ユリカモメ
彼女は自由奔放な人だ。
今日も突然電話で「今から西洋美術館に行くよ」と言うものだから、僕は慌てて家を飛び出した。こちらの都合は勿論お構いなしなのだ。
JR上野駅の公園口改札を抜けると、茶髪のウルフヘアで、オレンジ色のグラスの丸眼鏡をかけている女性がこちらにウインクした。
そう。彼女こそが電話の主であり、「自由奔放な人」でもある、Dさんだ。
「やあ。すこし遅かったじゃん。よし、行くよ」
彼女はそう言いながら僕の腕を掴み、目的地へと歩き始めた。電話が来た後、すぐに家を出、最短で来たのだから、遅いことはないと思うのだけれど、そんな言い訳を言う隙も与えずに歩き出してしまった。
開口一番に気象の話題をするのは僕の悪い癖なのだが、それくらいしか頭に浮かばないので「今日も暑いですね」と、左を歩いている彼女に話題を振った。
「暑いよね~。最近はこの時期でも半袖でよくなっちゃったから、折角買った春物の服の出番が少なくなっちゃうよ」
綺麗な緑色のストライプシャツの袖を捲りながら、ロダンの地獄の門を背にして、そう言った。
「わざわざ急いで来てもらったし、ここは出してあげるよ」
「ありがとうございます」
こういう気前の良いところは、とても好きだ。
〇●〇
「いやー、それにしてもたくさん良いものを見れたね」
隣に座ってる彼女が感慨深げに言った。
彼女はさっきまで見ていた展示についてあれこれ話していたけど、僕はスーツ姿の乗客ばかりの山手線の中でひと際目立つ格好をしている隣の彼女のことで頭がいっぱいだった。
「今度はちゃんと前もって予定たてるからさ。また遊ぼうね」
そう言った彼女は、手を振りながら西日暮里駅に到着した電車から降りて行った。電車が出発するまでこちらを見ながら手を振ってくれていた。
こういうところが、とても好きだ。
〇●〇
彼女と出会ったのは一年生の時だった。
五月下旬のある雨降りの日、湿度が高くて蒸し暑い昼下がりのことだった。僕は、大学のキャンパスから少し歩いた先の団子坂にある喫茶店でアイスコーヒーを啜っていた。必修講義の合間の空きコマにカフェ廻りをするのが当時一番ハマっていた趣味だった。
「この席いいですか?」と、一人で座っていた僕の前に彼女が座ったのがファーストコンタクトだった。
派手な格好をしているし、僕とは真逆な人なんだろうなと思いながら彼女の話を聞いていたけれど、共通の趣味があったり、同郷だったりと、話しているうちに僕たちは意気投合した。見た目と反して、自分と似たような人だなと思った。
ただ、「私のことはDさんって呼んでね」という彼女の言葉はよく意味が分からなかった。
なので、彼女の本当の名前は今も知らない。知る必要もないと思った。
その方が気が楽だから。
〇●〇
気が付いたら、彼女から連絡が来ることがなくなっていた。音信不通だ。
彼女からの電話は、数日から数ヵ月の間隔が空くことがほとんどだったので、音信不通になったということに気づくのに、一年ほどかかった。
だけど、なぜかこちらから電話する気にはなれなかった。
〇●〇
下宿先の郵便受けに、アメリカからの封筒が届いていた。アメリカに知り合いなんていないから配達ミスだろうと思った。けれど、何回見直しても、宛先は僕だった。
封筒の中には、「また電話したらすぐ来てね」と一文書かれたメッセージカードと、淡い青色のグラスの丸眼鏡が一緒に入っていた。勿論、差出人はDさんだった。
嗚呼、一言でもいいから行く前に言ってほしかった。
彼女は自由奔放な人だ。
掌編小説集 六原 @rokuhaaraa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。掌編小説集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます