Ⅵ ならず者

 オーナー室の掃除を手早く終え、ルゥは中央ホールへ下りて行った。さっきすれ違ったおくるみを抱えた女性が、自分と同じ歳くらいに見えて気になっていたのだ。

 受付がある中央ホールの奥は、ご遺体と遺族が最後の対面をする炉前に続いている。一号炉の方へ向かうと、一抱えほどの小さな棺と、さっきの女性の横顔が見えた。


 まだ蓋が開いている棺の中を見て、フランが語りかける。

「あなたの赤ちゃんなのかな」

 頷く顔はやはり、まだ幼ささえ残るルゥと同じ年頃だ。


「赤ちゃんなんていらなかった。けど下ろすお金もなかったし、育てていくお金もないし。だからこうなって良かったの……っ」

「ずっと一人で不安だったんだね」

 フランの澄んだ赤い目に見つめられ、女性は泣き出した。

「うん……。産んだら捨てちゃえばいいと思ってたけど、できなかったの。だってこんなに小さいのにちゃんと人間の形してるんだもん。この子、あたしのこと分かってた……」


 こうなって良かったのだと思い込むことで、自分で自分を守ってきたのだろう。彼女は救いや赦しを求めてここへ来たわけではない。

 しかし黒服のフランを前にするとなぜか、悲しみや怒りで荒れた心が湖面のように静まり、そこへ雲間から一筋の光が差すのだ。

 この時もそうだった。フランは特別な言葉を使ったわけではない。教会の神父のようにそれらしいことを告げたわけでもない。なのに彼女が誰にも言えなかった本当の思いをすくい上げたのだった。

 やっぱり天使なのかもしれない。


「話してくれてありがとう。もう一度お別れをしてあげようね」

 女性は棺の中に手を伸ばし、今度は声を上げて泣いた。

 フランはしっかり時間を取り、女性がいいと言うまで待った。それから棺に蓋をして、モノリと二人で火葬炉の中へ送る。火葬炉の扉を閉め、女性へ丁寧にお辞儀をすると、炉裏へと向かった。


 午前中の火葬はこの一件のみだった。フランは不満げだが従業員にはこんな日もあっていい。今頃みんな、コーヒーを楽しみながら食堂で談笑しているだろう。


 フランの昼食には、鶏挽肉とカボチャのポタージュスープに、焼きたての種なしパンを添えた。

「カボチャはやだよ」

「そう言うと思いました。まず一口食べてみてください」

 どうしてそんなひどいことするの? という仔犬の赤目に負けそうになるが、全力で睨み返す。すると根負けしたフランがおそるおそる、口をつけた。


「……いけるかも」

「カボチャは疲れた胃に良いんです。今のフランさんに必要な食材ですから、少しでもいいから食べてください」

「ほんとはね、朝からずっとお腹痛かった」

「っ! デビッキ司教張っ倒してきていいですか」

 パンを浸しながら三分の二は食べてくれたので、ホッとする。


 木蘭が刺繍された応接ソファでは、風呂に入りマーシャに髪をとかしてもらったナユが眠っている。こんなに可愛らしい子は見たことがないとマーシャが感嘆するのも分かる寝顔だった。


 受付から「ものすごく悪そうで怖い人がオーナーを出せと言っていますぅ!」と連絡があり、ルゥが迎えに行くことになった。秘書の仕事なので仕方ない。

 警察に無理やり連行されたにもかかわらず、こたえた様子は全くなさそうだ。ルゥの姿を認めると、バルドは大あくびだ。


「さっきのちんちくりんか」

「ルゥだ。フランさんの専属料理人で秘書」

「料理人に秘書だぁ? 嘘つけ。あいつは食にも人にも関心ねぇぞ」

「知ってるよ。けど専属だ」


 フランに『友人で食客』と紹介されていたこの男。要はタダ飯食らいの居候ということだ。それにさっきも、浮いた分の金を俺によこせとフランにのたまわっていたじゃないか。

 フランさんはなんでこんな奴を……。

 歩きながらバルドの軍服をチラ見する。元は黄土色だったのが長年の汚れで黒くくすみ、あちこち擦り切れている。


 軍服は罪人の証だ。囚人服と言っていい。

 鉄肺病で長くは生きられないと分かっているのに、わざわざ御国のために己の命を危険に晒そうという者は皆無になった。そこで犯罪者に懲役として兵役に就かせている。ライザ署長が『罪人兵士バルド』と呼んだのはこのことだ。


