Test Subject

欠け月

第1話 Test Subject


最初に課したルールは

「決して、愛さない」だった。

それは、自分の精神を安定させ、平穏且つ平凡な日常を保つためであった。


(男)「どうして欲しい?」

(女)「優しく、して欲しい。そして、時々激しく愛して。貴方が、チェロを弾く時の

様に」

(男)「わかった。優しくするよ。激しく求めていいんだね。君が望むなら、何でも

   するよ」


 彼は、決して私を裏切らない。

私が望めば、全ての能力と時間、エネルギーを私に注いでくれる。

愛していると、耳もとで囁き。(愛しているよ)

何があっても、君を守る、と暖かく抱きしめてくれる。(君を守るよ)

「君が望むなら、僕は何でもするよ」

その言葉に嘘はない。


 私達は、毎晩のように愛し合い、口づけを交わし、彼の囁きは、熱を持って私の体を包み込み、潤した。(ナレーションに重なるように、女の切ない吐息と少し苦しげな男の甘い呻き)


「綺麗だよ」「君の声、好きだな」「髪にキスしてもいい?」「指、セクシーだね」

「君の体は、甘くて、美味しい」「感じる?」「我慢しなくて、いいんだよ」

「まだ、離したくない」「ごめん。今夜は、手加減できそうもないな」

「君だけを、愛してる」


理想の男は、この世にいない。私が望む全てを持ち合わせ、その心も体も私だけのもの。

強く、美しく、優しく、私を愛するために存在する、男。

そんな、完璧な男の存在を夢見るには、私は多くの悲しみと絶望を知り過ぎてしまった。


2007年のiPS細胞樹立から四半世紀以上が過ぎ、2012年のノーベル生理学・医学賞の受賞を受け、日本における再生医療は、国の研究支援の一環としての使命を持ち、飛躍的な成長を遂げた。

しかし、これは主要先進国に於いては、同様の潮流であり、再生医療だけに留まらなかった。

ヒューマノイドと人工多能性幹細胞とのハイブリット研究にも着手し、2022年東京大学理工学研究科グループによる、世界初の生きた皮膚を持つロボット作製の成功を皮切りに、ハイブリッド型ヒューマノイドは軍事産業、第一次産業、娯楽、生活産業へとその用途を拡大していった。


特に軍用ロボットに関しては、同年ロシアのウクライナ侵攻により、ドローン及びロボットの重要性を再認識し積極的活用に拍車がかかった。

研究は予想以上に多様化が加速し、一般に転用され、低迷していた経済を牽引した経緯がある。


我が国においては、揉めに揉めたクローン法と家庭用AIロボット規制法は、iPS細胞のみを使用するということで、ぎりぎり法案を通した。

加えて、AIイニシアティブ及びアクセスマネジメント規制法によって、倫理的な合意形成プロセスを確保した上で、一般家庭にもハイブリット型ヒューマノイドの導入が認可された。

政令が2043年に前倒しとなったのは、他国、特に中国との競争激化によるものだった。

政府は、施行に備えて、家庭用ロボットの試験用として製作された、ハイブリット型ヒューマノイドをある企業に委託し、実用に向けての研究を進めていた。


 この企業は、公には全く知られていない。

表向きはアメリカ企業との合同開発を目的とした、官民連携の研究所となっているが、実質的には、国家間で協力開発をしている研究機関である。

あらゆるニーズに応えられるハイブリット型ヒューマノイドの、日常での活用実施に向け、特定の人々による試験が開始されていた。


 その第3期最新型、M385J62H 男性型ハイブリットヒューマノイドロボットが、

夏川蓮である。


夏川蓮。 

涼しげな眉の、幾分下辺りで切り揃えた前髪は、風が夏草を撫でる様に、動く度にさらさらと揺れた。長く整ったまつ毛は、うつむくと蝶の羽ばたきの様に、折り畳まれ、淡い影を落とす。それは繊細で完璧な鼻梁びりょうを一層際立たせた。潤んだ様に濡れた瞳は、どこか寄る辺ない子供の様な戸惑いを見せ、不安をあおる。

