燃ゆる湖(うみ) ~鄱陽湖(はようこ)の戦い~

四谷軒

01 鄱陽の湖上

 一三六三年三月。

 鄱陽湖。

 紅く塗られた巨艦が、列を連ねて驀進ばくしんしていた。

 その数、数百艘。

 兵六十万の大艦隊である。

 率いるは、陳友諒。

 元末明初の群雄であり、大漢を建て、皇帝と称していた。

南昌なんしょうへ」

 陳友諒が命ずると、艦隊は一路、南へ。

「いつからか」

 陳友諒はひとちた。

康茂才こうもさいの嘘の裏切りからか」



 元末明初という時代は、元の治政が乱れたことにより始まる。

 皇帝と権臣の争い、皇統の奪い合い、天災、飢饉、疫病……募る社会不安の中、ついに乱が生じた。

 それは白蓮教びゃくれんきょうを奉じる者たちの乱であり、彼らは自他の区別のため、紅い布巾で頭を包んだ。

 紅巾こうきんの乱である。

 紅巾の乱――紅巾軍の中にも東系西系とあり、あるいは紅巾軍以外の系統の勢力もあり、中国の国内は群雄割拠という有り様になった。

 その中でも、異彩を放つ二人。

 それが陳友諒と朱元璋である。


 陳友諒は漁師の息子として生まれたが、紅巾の乱における群雄の一人、てんかんこく皇帝徐寿輝じょじゅきに仕えた。

 正確には、徐寿輝の配下にある倪文俊げいぶんしゅんに仕えていたのだが、その倪文俊が叛乱を起こしたところを、陳友諒が殺した。

 この功により陳友諒は天完国の兵権を手に入れた。

 後は下剋上である。

「奴の頭をかち割れ」

 徐寿輝の頭は、陳友諒の部下の振るう鉄槌で撃砕された。

 こうして帝位を簒奪さんだつした陳友諒は、天完国を廃し、大漢を樹立し、湖北から江西を抑え、覇を唱えるようになった。


 だが。

 その覇道に立ちふさがる、もう一人の雄がいた。

 その男はしゅじゅうはちといって、托鉢僧をしていた。

 しかし、寺を元によって焼かれ、元を倒すことを決意、紅巾軍に身を投じた。

 やがて紅巾軍の中で頭角を現し、彼は名を変える。

 朱元璋――と。



 当時、朱元璋は応天府を手中にし、ようやく自らの拠点を持ったところだが、それにより、陳友諒と、平江路の張士誠ちょうしせいという二大勢力の間に挟まれていた。

 軍師の劉基りゅうきに問うた。

「先生、小生は陳友諒と張士誠という二つの大国に挟まれております。小生は如何いかがすべきか」

 劉基は答えた。

「陳友諒を攻めるべき」

「何故」

「張士誠。以前は元に降っていたが、今頃になって元の威をおそれぬようになったか、呉王と称しておる」

 要は、主体性の無い人物だという。

「片や、陳友諒。上官を殺して兵を得て帝位を。これは危ない」

 その姿ゆえに、侵略の魔手を伸ばすだろう。

 それが。

「この応天府か」

「陳友諒、存外智恵が回る。元と戦うほど無謀ではない」

「先に小生を食ってしまおうというワケか」

 朱元璋も朱元璋で、身を寄せた紅巾軍の郭子興かくしこうの兵を吸収している。

「同じ穴のむじな。だが、狢同士なら、元と対峙するよりマシか」

 朱元璋は考える。

 陳友諒としては、朱元璋を

 丸呑みに。

「むしろ、張士誠との対決が本番」

 劉基の言わんとするところが分かってきた。

「ふむ。陳友諒は小生を丸呑みに迫る。そこを」

「さよう。だが、この陳友諒を釣りあげるには、相応のが」

 

 陳友諒が、朱元璋の勢力を丸呑みするとしたら、何を狙う。

「裏切り」

「それには、が必要」

 考えろ。

 自分が陳友諒なら、何を狙う。

……」

 そこで閃いた。

 奴は食いたい。

 応天府を。

「応天府のか」

「いかにも」

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