エピローグ:後編 百合の狩人(満開)

 春に芽吹いて育った新緑の瑞々しさを孕んだ風が颯爽と駆け抜けていく。

 畑いっぱいに生い茂った薬草の若葉がそよそよと歌うように揺れる景色を、リベリカ・モンロヴィアは自室の窓辺から胸いっぱいの気持ちで眺めていた。


「……お嬢さま、よろしいでしょうか」

「どうぞ入ってください」


 ノックに続いて聞こえてきた扉越しの声にリベリカが返事をする。

 扉を開いて入ってきたのは給仕服を着た侍女。

 片足を引きスカートの裾をつまんで恭しく礼をすると、次女はにこやかな表情で口を開く。


「お嬢様に贈り物が届いております」

「贈り物? 差出人はどなたですか」

「王立書士隊のモカ・マタリ様と伺っております」

「モカですか……!?」


 耳にした名前の懐かしさにリベリカの頬が思わず緩む。

 モカと最後に話したのはもう何年も前になる。

 ヘミレイア=ベスタトリクス討伐の功績を称える褒賞式が終わり、各々の次の目標を語り合った夜を経て、3人はそれぞれの道を歩むことになった。


 それから特に近況のやり取りをしていたわけではなかったので、こうして前触れなく贈り物が届いたのは驚きだった。


「その贈り物はどこに?」

「今は玄関に安置しております」

「ではそれをここまで持ってきてもらえますか?」

「……それが大変申し訳ないのですが、お嬢様に玄関までお越しいただきたいのです」


 予想外の返答にリベリカは疑問符を浮かべて小首をかしげた。

 この次女は面倒くさがりだとか、ズボラだとかそういった性格ではない。

 むしろこんな若すぎる領主に献身的に使えてくれる優秀な女性だ。


「というと?」

「届け物の木箱が大変な重量でして……。こちらにお運びする前にまずは中身をご確認いただいた方がよろしいかと存じます」

「そういうことですか。分かりました、確認しましょう」


 玄関に降りるとその贈り物は一目で見つかった。

 特に装飾を施されていない無機質な木箱がひとつ置かれている。

 たしかに女性ひとりでは抱えるのも大変な大きさで、それこそ子供が中に入れてしまいそうなくらいだ。

 ……と思ったリベリカの脳裏に、昔本当に目にしたそんな光景が思い浮ぶ。


 まさかそんなはずはないだろう、とリベリカは首を振って馬鹿馬鹿しい妄想をかき消すと、侍女の力を借りて木箱の天幕を開けた。


「ふわぁあああ。ようやく着いたかぁ」


 ――本当にいた。

 ボサボサの黒髪に眠たげに半開きになった翡翠色の眼。

 箱の中で丸まっていたモカ・マタリは、ぐぐーと腕を上げて伸びをしながらふわふわ間抜けな欠伸をかみ殺していた。


「……モカ、何してるんですか」

「見ての通りだ。ここに入って届けてもらうのが一番安く移動できるから……って何してる?」

「この箱、もう一度蓋をして王都まで返送しておいてください」

「やめろおぉぉ! 閉じ込めんなバカあああ⁉」



 モカは箱に入っていた3日間まともな食事をとっていなかった(一応、水と軽食は箱の中に持ち込んでいた)らしく、一緒に昼食を取ることにした。

 それからモカたっての希望もあり、リベリカは腹ごなしを兼ねた薬草畑の案内のため邸宅の外に出かけた。


 何か所か管理している薬草畑のうちもっとも広い畑に到着すると、モカはさっそく近くに生えていた薬草を摘まんで関心した声をあげた。


「おー。思ってたよりちゃんと育ってるじゃないか!」

「試行錯誤を経てようやくです。思ったより時間はかかってしまいましたが」

「それでもこれは立派な成果だ。これで黒腐病ベスタトリクスの被害を受けた土地も生き返らせられることが証明されたんだからな」


 モカが得意気な顔をしてむふんと胸を張り、それを認めるようにリベリカが頷く。

 ふたりの前に広がるこの薬草畑は、本当に奇跡と言っても過言ではない光景だ。


 黒腐病ベスタトリクスによって一度枯れ果てた土地は二度と生命が芽吹かない「呪われた土地」になる、というのが従来の通説だった。


 だが、モカがその通説に異を唱え、ある仮説を提唱した。

 黒腐病ベスタトリクスを原因とする病の治療薬や、黒腐化したモンスターへの特効薬の原材料になった薬草であれば、「呪われた土地」でも生育するのではないか、という仮説を立てたのだ。

