Ⅴ 黒い医学者

「墓地を調べたが、棺は内側から破壊されていたぞ。ワタシも未だに信じられないが」

 歩くたびにブリンブリンするライザ署長の尻に見とれていたルゥだが、その言葉に我に返る。


「昨日、ワタシが遺体をここに運んだ時には死亡推定時刻から二十四時間以上経っていたんだ。再び動くなんてあり得ないだろう」

 デビッキが頷く。

「だよね。それに埋葬する時、ご遺体にはおれが簡易的な葬還の術をかけたんだ。フラン君の炎で燃えなかったんだもん、何かあるでしょ。意味なかったみたいだけど」


 燃えなかったうえ、完全に死んでいたはずなのに自力で棺を破壊し、歩いて火葬場まで戻って来た女性のご遺体。三十メートル上から飛び下りて怪我ひとつないことからも、やはり正体は悪霊か魔物だろうか。


「だとすると、なぜ彼女はここへ戻ってきたんだろうね。僕たちに何か伝えたいのか、してほしいことがあるのかな」

 死人に口なし。フランの問いに答える者はいない。


 安置室にはフランとデビッキ、ライザだけが入る。死亡時刻から二十四時間経っていない遺体はここで時を過ごすのだが、時には損壊した遺体もあるため、ルゥは単純にこの部屋が怖いのだった。

 フランが安置室の扉を閉めると、すべすべした白い石造りの廊下で、ルゥとナユの二人になる。扉の前には雄牛の小さな石像があり、ナユは触って形を確かめていた。


 火葬場内には他にも獅子や鳥などの小さな石像がところどころに配置されている。それらは様々な宗教で聖なる生き物とされていて、フランの意匠だという。


「流れでここまでついてきちゃったけど、疲れてるよね。先に部屋に案内しようか?」

「平気です。一緒がいいです。知らない場所で一人になるのはちょっと怖いです」

「そっか。あ、おれはルゥっていうんだ。フランさんの専属料理人で、秘書もしてる」

「専属料理人ですか。フランさんはオーナーだからお金持ちなんですか?」


「そうだなぁ、お金持ちなんだろうけど、あんまり贅沢はしないかな。それよりお腹が弱いのと偏食なんだ。なのに魔法で体を酷使して、二か月前におれの目の前で倒れちゃって。おれは元々ここの食堂で調理してたんだけど、それをきっかけにフランさん専属の料理人になったんだ」


 あの日、赤い雨に打たれてひどく疲れていたフランの姿が忘れられない。

 この人を助けるのが自分の使命なのだと、無条件に思った。二ヶ月経った今でも、少しも揺らぐことはない。


「だから、料理人になったのはフランさんがオーナーでお金持ちだからっていうわけじゃないんだ。うまく言えないけど。ナユちゃんこそ、よくあんなガラの悪い怖そうな人と居られるね。勇気あるなあ」

 言ってからしまったと思ったが、遅かった。


「バルドさんはガラが悪くて怖そうなんですか?」

「ごめん、おれはあの人とは初対面で、よく知りもしないのに見た目だけで言うのは良くないよな。今のは聞かなかったことにしてくれる?」


「あの、想像通りです。わたしもたくさん悪態つかれましたし。それに初対面でちんちくりんはひどいです」

「だよねぇ⁉ ていうかこのままだとおれ、ナユちゃんの中でもちんちくりんになっちゃうじゃん!」

 すると声を立ててナユが笑った。思ったよりも元気そうで安心する。気骨のある少女なのだろう。


 たわいもない話をしていると、営業準備を終えたモノリが合流し、それから十分ほどで三人が安置室から出て来た。

 あのご遺体には何かある。しかし見ただけでは分からない。それが結論らしい。


「確かに死んでいるのに、普通の遺体ならあるはずの硬直も死斑も全くないからな。まるで死の直後、時間が止まったようだ。どう思う司教」

「悪霊の感じはしないから、可能性として最も高いのは魔物。フラン君の高火力で燃えなかったしね。ただその場合疑問なのは胸の傷だ。魔物の硬い体に一体誰が傷をつけたのか。しかも斧でぶった切ったような深い傷をね」


「うむ、見た目は人間と変わらなくても、魔物の体は合金のように丈夫で鉄肺病にも罹らないと聞くな。では遺体を解剖する必要があるか?」

 ライザ署長が手で腹を開ける真似をする。


「一体誰がやるの? あともう一つ可能性があるのは、体は人間だけど、中に何かが入っていて作用している場合」

 何かってなに? 全員の頭に?が浮かぶ。


「例えば、死んでなお肉体を維持するための装置とかね。魔物たちの知恵と技術は人間よりもずっと高度なんだよ。だから彼らは鉄肺病に罹らないだけでなく、治せるとさえ言われている」

