百もの矢が走る。

 陳友仁が強引に押し倒さなければ。

 康茂才率いる弓兵の狙いが正確でなければ。

「死んでいたな。くそっ」

 陳友諒もまた、この乱世を生きる群雄である。

 その嗅覚が、この場は退けと告げていた。

「ずらかれ!」


 死に物狂いの撤退により、かろうじて陳友諒は帰還に成功した。

 しかし、朱元璋と康茂才の挟撃により、数多くの将兵が討ち取られてしまう。

 そして、今度は朱元璋の方が陳友諒の版図はんとへと侵略していった。

 逆に攻められる立場となった陳友諒。

 気がついたら、しょう(武漢)までの後退を余儀なくされていた。


 だが、一三六三年三月。

 陳友諒は報復を唱え、兵六十万を号する大艦隊を率い、鄱陽湖に現れた。

「南昌へ」


 鄱陽湖の戦いが、今、始まる。

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