Ⅲ 安心しろ

 大暴れし、かすり傷とはいえ銃で撃たれてからまだ二日。加えて今朝は日の出前から行動し、精神的にショックも受けている。体力は人並み以下のフランなのだから、聖護札や御香で強制的に眠らせてでも休ませるべきなのだ。


「だからデビッキ司教のしていることは、一応すべて理に適っているんだよ。一応」

「だからってハイありがとうございますとは言えないですけどねっ!」


 小鼻をふくらませたルゥとモノリが見守るベッドでは、フランがうつ伏せのまま眠っている。御香で退魔の結界術の苦痛が和らいだのだろう。

 小一時間ほど待ち、フランが動けるようになったので三人で火葬場へ戻った。

 オーナー室で黒服に着替え、何も口にせず炉裏へ向かうフランをルゥが追う。普段はついて行ったりしないのだが、今日はどうしても心配だった。


 炉裏では既に技師たちがスタンバイし、モノリも先ほどまでの事はまるで無かったかのように仕事に徹している。

「午前中は三体です。ご遺族はどれもいません。よろしくお願いします」

 モノリに続き、技師たちも「よろしくお願いします」と礼をした。

「はじめようか」


 まず一号炉の扉を開けると、既に予熱されていて、甘ったるい熱風が出口を求めて向かってくる。ルゥには侵入を阻まれるように感じるが、フランは全く動じない。細身の体に貫禄すら感じる。

 灼熱の密室で棺に左手を乗せ、右手は親指と薬指の先を合わせて顔の前で念じる。だが次の瞬間、指先から白い炎が一メートルほど噴き上がり、自分で驚いたフランが尻もちをついた。


「っ! 危ない!」

 慌てたルゥが扉を開けようとすると、大丈夫とフランが手で合図した。


 呼吸を落ち着けてもう一度念じる。今度はいつも通り小さな炎が点り、ロストルの下へと指を向ける。だが小さすぎるのか、なかなか着火しない。

 あまり酸素量を増やし過ぎると大きく炎上してしまうから、着火は外の技師と中のフランの息を合わせて行う繊細な作業だ。火葬場一のベテランモノリとのコンビネーションで、ルゥの知る限りこんなことは一度もなかった。


 七回繰り返して、ようやく炎を安定させることができた。

「申し訳ありませんオーナー、私が合わせられず」

「いや、僕がおかしいね」

 額から流れる汗をハンカチで押さえるフラン。熱された火葬炉内に居る時間が長かったからだ。そして言葉通り、次も、その次も普段の三倍以上の時間がかかった。


 フランは早々に炉裏から去ってしまう。モノリと視線を合わせ、頭を下げるとルゥも炉裏を後にした。

 こんな時でもルゥにできることといえば、ごはんを作るだけだ。


 厨房では料理長自慢のブイヨンが仕上がっていたので、肉団子入りのトマトシチューを作ることにする。

「デビッキ司教って、わざとフランさんの痛いとこ突いてくるっていうか。やり方がエグいんですよ。楽しんでやってるし、本っ当にタチが悪いしいちいちエロいし」

 と、止まらない文句を垂れていると、料理長から焼きたてパンを口につっこまれた。


「むぐっ、イチジク? おいしいですね」

「オーナーに。それと調理はおまえの捌け口じゃない。悪態をつきながら作ると、めしがまずくなる」

「……そうでした。ありがとうございます」

 うまいものを食べれば人は元気になれる。フランはルゥほど単純ではなかろうが、きっと少しは助けになれるはずだ。


 食事を持ってオーナー室に入ると、フランは応接ソファにもたれて足を投げ出している。眠ってはいないようだが、疲れているのだろうか。あるいは落ち込んでいるのか。

 いつも通りに、天面が象嵌加工された猫足の丸テーブルに盆を置き、ガスストーブで湯を沸かし始めた。


「フランさん、食べられそうですか?」

 早朝から紅茶しか口にしていないので、本当なら何がなんでも食べさせたい。

 しばらく返事はないが、待つ。ごり押ししたいのをぐっと我慢する。

 ようやくフランが立ち上がり、伸びをしようとして「いたたた……」と肩の傷を押さえる。それからテーブルへついた。


「食べようかな」

「今日は料理長との合作ですよ」

 シチューが入ったココット皿の蓋を開けると、横に立つルゥを見上げる。 

「あれ? 野菜ないね?」

「柔らかくしてつぶしたので、シチューに溶けています」

 

 ミルクとクリームでトマトの酸味を和らげたうえ、つぶした豆も入れている。コクのある甘味とほくっとした風味を感じるはずだ。フランはこういうドボドボしたのが好きなのだ。

 肉団子をスプーンで割り、もぐもぐしながら嬉しそうに微笑む。珍しくイチジクのパンまでぺろっと全部食べてしまった。

「ふあぁ……、癒される」


 フランにとって、食事は苦痛とまではいかないにしろ、決して心躍るものではない。好きなものの方が少なくて、無理に食べては腹痛や下痢。それでも続けるしかないからだ。

 なのに今、癒されると言った? おれのごはんで?


