Ⅱ 悪魔の真実

 きょとんとした目でデビッキはフランを見上げている。

「え、おれがなんだって?」

「とぼけるな。バルドの家を襲撃させたのは君だろう!」

 背中で分かるほど、フランが怒っている。ルゥとモノリは言葉を失い、顔を見合わせた。


「黒羽の主はナユさんを探して警察にも行っている。でも署員は誰も所在を答えなかったんだ。だから他にナユさんとバルドが一緒なのを知っているのは、この四人しかいないんだよ」

「なるほどね。そこでルゥ君とモノリ君は疑わないわけだ」


「ライザ署長から聞いたよ。バルドの長屋の住民によると、激しい物音の後、一帯にはとんでもない腐臭が残ったそうだ。君が術で操った屍体だよね? ここの墓地にはたくさんの遺体があるしね」

「だとしたら、おれをどうする?」

「なぜナユさんを売るような真似をしたんだ!」

「おれにだって守りたいものくらいあるんだよ」

 そう言って、青い液体が入った小瓶をフランの前に置いた。


「スヴァルト・ストーンの呪いを解く薬だ。予想通り黒羽の主は解毒剤を作っていた」

「これと引き換えにナユさんを引き渡すつもりだったの?」

「そうだよ。もう五日目だ。石に触れる時間が長かったフラン君とバルド君は、いつ体に毒がまわりきって死んでもおかしくない。一刻も早く解毒するべきだ。バルド君はともかく、君が死んだら困る人がたくさんいるでしょ?」

「だからって裏切るのか⁉︎ バルドは僕の友人だ。死にそうなんだぞ⁉︎」


「解毒できなければ、どのみち明日にはそうなるさ。それにバルド君なら屍体に勝てると思ったんだけどね。解毒剤を受け取り、屍体に襲撃させる手筈だった。だからバルド君が屍体を倒してナユ君を守りきると見越してたんだけど。案外彼の強さも大したことなかったのかなぁ」


「あいつは……っ、鉄肺病なんだよ。夜中は咳が止まらないみたいで、だからきっと、咳込んだ時に……!」

「そう。不運だったね」

「黙れ! よくもっ!」


 ダァアアンッ! 

 フランが両手をデスクに打ちつけ、香水瓶のように美しいオイルランプが揺れる。


「怒りに燃える目もきれいだなぁ。そんなことしたら手、痛むんじゃない? ねえ今さ、おれのこと灰にしたいと思ってるよね」

 無垢な瞳でフランを見上げるデビッキ。そして三日月のように微笑む。

「おれはフラン君を死なせたくないだけだよ。君さえ助かれば、他はどうだっていい」

「迷っ、惑だよ」


「おれのことは何を思ってもいいけどさ、君は今すぐこれを飲むべきだと思うな。それに後ろの二人にもね。君の大切な友人なんでしょ?」

「……ぁっ、解毒剤が、本物かなんて、信じられるもんか」

「おれはもう飲んだけど、この通り異常無し。毒は解毒剤があって初めて取引材料になるものでしょ。それに黒羽の主は医学者で、殺人狂じゃない。フラン君のことは実験台にするくらい気に入ってるんだから、死なせたくないはずだよ」


 デビッキは波模様が美しいガラス製のカラフェから、三つのグラスへ水を注いだ。そして小瓶の青い液体を一つ目には三滴、後の二つには一滴ずつ垂らす。

「どうぞ。多いのがフラン君ね」

 しかしフランは動かない。


「飲めば大きな問題は一つ解決する。ナユ君は無事なんだし、あとは胸の装置だけになるよ」

「だけに、なる? 終わらないよ。これ、からも、黒羽は……っ、ナユさんを、狙い、続けるに、決まってるじゃないか」

 さっきから言葉を途切れさせ、フランが肩で息をしている。怒って体力を消耗しただけにしては妙だ。


「君に預けている、石はどうした? ……っく、まさか、黒羽に、渡して、いないだろうね?」

「それは次の取引で、フラン君の胸の装置を外させるためにとってあるよ。本当なら二個セットにするはずだったけど、オークション会場で盗まれちゃったからね。向こうにとっては、これが最後のピースになるわけだ」

