Ⅳ 罪人兵士と少女
これには出勤してきたモノリや技師たちも、そしてフランですら言葉を失った。
「胸の傷も同じです。昨日のご遺体で間違いありません」
モノリと技師たちで遺体をあらためたが、全員一致で頷く。
「両手の爪にはかなり土が入りこんでいます。それに昨日は靴を履いていたのに、今は片方しかなく、足の裏は真っ黒です。つまりです、オーナー。こんなことは前代未聞であり得ないのですが……」
「誰かが掘り出したんじゃなく、ご遺体が自力で土から出て、自分の足でここへ戻ってきたと」
「あり得ませんが」
繰り返すモノリ。
「ルゥが出勤した時、裏口は施錠されていたんだよね?」
「はい」
「だとすると……」
全員で天井を見上げる。白蓮の花弁をかたどった
「まさかあそこから入って来たっていうんですか? 登れる高さじゃないですよ?」
円蓋頂点から床までは三十メートル近くある。穴は戸やガラスで覆われてこそいないが、今日まで屋根を登って侵入を試みた者は皆無だろう。
「それに死体とはいえ、あそこから落下したら骨折じゃ済まないですよね」
「ご遺体に新たな外傷はない。状態は昨日と同じだ」
モノリも否定する。
屋根には縄を吊るせるような箇所はない。そもそも死体がどこからか縄を調達するものか。
誰かが放り込んだにしても、死体が自分で動いたにしても、もう訳が分からない。目の前の遺体がどんどん怖いものに見えてくる。何か呪いを受けているのか、あるいは夜だけ生き返るのか。
その時、正面玄関の大きな扉で呼び鈴が鳴る。
あまりのタイミングにビクッとするが、ここは自分が動かなきゃとルゥは扉に駆け寄った。
「ど……どちら様でしょうか? え、デビッキ司教?」
フランを振り返ると、うんと頷かれたので扉を開けた。
「フラン君! 昨日のご遺体が墓荒らしにあって無くなっ……あるぇーっ⁉︎ どうしてここにいるの?」
「どうもこうも、出勤したらこの状態だったんだよ。僕たちにもわからない。墓荒らしなのは確かなの?」
「墓荒らし以外に、ほかに何か可能性が?」
フランは遺体の爪と、足の裏を見せた。
「なるほどね。墓地はライザ署長が調べてるから、終わったらこっちに来てくれるよ。わざわざご遺体の手足を汚してここに放り込むなんて、ただの墓荒らしがすることじゃないね」
「だよね。嫌がらせにしては手が込みすぎてるし」
この国で多くの人が信仰するラグナ教では土葬が標準だ。だから火葬は蛮行という考えを強固に持つ者もいて、嫌がらせの類はたまにあるのだった。
すると、再びキンコーンと呼び鈴が鳴る。
「噂をすれば早速ライザ署長でしょうか?」
豊満なド迫力ボディのライザ署長を想像してルゥが扉を開けると、いたのは真逆のむさ苦しい男だった。ギロリと見下ろしてくる目つきは悪く、髪はざんばらで顔中無精髭だらけ。腰にはいかにも現役ですという長剣を佩いている。
「どっ、どのようなご用件でしょうかあ?」
秘書としてしっかりしなきゃならないのに声が裏返ってしまった。
「火葬のご用命でしたら営業時間内にあらためて……」
「どけ、ちんちくりん」
「ちんちく……何語だよ。っていうか勝手に入るなよ⁉︎ あっ、ちょっ!」
麻袋のようなガサついた手の平に上から押しのけられて、全く身動きが取れない。
「よう、フラン。帰ったぜ」
古い軍服を着た男は、オンボロ軍靴でズカズカとホールへ入っていく。
うそだ、フランさんにこんな野蛮な知り合いがいるわけがない。きっと金の無心に来た悪い輩で……。
「おかえりバルド。ご苦労さま」
「なんでー⁉︎ おかえりって、おかえりって! おれだって言われた事ないのに⁉︎」
しかしルゥの叫びもむなしく、フランは天使の笑顔でムサ男を迎えている。男の方も嬉しそうな顔しやがって。しかも遺体をチラッと見たきり気にもかけない。
「これから石を検品するから、炉の修理は明日からだとさ。ったく、あのジジイに散々こき使われたぜ。俺が同行した分、ジジイへの支払いは安く済むんだろ? なら浮いた分は俺に支払ってもらわなきゃなぁ」
「しょうがないでしょ、僕の炎に耐えられる素材なんて限られてるんだから。クグロフ親方の技術がなきゃ、ここはやっていけないんだよ」
玄関に取り残されたルゥの前には、十二、三歳くらいの銀髪の少女がぽつんと立っていた。顔立ちはつくりもののように整っているが、薄汚れて髪はもつれにもつれている。長い杖で辺りを探っているところを見ると、灰色の瞳は見えていないのだろう。杖の先がルゥの爪先に当たる。
「ごめんなさい。入ってもいいですか」
「君は、あの男の連れ?」
「あの男とはバルドさんのことですね? そうです、助けてくれました」
「へぇ……。あ、そこ、少し段があるから気をつけて」
「ありがとうございます。ここはどこですか? 不思議な匂い。お香かしら」
「火葬場だよ。よくわかったね、確かにお香を焚いてる」