「おいしかったよ」

「……ありがとうございます。あのフランさんおれ、」

 せっかくいいところなのに、ストーブの上でやかんの蓋がカタカタいう。

「あぁっ! 沸かしすぎちゃった!」

 ちょっと気を抜くとすぐこれで、自分の不甲斐なさにガッカリだ。

 天使の笑顔でフランが笑う。


「僕も今日は自分の前髪を燃やしちゃったし。このままだとおかしいかな?」

「あんまり違和感ないですよ。フランさんはどこの床屋なんですか?」

「自分で切ってるよ」

「へー! すごいや、器用なんですね」


「あっちこっち向いて全然まとまらないからさ、いつも適当」

「おれも癖っ毛だから気持ちは分かりますけど、いろいろずるいなぁフランさんは」

「なにさ」

 ちょっと眉を持ち上げ微笑む瞳がキラッとして、なんとも色っぽい。


 それから午後は持ち直し、順調に仕事をこなしていった。すれ違いざまモノリに腹をどつかれたのが、褒められたようで嬉しい。

 更にバルドが意識を取り戻したと連絡が入り、仕事を終えると二人で病院へ向かう。いつどうなってもおかしくない状態に変わりはないので、面会は短時間でと指定された。


 ベッドに横たわるバルドの腕には点滴がつながり、顔はまだ血の気がなく白い。近づいたフランが、刺激しないようやわらかい声をかけた。

「バルド、よく生きていたね」

「襲ってきたヤツは……ありゃあ人間じゃねえ。あれは……」

「うん、デビッキの屍体兵だよ。黒羽の主を相手に、呪いを解く解毒剤とナユさんの身柄を取引したって」

「ケッ」

 かすれた声で、バルドは中指を立ててみせる。


「腹が立つけど、君もこれを飲んだ方がいい。今はこれ以外に解決策はないから」

 フランは青色の小瓶を床頭台に置く。

「とんでもない味でさ、今の君の体にはキツいかもしれないけどね」

 ちなみにフランは何度もえずき、やっと飲み込んだと思ったら全部吐き戻してしまい、やり直しを食らっている。


 それからフランは黙った。言葉を探している。そんな感じだ。だが見つからなかったのだろう、「また明日来るから」と立ち去ろうとした。


 しかしちょうどライザとナユが入ってきたので、ドアのところで成り行きを見守ることになった。

 誘導されたナユがバルドの手にすがる。

「バルドさん……、ひどい怪我なのでしょう? 痛いですか?」

「あぁ? 俺は強えから平気だ。余計な心配すんな」

 そう言って右腕を上げ、ナユの頭をポンポンとした。ルゥが同じ状態なら、ちょっと腕を上げただけでも激痛に悶えるだろうと思う。


「ごめんなさい。ごめんなさいバルドさん。わたしのせいでこんなことになってしまって、本当にごめんなさい」

「お前のせいじゃねえ」

「あの事件が大元だと聞きました。だからきっとわたしのせいです。そのくらい目が見えなくてもわかります。嘘つかないでください!」

「……大人を困らせんな」


「ナユよ、凶悪犯のこいつに恨みを持つ人間はたくさんいるのだぞ? だから気にすることはない」

 ライザに手を握られても、ナユの見えない瞳はバルドだけを見ていた。


 もう一度バルドが腕を持ち上げ、麻袋のような手でナユの頭をぐしゃぐしゃにする。

「もう置いてったりしねえから、安心しろ」

 ぶっきらぼうに言うと、ナユの瞳から涙がこぼれ落ちて、笑った。


 フランと二人、そっと病室を出て帰り道を歩く。

「あの二人って何なんでしょうね。恋人って感じじゃないし、兄妹きょうだいにしては歳が離れすぎてますし」

「親子だと逆に近すぎるしね。けど二人が一緒にいるのを見ていると、僕まで満たされた気持ちになるんだよ」

「わかります。おれも」


 あの二人を見ていると、互いを思いやる気持ちは、必ずしも共に過ごす時間の長さとは比例しないのだと思う。

「フランさん」

 だからそれは、自分とフランにも同じはずだ。

「なあに?」


「いえ……。夕飯は何にしようかと思って」

「もう夕飯の話? まだ食べる気にならないよ」

「安心したらおれは腹が減りました」

「元気な証拠だなぁ。じゃあ帰ったら、みんなを誘ってお茶にしようか」

「久しぶりにいいですね」


 だがそんなルゥの安堵は所詮、気休めにすぎなかったのだと、すぐに知ることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る