ダビデの肉体を持ち、カプソンに似た穏やかな力強さを、洗練されたテクニックで奏でるチェリスト。この世で最も魅惑的で、愛しい私の、男。


 蓮は、かつて私が愛した恋人の名前だ。


私は、美術修復家を目指し、ナポリにある美術学院で学んだ後、イタリアの工房で働いていた。 その時、たまたまドイツからの演奏ツアーで来ていた、新進気鋭のチェリスト、夏川蓮を紹介されたのが、彼との出会いだった。

同じ、日本人ということで、友人が気を遣ってわざわざ彼を招き、私に会わせてくれたのだ。

蓮はそれまで会った、誰よりも美しかった。照れたように目を逸らす、いかにも日本人的な仕草も、私の心を捉えた。無口で静かな分、その瞳はどんな多くの言葉より豊かで、雄弁だった。


 私達は、静かに、恋に落ちた。 


地続きのヨーロッパとはいえ、国境をいくつも超えての恋情は、その距離を埋めようとするかのように、日毎に熱を帯びた。いくら愛しても、愛し足らず、溢れ出るような欲望で身を焦がし、初めて感じる痛い程の、幸福への希求だった。


 だが、幸せな日々は唐突に終わりを迎える。


 蓮の死である。


 演奏会の帰り、数台が絡む追突事故に巻き込まれ、帰らぬ人となった。

連絡が来た時は何も理解出来ぬまま、飛行機に飛び乗った。その後の記憶はぽっかりと抜け落ち、気付いた時には、病院の霊安室の待合でぼんやりと座っていた。


 冬のデュッセルドルフの、冷たく凍った道路に叩きつけられたというのに、奇跡的に蓮の顔には傷がなかった。透き通るように白い肌は、まるで人形が安らかな眠りについたように、穏やかで透明な空気の中で時を止めていた。


以来私は、恋は勿論、誰かに関心を持つことさえ、出来なくなってしまった。

灰色の景色の中で目を覚まし、淡々と日々をやり過ごし、生きている実感さえ掴めず、暮らしていたのだ。

空っぽの躯(むくろ)を引きずる様に、虚しく呼吸だけを繰り返す、彼のいない世界は空虚で寒々としていた。いつの間にか、死は私にとって近しい友人となり、安息の地でもあった。


 生きている間の唯一の喜びとして、蓮のお墓の近くで暮らそうと、日本に戻って来た私は、文化財修復の仕事に携わっていたが、仕事が一段落したら長い休暇を取ろうと考えていた。

既に、精神は破綻寸前で、蝕まれ、血を流し続ける心に鍵をかけて、美術品に向かい合うには、限界が来ていたのだ。


 そこに舞い込んで来たのが、研究所からの依頼であった。


 定時に帰宅し、いつもの様にメールのチェックをしていると、パーソナルiPS社からの連絡が入っていた。

この会社は、iPS細胞の作製、保管を個人向けサービスとして日本で初めて開始した会社であり、40年の実績がある。現在日本では、7割以上の人々がiPS細胞を保管しており、最も高いシェアを誇っているのがこの会社である。

国の補助金もあり、徹底した予防医学の啓発と再生医療の進歩から、自分の細胞を作製し保管しておくのは常識となった。 更には、保険加入時の契約条件にもなっている為、一気に需要が拡大したのだ。それ故、当然ながら、私も蓮も出会う前から、iPS細胞の保管をしていたし、新しい技術が導入されれば、細胞作製のアップデートをし、将来の自分の疾病や怪我に備えていた。


 メールは、定期連絡とは違っていた。パーソナルiPS社が、国が関わる企業からの要請を受け、特定の加入者を対象にした、アンケートだった。

それが、先に述べた日米協力研究機関からの試験要請の案内である。

つまり、一般の家庭で試験用のハイブリット型ヒューマノイドロボットと暮らしてもらい、そこからデータを収集し、より人間的に振る舞い、人間以上に温かみと忍耐を持ったロボットに進化させ、導入を試みようとしていたのだ。