 それからデビッキが、立ち上がってゆっくり身を乗り出し、フランへ顔を近づけていく。


「だからもう盗まれないように、この建物には退魔の結界を張っておいたんだ。冷や汗かいてるよ。ねえ、つらいんじゃない?」

 迷える信徒に語りかけるような、光の御子の鍛え抜かれた声がやさしく響く。だがそれとは裏腹に、大きな手のひらが荒々しく白金色の髪を鷲掴みにして、フランを捕えた。

「……平気だよ」


「おれがあげた聖護札はどうしたの? 魔物の力を弱めるから、結界がこんなに作用するはずないんだけどな」

「あれを持つと、やたら眠……ぅっ、だから、やめた」

「そうだよ、鎮静化させるからね。ぐっすり寝てくれてた方がおれには都合よかったし」


「くっ……! 離せ」

「これ飲んで休んでいくといいよ」

 指の間に絡めた髪をデビッキがぐいと引っ張り、至近距離で視線がもつれ合う。もう片方の手を顎からフランの顔に添わせていき、指の腹で汗をぬぐった。


「結構だよ!」

 その手をフランに払い除けられると、デビッキは酷薄な笑みを浮かべて離れる。確か新聞の風刺画に描かれた悪魔が、あんな顔で笑っていた。

 そして舌を出し汗に湿った指先を舐めながら、ルゥに向けて形の良い顎を右に振る。その先にあるのは扉だ。


「フランさん、本当につらそうですよ。少し休ませてもらいましょう」

 そばに寄ると、ゼェゼェしている。デスクに両手をついて、自力では立っていられないくらいだ。

「いやだ……帰る」


「そっちの部屋には術を和らげる香を焚いてあるから、楽になるよ。仮眠用のベッドも使っていいし」

「うるさいな!」

「フランさん、無理はよくありません。少し休んで落ち着いてからにしましょう」

 口では嫌がるが、抵抗する体力は無いようで、体を支えて誘導すると従ってくれた。


 隣室は金刺繍のダマスク模様のカーテンに、ベッドカバーは芍薬柄で、どちらも華やかな赤色だ。透かし彫りの花模様に囲われた大きな鏡のドレッサーには、女物の香水瓶が並んでいる。どう見てもリラックスして仮眠する雰囲気ではない。

 そして熟れすぎた柘榴ザクロのどぎつい香と、すうっとする香が焚かれていて、まるで予めこうなると準備されていたようだ。


「ああぁ、くそっ、デビッキの奴。お腹が千切れそうに痛い。吐きそうだ……」

 たまらず腹を押さえて、フランはベッドにうつ伏せになる。

「フランさん……」

 もどかしいが、ルゥにはどうにもできない。ただ心配しながら見ているのほど、つらいものはない。

 背中を丸めて耐えているフランの体を、おどおどとさするしかなかった。



 □■


 執務室にはデビッキとモノリだけになった。

「相変わらずですね、あなたは」

「最近いじめてなかったからさぁ。たまにしたくなっちゃうんだよね。やっぱ最高にかわいいなぁ。燃やされてもよかったなぁ」

 椅子の肘掛けに頬杖をついて、上等な肉を食したような満悦顔だ。モノリは舌打ちしたいのを堪えた。


「困ります。また胃でも壊されたらどうするんですか」

「最近はルゥ君のおかげで調子いいもんね。バルド君は助かりそうなの?」

「分かりません。できることはしたので、あとは祈るだけだと」

「そう。お、君は飲むんだ」

 デスクに置かれた三つのうち、真ん中のグラスをモノリが取る。


「オーナーにはできない決断です。実にあなたらしい」

「まあ、互いに無いものを持っているから惹かれ合うんじゃないかな」

「合っているかどうかは存じませんが。一応ご友人と言えるのでは」


 高位法術を使いこなすデビッキは、幼い頃から血のにじむような修行を重ねてきたのだろう。この世界で忘れ去られた努力という文字を体現する、稀有な存在だ。近い将来は、総主教としてラグナ教の頂点に君臨するかもしれない。


「おれにはそういうの、いないの。みーんな蹴落としてきたからさ。フラン君のことだって、昔は本気で潰そうとしてたんだよ」

「知ってます。けれどもオーナーはいつの間にかあなたをも味方につけていた。オーナーに惹かれる気持ちは理解できますよ」

「愛情の裏返しだって言いたいの? そうだねぇ、たまに踏みにじってやりたくなるしね」

「困った方だ」


 だがデビッキにとって、良くも悪くも八年も続いている関係はフランだけだ。

 頂点へ向かう選ばれし存在ゆえの孤独。誰にも埋められない深い心の淵。それらはデビッキとは切り離せないどころか、生まれ持った本質ですらある。

「神は孤独でなきゃ、みんなから愛されないでしょ」


「うちのオーナーは神じゃありませんから。一人にはさせられないこと、ご理解いただけるでしょう? 私はオーナーより早く死ぬわけにいかないんですよ」

 そう言ってグラスの中身を一気飲みした。

「うっ……」

 舌が痺れるほど苦い。これが三倍入っているとなると、フランにはかなりキツいだろう。


 モノリの反応に、デビッキは嬉々としている。しかもこうなると分かりきっているくせに、カラフェにもう水はない。友だちがいないのは神だからではなく、そういうところだと言いたい。


「バルド君が鉄肺病か。おれもいつ発症するかな。モノリ君はもう三十五歳だっけ? でも君は発症しない一割の方に入る気がするな」

「その言葉、そっくりお返ししますよ」

「あははははっ。フラン君には少し魔物の血が入ってるから、どうだろうね」


 デビッキは大きく伸びをすると立ち上がった。小瓶をモノリに手渡す。

「これ、みんなに飲ませてよ」

「どちらへ?」

「祈ってくるよ。フラン君の大事な友人のために。それしかないんでしょ」

 主が出て行くと、執務室には紙とインクの匂いだけが残った。

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