 人と同化して暮らしてはいるが、皮を一枚めくってみたら実は異次元という感じだろうか。世界的な著名人の多くが魔物との噂は、案外本当なのかもしれない。


「とにかく、ご遺体が何をしてほしくてここに戻ってきたのかを、知る必要があると思うけどな。特にオーナーのフラン君は」

「僕はご遺体の過去には触れない主義だけど、今回ばかりはそうはいかないみたいだね」

「じゃないと何度埋葬しても戻ってくると思うよ」

 それは怖い。怖すぎる。ルゥは一人息を飲んだ。


「遺体の身元はもう一度ワタシが調べよう。それと、体を切って開けてみる必要があるということだな?」

「そ。頼みますよライザ署長」

 デビッキがどうぞと手の平を向けると、ライザはぷいと横を向く。


「ワタシが血と臓物が苦手なことくらい知っているだろう。無理だ」

「そうでした。拷問大好き、泣く子も黙るライザ署長なのにねぇ。フラン君は?」


「僕もご遺体を傷つけるのはちょっと。君がやったら?」

「おれだって聖職者だし、そういうのは気が進まないなぁ。でも協力してくれる医者なんていないよね」


 鉄肺病により五十代で寿命を迎える人生になると、人は時間をかけて努力することを捨てた。一生をかけ勉強と研鑽を積むしかない医者を志すのは、よほどの変人か、あるいは魔物だが——

「いるかもしれないぞ。新市街の丘の上、黒羽の館の主は医学者だろう。これだけ特殊な遺体なら、頼んでみる価値はあると思うが」


 黒羽の館。それは濡れカラスの羽根に覆われたような漆黒の館で、不気味な場所ということだけはルゥも知っている。

「あー、でもすぐにっていうのは難しいと思うよ。なかなか会ってくれないから」 

 デビッキは知り合いらしい。さすがは新市街の有力者の一人だ。


「だとするとライザ署長、ここはバルドが適任だ。戦場経験が豊富な彼なら、切ったり縫ったり抵抗なくできるはずだよ。ナユさんは僕が責任を持って保護するから、釈放してくれないかな」

 彼女が腕を組むと、ド迫力のバストがより強調される。そんなライザの鋭い目がナユを捉えると、隣に立つルゥまで妙に緊張してしまう。


「仕方ないな。署に戻って手続きをするから、昼頃には帰そう」

「恩に着るよ」


 ホールへ戻り、ライザとデビッキを見送ると、両手でおくるみを抱えた若い女性とすれ違った。おぼつかない足取りに、受付の女性スタッフがカウンターから出てくる。


「モノリ、今日はマーシャは出勤?」

「おります」

「ナユさんをお風呂に入れてあげてほしいんだ。あと新しい服も用意するよう頼んでくれる」

「承知しました」

 物静かなマーシャは唯一の女性技師だ。


「フランさん、バルドさんは戻ってくるのですか?」

「心配かけちゃったね。何をこじつけても連行するっていうライザ署長に逆らうよりも、素直に警察署に行かせて身の潔白を証明させた方が早いと思ってね。彼が帰って来るまで、お風呂に入ってゆっくり休むといいよ」


 ナユをマーシャに引き渡し、フランはオーナー室へ直行した。仕事用の黒服に着替え、すぐに炉裏へ向かおうとするので、ルゥは急遽こしらえたドリンクを突き出す。本当は粥を作りたかったのに。


「さっき、受付にいたおくるみを抱えた女の子は母親でしょうか。おれと同じくらいの歳に見えました」

「たぶんね」

 頼れる者もなく亡骸を抱え、葬式はもとより棺すら用意できなかったのだろう。小さな棺から離れられずに泣きじゃくる母親の姿を見たことがあるが、あれにはルゥも胸が張り裂けそうだった。


「ところで、昨日は何時まで飲まれてたんですか」

「えっと、日付が変わってすぐ帰ったかな。これなに? リンゴ? おいしいね」

「中身言ったら飲まなくなるので内緒です。フランさんの嫌いな野菜がたくさん入ってますから」

「そうなの。でもおいしいよ」


「おれはフランさんの健康管理をするように、みんなから言われてますから。それにあなたが倒れた時、スタッフ全員どれだけ心配したと思ってるんですか。デビッキ司教だって普段はやらないのに旧市街の遺体を引き取ってくれたし、あと——」


「わかった、わかってるよ。じゃ行ってくるね」

 最後に白湯で口の中を潤し、逃げるようにフランは炉裏へと向かった。


 魔法は精霊や自然といった外的要素ではなく、体内からのみ生み出されるという。だから魔法を使い続けるのは身体的な消耗に加え、かなりの集中力を要する重労働なのだ。おまけに炉裏は常に暑いし、遺族の応対もフランが引き受けることが多い。


『人の体は口から食べたものでできてるんだよ』

 弁当屋を営んでいた亡き父母の言葉だが、こんなにも身に染みる時が来るとは思わなかった。

「フランさんには元気でいてもらわなきゃ」


 では合金のように頑丈で病にも罹らない魔物の体は、何でできているのだろうか。そんな魔物かもしれない女性に傷を負わせ死に至らしめたのは、一体誰なのか。女性は何を伝えようとしているのか。そして不気味な黒羽の館は——。

 もう、いやな感じしかない。ぶるっと寒気がして、ルゥは思わず両腕をさすった。

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