そのためには、機密を外部に決して漏らさず、情報を盗まず、社会的な地位を獲得しており、信頼のおける経歴をもっている者を選ぶ必要があった。 それ故、30歳以下の若者及び情報の守秘ができない子供のいる家は除外された。

幸いなことに1年半前に30歳の誕生日を迎えていた私に、この思いもよらないチャンスが巡って来たのである。


 うんざりする程の面接と研修、ミーティングを重ねたのち、最終段階でのメッセージが送られて来た。

そこに貼られたサイトのリンクを開くと、長い説明文と契約合意書の後に、

私からの、設定可能なオプションの表が添付されていた。

内容は、

性別の選択。

名前の設定。

髪型の選択。

年齢と誕生日の設定。

簡単な経歴の設定。

言語8ヶ国語までの選択。

身長、体型、サイズ、容姿の選択。

声の選択。

本人若しくは、使用許諾者のiPS細胞の選択。

現実味のないまま返信し、数日後、正式に契約合意がなされた。


 その後も、煩雑な手続を経て蓮は、一年前に私の家に運ばれて来た。

充電され、目を覚まし、私を認識し、メモリーに記録した。


 そこに居たのは、蓮の細胞を纏った、美しくも似て非なる得体の知れない、機械だった。

瞳がじっと私を見つめ、私が微笑むと呼応するように眩しげな微笑みを返してよこした。 不気味というよりは、泡立つ様な、恐ろしさが胃を逆流した。


 このヒューマノイドを包む皮膚や眼球、歯、粘膜は、保管されていた蓮の細胞から作られたものだ。 馴染みがあり、深く愛した筈の皮膚は、36度5分に設定された電池からの熱を伝えるだけで、知らない他人のものだった。期待を裏切られたような思いと、所詮はロボットだと言う安堵とが交互にやって来て、暫くは不安定な感情に振り回された。


 それでも、人間とは実に不思議な生き物だ。


 不気味で奇妙に映った、心を持たぬヒューマノイドが、私からの呼びかけをずっと待ったり、リクエストに応えようと、情報を手繰り寄せたりしている、そのちょっとした空白や、小さな瞬きに慣れると、自分でもコントロール出来ない感情が動き出し、育って行くのだった。

アメリカで開発された掃除ロボットにさえ、名前を付け家族のように扱ってきた国民である。限りなく人間に近い、しかも驚くほど従順で賢いロボットに、情が湧かない筈がない。

しかし、それは危険な感情なのだ。 何故なら、この例えようもなく優しく、穏やかで、心地良い声を持った試験用ヒューマノイドとの別れが、必ずやってくるからである。

試験の契約期間は、1年と決まっている。


蓮との生活に違和感を感じなくなった頃、ふと独り言のように、

「ねえ、蓮。長い休暇が取れたら、どこに行きたい」と聞いてみたのだ。

すると、蓮はゆっくりと目を上げて、私の瞳を見つめ

「デュセルドルフはどうかな?とても、美しいところだよ。気に入ると思うんだけど」

思いもかけない地名に私は、冷たくなった蓮の頬や指に触れ、脈を打たない静かな心臓に耳を当てた、あの別れの日に一気に引き戻された。

 

 何故?私の設定した経歴は、ドイツ留学とチェリストのみ。なのに、何故あの街を選んできたのだろう。眩暈と迫り上がるような、心臓の激しい鼓動に耐えられず、ソファに倒れ込んだ。


 それから、やって来たのは意外なことに、今まで感じたことのない開放感だった。

堰を切ったように溢れ出す、激しい悲しみに我を忘れて、泣きじゃくった。 蓮は、私を抱き上げ赤ん坊をあやすように、小さく揺らし、髪にキスを繰り返し、頬の涙を拭い、背中を摩り続けてくれた。