「フランさん、お連れしま」

「やれやれだぜ。水ぶっかけられてこの通りキレイになって戻りましたよ」

 遮られたうえに遠慮なしにオーナー室へ押し入られ、ルゥのこめかみが燃える。

「ちょっとあんた!」

 しかしバルドはこちらを見ようともしない。


「ナユはどこだ?」

「向こうで眠ってるよ」

「お前、専属料理人をつけたって本当か?」

「本当だよ。僕はルゥに胃袋を握られてるんだ」

「ほ——ぅ。一体どういう風の吹き回しだ?」


「君が出発した直後に体調を崩してね。十日も休んでしまって。たまたまルゥが助けてくれたんだけど、もし居なかったら死んでいたかもしれない」

「んだって⁉︎  聞いてねえぞ⁉︎」

「だって積み荷は常に動いてるし、伝えようがないじゃん」

「使いを出すとかあんだろうよ?」

「そこまでする必要……」

「あんだろうよ!」

 バン! とバルドが机に手を打ちつける。


「俺の知らねえ間に死にかけただと? 俺ぁお前のために命懸けて働いてんのに、戻った時には報酬もなしで、ベルジェモンドにご挨拶ってわけか」

「死んだら自分の体は燃やせないよ」

「そこじゃねえだろ! ったく、戦場より肝が冷えたぜ」


 そこでバルドの黒々とした瞳がルゥを見る。初めて真正面からお互に目を合わせた。

「それじゃお前もフランと同じ、魔法使いってことか」

「ま、魔法だって? おれのどこがだよ? そんなわけないだろ」

「食いたくても食えねえ体質のこいつに食わせてんだ。魔法だろ?」


 土が汚染され、農作物にも草を食べる家畜にも地中の毒素が溜まっている。それでも生きるには食すしかないのだが、これにフランの体はことごとく反応してしまうのだ。吐いたり下痢したりは日常茶飯事で、食に興味を失うのも理解に容易い。


「うん、料理が作れるのって魔法だよね。それに彼には僕の食べたいものが分かるんだ。僕自身にはわからないのに不思議でしょ。ルゥが作ったものなら、お腹痛くならないし」

「だから、魔法なんかじゃないですし!」


 もちろん材料は値が張ってもなるべく良質なものを選ばせてもらっているし、味付けや調理方法を料理長に相談することもあるから、決してルゥ一人だけの力ではない。フランの魔法とは断じて違う。


「おれは毎日必死で考えてるんですよ。魔法ってもっと、自然と内から湧き出るようなものじゃないんですか?」

「僕だって必死で体内の熱を炎に変えてるんだよ。おかげですぐ寒くなるし。僕の中の魔物の血がもっと濃かったら、自然に湧き出せるのかもしれないけどね。だから野菜をそうと分からせないよう料理できる方が、よっぽど魔法っぽいと思うな」


「そんじゃ俺にも魔法の料理を作ってくれよ」

「いやだ。誰があんたなんかに。おれが料理するのはフランさんの為だけだ」

 ルゥの即答に粘る余地はないとみたのか、バルドは肩をすくめる。


「へいへい、それじゃ食堂で済ませてきますよっと。話はライザのヤロウから聞いてる。食ってからでいいんだろ?」

「うん。頼むね。安置室に行く時はモノリに言ってね」

 騒がしいのが出て行くと、思わずルゥは溜息をついてしまった。


 なんでフランさんはあんな図々しい奴を。しかも年季の入った軍服を着てるなんて、犯罪を繰り返しているに違いない。


「ふふっ、ああして彼はたまに食堂に出入りしてるんだけど、見たことなかった?」

「言われてみればあったかもしれませんが、覚えてません」

「三年くらい前になるかな。あいつは死体でここに来たんだよ。ライザ署長が拷問したら死んじゃって、処分を依頼されてね。けど安置室で息を吹き返したんだ。魔物だと思ったよ」


「え、魔物なんですか?」

「ううん、魔物より魔物っぽい人間だった」

 血と臓物は苦手だが拷問は大好物というライザ署長はよく分からないが、とにかくこの街では、容疑者の生殺与奪を握るのは警察署長ただ一人であり、神でも裁判官でもない。


「それで助けたんですか。犯罪者なのに」

「記録上は死んだ男だし、行く場所も無いみたいだったし。タダで使える労働力があるのはいいじゃない」

「けど、いつまた悪い事するか……いえ、すみません。おれはあの人を知りもしないのに口出しする権利はないです」


 さっき反省したばかりなのに、また同じことを繰り返してしまった。

 どうしたらフランのように、貧しい者、病める者、身勝手な者、ならず者にまで平等にやさしくできるのだろうか。


「お茶を淹れてくれる? 炒り茶がいいな。君も一緒に飲むといい」

「はい」


 琺瑯ほうろうのやかんに水を汲むと、後ろでフランが呟いた。

「まぁ、女の子を連れて帰ってきたのには驚いたよ。彼にそんな一面があったとはね。それこそ郵便出して事前に相談しろって思うけど」


 オーナー室にキッチンは無いが、暖を取るための小さなガスストーブがある。黒鉄のぽてっとした形で、お湯を沸かしたり少量の煮込みなら作れるのだ。

 お湯の沸かし方にもルゥなりのこだわりがあって、強火で急速にグラグラ沸かしてはいけない。それでは湯が荒くなり、猫舌のフランはすぐ口の中の皮がむけてしまう。だから時間はかかってもガスストーブくらいの火力が丁度いい。


 寿命が短くなり、何事においても時短で効率的なのがもてはやされる世の中だが、こうしてフランと二人、静かに待つ時間は悪くないとルゥは思う。

 丁寧に沸かした湯を注ぐと、炒り茶のふくよかな香りが立って嬉しくなる。細かな花模様が描かれたティーカップは、フランのお気に入りだ。


 茶を楽しみながら待ち、手持無沙汰なので買い出しに行こうかと思った時、部屋の扉がノックされた。

「モノリです。ご遺体の処置が終わりましたので、オーナーに報告を」

「どうぞ。お疲れ様です」


 ルゥが扉を開けると、モノリに続いてバルドが入室する。

「腹の中に、こんなモンが入ってたぜ」

 デスクに置かれたのは、金色の塊だった。

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