「火葬場。初めて来ました」
「ははは、普通そうだよね」
初めて訪れた火葬場で、いきなり死体が転がっているのを見たらショックだろう。この子の目が見えなくて心底良かった。
——匂いといえば、あの遺体からは、生臭さがない。
料理人を自称するからには、自身の鼻は効く方だと思っている。遺体は死後二十四時間以上経たないと埋葬できない。つまりご遺体は死後少なくとも丸二日以上経っているはずだが、腐敗が進んでいる様子がないのだ。
ライザ署長が来るまで、ご遺体は安置室へ移されるのだろう。モノリら技師たちが運んでいくと、フランの視線が少女へ注がれる。
「バルド、あの子は?」
「ああ。ナユってんだ」
「まさか君、金欲しさに誘拐したの?」
「なんでそうなるんだよ。楽団の一座が、野盗ともども襲われた事件知ってるか?」
新聞に載っていた事件だ。魔物の仕業か、という見出しだった。
「俺は積み荷に先行して進んでたんだが、事後の現場に出くわした。ひでぇ有様だったが、ナユだけが生き残ってたんだ。目が見えねえって言うから近くの村まで連れてくって話だったのが、ここまでついて来ちまった」
生き残りがいるとは新聞でも報じられていなかったが、するとこの子は共に旅して暮らしてきた家族や仲間を一度に失ったのか。
盲目の少女が一人で生きていけるほど世間はやさしくない。偶然助けてくれたバルドに縋ろうと必死だったのだろう。ナユの粗末な靴は破けていて、木綿のチュニックの膝から下は生傷だらけだ。何度置いて行かれても死ぬ気で追いかけたに違いない。
するとフランが歩み寄る。
「はじめまして、僕はフラン。この火葬場のオーナーをしているよ。バルドは友人というか僕の食客でね。ナユさん、握手してもいいかな?」
「はい、フランさん。とってもいい匂いですね」
フランがナユの手を取ると、こわばっていたナユの顔がはにかんだ。フランの顔を見たわけではないから、声や手に人柄が現れているのだろう。
「ありがとう。長旅で疲れたよね、ゆっくり休んでいくといいよ。それは楽器?」
「はい。バンドゥリアンハープといいます。弾いてもいいですか?」
「いいけど、疲れてるんじゃない?」
「平気です。少しだけ聞いてください」
言いながらナユは背負っていた袋から、大きな瓜を縦半分にしたような楽器を取り出した。十三本ある弦を軽く弾きながら、手早く調弦していく。そして楽器を縦に構えると、小さく柔らかな手から発したと思えぬほど張りのある音が、ホールを貫いた。
硬質な弦から弾き出される音はどこか金属的な響きがある。しかし同時に水や空気のような柔らかさもあり、身体の芯に触れてくるのだ。紡がれる短調のメロディーと相まって、知らず知らずのうちにルゥは涙ぐんでいた。
少女の手が楽器から離れ、全員が拍手する。バルドは「どうだ、金が取れるだろ?」と得意げだ。
「心が洗われるようだったよ、ナユさん」
フランに言われて、ナユは首を横に振る。
「いいえ、わたしなんてまだまだです。お父さんとお母さんはもっとすごかったから」
その両親はもういない。バルドが「ほんじゃ休ませてもらおうぜぃ」と促した。
「アンタは待ちな、罪人兵士バルド」
開けっ放しだった正面玄関からかかった声の主は、ノールデン市警の灰色の制服に映える、たっぷりしたピンク色の長い髪。タイトスカートには腰と太腿の曲線がもろに出ていて目のやり場に困るが、視線を上にずらすと、今度は大きすぎてナポレオンジャケットのボタンがはち切れそうな胸だ。頂上に金色の警察バッジをつけた、ライザ署長だ。
「げっ! 俺ぁナンもしてねえぞ!」
「嘘をつけ。女の子を連れているのを目撃されてる。どこで誘拐してきた? 人身売買する気だな」
「はアぁ⁉ 俺ぁ石工のクグロフじじいと石を切り出してはるばる運んで、二か月ぶりに帰って来たとこだ。フランから頼まれてんだからな」
「ではその道中で
「いい加減にしろよ、ハナっから決めつけやがって。誘拐じゃねーよ、どうしてもってナユの方からついて来たんだ」
「ものは言いようだな。おい、連行しろ」
「っうおおおい! 人の話を聞けっての! つうかフラン、何とか言えって!」
「ライザ署長を待ってたんだよ。バルドを連行したら話をいいかな」
「おいっ⁉︎」
「墓荒らしの件だろう?」
「それが、遺体はここに来ていてね」
「どういうことだ?」
「人の話を聞けぇーぃ!」
手入れのての字もない髪を振り乱しながら、バルドは警官たちに連行されていった。
「ちなみにバルドと一緒にいた女の子はこの通り、僕が保護したから。じゃあ早速行こうか」
フランを先頭にライザ署長とデビッキ司教が安置室へと向かう。
「バルドさん……、捕まってしまったの?」
ナユの声だけが、不安げにホールに残った。
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