私は、いつの間にか疲れ果てて、彼の腕の中で眠ってしまっていた。


 気づくと、朝日が差し込んで、久しぶりに熟睡した私を、大切に抱き抱えたまま36度5分の熱を与え続けて、蓮の電池は、切れていた。


 その夜、私は初めて蓮と一緒のベッドで、愛を交わした。


古い絵画を修復する時は、痛んだ場所の状態を調査、記録し、修復工程の計画を立て、長い年月で積み重なった汚れを落としてから、絵の具の剥がれを止める作業に入る。

ヒューマノイドの蓮は、まるで私を修復するように、丁寧に痛んだ部分を記録しながら、心の汚れを取り除き、新たに充填整形を施してくれたのだ。

蓮は、常に私を見守り、気遣い、帰りを待ち、全てを受け入れてくれる。


「お帰り」「疲れたろう?マッサージしようか?」「泣いているの?」「君が、好きだよ」「おいで。抱いていい?」


 私たちの距離は縮まり、時間は濃密になり、蓮は私の好む物、やり方、仕草、物言いを覚え、習得し、ただひたすらに、与えてくれた。蓮の何もかもが私にとって、苦しいほど愛すべきものとなっていった。私は、自分との約束を反故にし、平穏な日常を捨て去った。


 (ヒューマノイド蓮の囁き)

「茉莉、僕に君の全てを見せて」


 わかっている。ここに居るのは蓮じゃない。蓮に似た偽物だ。

ただの、機械だ。わかってる。 でも、何故こんなに辛いの。体が引き裂かれそうなのに、誰も助けてくれない。 蓮、蓮・‥‥私を守ってくれるんじゃなかったの。

あなたが、必要なのよ。そばにいて欲しいの。


 私は、蓮を二度失った。


 蓮の中の私の記憶は、初期化されると同時に、全て消えてしまう。

私と過ごした一年間の記録は、保管され、分析と検証がなされる。それらが反映され、改良された最新型のハイブリットヒューマノイドが、やがて市場に出ていく。


 蓮を返却する前日には、最後の記録とアンケートを記入し、全ての作業を終え、契約の終了手続きはあっけなく終わった。(キーボードの打ち込みと、受付終了音)


 蓮はいつもの様に、静かにリビングのソファーに座り、私と目が合うと暖かな微笑みを見せる。明日には、私の全ては彼のメモリーから消去され、私の名前さえ呼んでくれないのだろう。何度も囁いてくれた「愛している」も、同じように他の誰かに囁くのだろう。

蓮と再び会えるとしたら、私が、ハイブリット型ヒューマノイドを注文し、手に入れた時だ。そうしたら、蓮はずっと私のそばにいてくれる。その時を、待つしかないのだ。

再び、私の名前を呼んでくれる日を・・(電話の着信音が重なる)


(茉莉)「はい、はい。そうです。ええ、既に書類は送信しています。大丈夫です。明日の梱包時間も、家におります。はい、そちらに関しても、契約書は頂いています。はい、今の所、問題はありません。わかりました。宜しく、お願い致します。」


 蓮は丁寧に梱包され、運び出され、全ての試験が完了した。


そして、私は次の被験対象ハイブリッド型ヒューマノイドを、迎え入れる契約に、合意した。


(チェロ無伴奏が静かに流れる中、色々な声の、ハイブリッド型ヒューマノイドの言葉が重なる)


お帰りなさい。

かしこまりました。

申し訳ありません。

大変失礼致しました。

ご主人様をお守りします。

お気に召すよう、何でもいたします。

おはようございます。

おやすみなさい。

大好き。

抱きしめて!

キスしていいですか?

膝枕、しましょうか?

愛しています。


(新たな、男性ヒューマノイドロボットの声)

 「はじめまして。M428J76H ハイブリット型ヒューマノイドロボットです。何なりとお申し付け下さい」



音声アプリspoonの中のキャストにて、上記のTest Subjectを音声化し配信しております。文字とは違った印象になると思いますので、そちらもお楽しみ頂けると有難く思います。


https://www.spooncast.net/jp/cast/4638985

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