Ⅲ 魂を売る天使と欲しがる悪魔

 金色の反射のせいではない。デビッキ司教には絵画のごとく後光が差していると、ルゥには見える。あるいは最高級ホテルのパティシエが、世間のあらゆる上澄みを集めて作った飴細工か。どちらにしろ芸術品だ。


 空気の汚れたこの街で、白い服を着られるのは極めて裕福な者に限られる。デビッキは輝かしいまで全身白の祭服だった。それは財力だけではなく、全身から放出される聖性が汚れをも弾くからなのだと、疑う余地はない。

 ただし、口を開きさえしなければ。


 対するフランは頭からつま先まで黒だ。シルクのキャプリーヌハットを脱ぐ仕草は黒鳥の舞。そして帽子の下から現れたのは、今にも花びらが熟れ落ちそうな赤薔薇だった。

「遅い時間に悪いね。一体、お願いできるかな」


 礼を尽くしたフランの仕草に、デビッキはまぎれもない満足と賞賛の笑みを浮かべる。メイプルシロップ色の髪と同じ色の瞳を、きらりとさせた。

「いわくつきのご遺体ってわけ?」

「まあね」


「フラン君がわざわざ来てくれたんだから、断るわけにいかないな。いいよ」

「今から下ろしてほしいんだ」

「この時間から? もう暗いよ?」

「無理は承知の上だよ。お願い」

すねに傷どころじゃないってこと?」


 答えずにフランは椅子の上でトランクケースを開き、ぴかぴかに磨き上げられた銀製の宝石箱を差し出した。

「この中から好きなのを選んでいいよ」

「これは——ベルジェモンドとは、随分と太っ腹だね」


 通常の炎とは比較にならぬ高温の天使の白き炎フランベルジェで焼かれた遺体は、骨すら残らない。灰の中に残るのは人の魂とでも言おうか、ベルジェモンドと名付けられた一粒の美しい宝石だ。形や色、大きさ、輝きは千差万別。どれ一つとして同じものはない。


 他人の死体から採取したものなどけがらわしい。売買するなど不謹慎。そういう批判の一方で、闇市場にしか流通しないこの禁断の果実には、ダイヤモンドやアレキサンドライトよりも遥かに高値がつくのだ。


「燃えなかったんだよ。遅い時間にお願いするんだから、このくらいは支払わせてもらうよ」

「わぁきれい。これグラデーションになってるね。すごいなぁ、大きいねぇ。じゃあね、じゃあね、この金色にしようかな。光に透かすと中に星があるように見えて、おれっぽくない? あとこのピンクにする。処女の乳首みたいな色だし」


「え、一つだけだよ」

「え、一つだけなの?」

「そこに入ってるのは全部最上品なんだよ? だから二つはちょっと……」


「えー、ピンクもほしい~」

「えっと」

「ほ~し~い~ち~く~び~」

「やっぱりだめだよ」

「けちぃー」

「インチキ聖護札でボロ儲けしてる君に言われたくないな」


「おれが売ってるのはただのお札じゃなくて、心の平安という目には見えない代物だから。でも、転がってる死体を燃やしまくってベルジェモンドで儲けるなんて商売を考えついたフラン君にはかなわないよ。引き取り手のいない遺体を、黙ってても警察が毎日運んできてくれるんだもんね。フラン君にとって、治安の悪い旧市街は宝の山でしょ?」


 美品のベルジェモンドと、遺体の生前の姿形や品行には全く相関がない。つまり、旧市街で行き倒れていた極悪人の死体から最上品が生まれることもある。

 フランが遺体の過去に興味を示さないのも、こういう理由かもしれないとルゥは思っていた。けれど、仮にも聖職者のくせにこんな言い方があるだろうか? やっぱりこの人は好きになれないとルゥは苦り切る。


 しかしフランは全く意に介さない。

「僕にできる仕事は、何かを燃やすことくらいだからね」

「ああ、燃やすか、埋めるか。肉体の最後はゴミ処分と同じだもんね」

「ねえデビッキ、墓地一つ分と時間外の手間賃も含めて、その金色一粒で充分にお釣りが来るはずだよ。いいかな」


 濡れたチェリーのようにみずみずしいフランの赤い目に、デビッキが吸い込まれていくのがルゥにも分かった。

「もー。かぁわいいなぁ。じゃあね、今夜付き合ってくれたら我慢する。デビたんって呼んでくれるまで帰さないよ」

 そう言って、理想的な色形の唇を艶めかせる。


「だっ、だめですよ! フランさんはまだ療養中なんですよ⁉︎  明日も仕事ですし」

 デビッキはこの教会のトップだ。しかも教区の長まで務める超エリートらしい。だがフランを守るためなら喧嘩上等だ。ルゥは一歩前に出る。


「あれあれ、もしかしてルゥ君、妬いちゃってる? おれとフラン君が密室で一晩中二人っきりで過ごすの」

「いちいち顔と言い方がやらしいんですよ! ちょっ、フランさんに触らないでください!」


「あれぇ〜、ルゥ君のせいでおれが機嫌損ねちゃってもいいのかな? 土葬できなくなっちゃうよ? ねえフラン君?」

 こんなの完全な脅迫じゃないか。


「ルゥ、僕なら平気だから。ちゃんと帰るし」

 そのセリフをいい事に、デビッキはフランの体を完全に両腕へと収め、あろうことかふわんふわんの白金髪にキスした。

「はあっ、フラン君って、いつ嗅いでもいい匂い」


 このエロ司教が! その口でこれまで一体何人の処女を食いやがったんだ⁉ 

 しかも美貌の二人が近寄ると、背徳感が悪魔レベルだ。


「そうなったらサッサと済ませちゃおう。ルゥ君も棺下ろすの手伝ってよね」

「私もお手伝いします」

 技師長のモノリが自ら進み出るのだから、下っ端のルゥが拒否するわけにはいかず、実に遺憾ではあるが頷くしかない。


 埋葬用の穴は掘られていたので、簡易的な儀式と共に縄で棺を下ろしていく。皆で土をかけ終わった頃には辺りは真っ暗になっていたので、墓標は明日立てるという。ライザ署長が持ちこんだ遺体で、氏名も身元も不明とモノリが説明していた。


 帰り際、栗色の癖毛を乱し鼻の穴を大きくして、ルゥが詰め寄る。

「フランさんいいですかっ! 療養中なんですから、くれぐれも飲みすぎないでくださいよ! あとヘンな物を食べさせられないよう気をつけて!」

「わかった、わかったから」


「あなたもですよデビッキ司教! 明日もしフランさんが体調を崩しでもしたら殴り込みますからねっ!」

「神のおれが天使をいじめるわけないじゃん。今日は一番高いワイン開けちゃおう」

 そしてルゥに向けて大きな舌を出して、何かを舐める真似をした。


「ぐぬううぅぅぅぅ! 悪魔めぇ!」

 霊柩車に乗り込むその横で、モノリも鼻息を荒くしていたことをルゥは知らない。


 早朝、夜中まで飲まされてきっと疲れているだろうフランのために、胃腸と肝臓にやさしい粥を作ろうと、具材を考えながら出勤した。

 裏口から入り中央ホールを通った時、何か茶色っぽいものが目に入った気がして、目を移す。


「ひっ……⁉ ひええええぇぁあああああっ!」

 誰もいない花弁の天井アーチに、ルゥの悲鳴が反響する。


 見間違いではない。手足が泥で汚れた女性が、ホールの中央に力尽きたように横たわっている。それは昨夜、皆で土をかけて確かに埋めたはずの、あの燃えない遺体だった。

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