 そしてその実証実験を行うため、ヘミレイア=ベスタトリクス討伐の功績により領主権を取り戻したリベリカが、故郷のモンロヴィア領の土地を提供することにしたのだ。


 自分の仮説を立証する薬草畑の壮観な眺めを満足げに見つめながら、モカがおちょくるようにリベリカの肩をぐりぐり小突いてくる。


「これでモンロヴィア領は薬草生産で独占だな。需要は右肩上がりだし輸出でガンガン儲けられる。よかったなリベリカ!」

「なに言ってるんですか? 私は薬草を独占する気はないですよ」

「は?」

「安定した栽培方法が確立できたら、同じように苦しんでいる土地の方々に無償で技術提供するつもりです」

「おいマジか。相変わらずお人好しが過ぎやしないか……」

「でもこれが私です」

「まーそうだな。それでこそリベリカだな」


 モカが翡翠の瞳を細めて笑い、頬を仄かに朱に染めたリベリカが顔を綻ばせる。

 初夏の太陽が温かく見守るように一面の緑を優しく照らす。

 この穏やかな時間がずっと続いてほしい。

 少し欲を言えば、あともう一人、この太陽が霞むほど元気溌剌な少女も横にいてくれると何も言うことはないけれど。

 そんな風にリベリカはそっと心の中で淡く思いを馳せる。


 ――その時、薬草畑の向こう側で大きな土煙が立ち上った。

 遅れて腹の底まで揺らすような破裂音が轟く。


「今のは爆発⁉ 一体何が……!」

「おいおいまさか、モンスターだ! あれは賢狼獣クルークウルフだぞ‼」


 どこから取り出したのか、モカが携帯用の双眼鏡を手に叫ぶ。

 リベリカも双眼鏡を借り受けて同じ方角を見ると、領地の外周に広がる森の樹木がなぎ倒されていた。

 そこから手前に視界をずらしていくと、薬草畑を踏み荒らしながら向かってきている四足歩行の大きな狼――賢狼獣クルークウルフの姿。


「何か対抗できる手段はあるのか⁉ ここの警備はどうなってる」

「自警団はありますが彼らでは力不足です……! この一帯に生息しているのはせいぜいが中型モンスターのはずだったんです。大型モンスターを想定した防衛訓練は積んでいないんですよ」

「じゃあ狩人は……それも雇ってないのか?」

「そうですよ、まだ住人も少ない領地なのに強い狩人を雇えるほどの余裕なんてないんですよ‼」

「あーもうアホかぁ⁉」


 もはや開き直る勢いで弁明するリベリカに、モカはわしゃわしゃ髪をかき乱しながら大声を上げる。


「ここは新種の薬草の栽培地だぞ⁉ その重要性を訴えて人材でも資金でも巻き上げればよかっただろ!」

「それができないのが私だって知ってるでしょう⁉」

「あーそうだったそうでした! それでこそリベリカだよ!」


 そうこう言っているうちにも、薬草畑を暴れ散らす賢狼獣はその姿をみるみるうちに大きくしていく。

「せっかくの薬草畑が全滅だ!」と隣で黒髪をかき乱すモカ。

 自分たちが作り上げた努力と奇跡の結晶が蹂躙されていく。

 その様を指を咥えて見ていられるはずがなかった。

 リベリカは手に力を込めて慌てふためくモカの肩を押さえつけるように掴むんだ。


「モカは町の居住区へ向かって住民に避難を呼び掛けてください。この進路であれば恐らく大丈夫ですが、万が一にも犠牲者を出すわけにはいきません」

「わ、わかった……! けどあのモンスターはどうする!」

「あいつは私が倒します。忘れてませんか? 私は現役で王立騎士団副団長ですよ」

「そうだったな。じゃあ薬草のことは頼んだからな!」

「そこは私じゃなくて薬草の心配なんですか……」

「だってお前が負けるはずないだろ?」


 去り際の一言も早々に、ふたりは別方向に走り出す。

 モカは教えられたとおりに領地の居住区へ。

 リベリカは武器を取りに戻るため邸宅の方角へと踵を返して急ぐ。


「よりによってこんな時に……!」


 久しぶりに再会した仲間モカとのランチや散歩に浮かれていたせいで、今の恰好はどこをとっても戦闘向けのそれではない。

 ちょっとお洒落なワンピースでおめかしを……なんて思ったのが間違いだった。

 そういうのはブロンドヘアのあの少女の専売特許。

 やっぱり自分にはこういう女の子らしさとは無縁であるべきという神のお達しなのかもしれない。


 焦りと自重に口元を歪めながら、リベリカは今しがた猶予を計るべく振り返る。

 賢狼獣クルークウルフの接近が想定よりも遥かに早い。

 その獰猛な瞳や禍々しい牙の様がはっきり見てとれるほどの距離にまで迫ってきている。


「双剣を取りに戻ってる時間なんてない……っ!」


 悔しさを口の中でかみ殺しながらリベリカは再び踵を返した。

 巨大な獣がその脚を踏み出すたび、大地は恐怖するように揺れ、草花が爆ぜるように散っていく。 


 いま、ここで立ち向かうしかない。

 不幸中の幸いか、手元には護身用の短剣が一本。

 あわよくば急所をついて瀕死に追い込む。

 それが叶わなければ、少しでも長く注意を引き付けて事態に気づいた侍女たちが武器を持ってきてくれるまで時間を稼ぐしかない。


「掛かってきなさい! オオカミ!!」


 片落ちの双剣よりも頼りない短剣を握りしめ、賢狼獣クルークウルフを射殺すつもりで睨み付ける。


 それでもやはり人間よりも遥かに巨大な狼がリベリカの眼光に屈することはない。

 遂に目前まで迫った賢狼獣クルークウルフが勢いそのままに右前足を振り上げる。


 一発勝負。

 この初手を裁けるか否かが勝敗を左右する。

 リベリカは大きく息を吸い込むと、懐に飛び込むべく決死の覚悟で地面を蹴った。


 ――刹那、凛としたひと声がリベリカの耳に届く。


「そのモンスター、アタシに斬らせてっ‼」


 瞬間、リベリカは短剣を逆手に持ち替え、次の一歩で身体を左方に跳躍させた。

 定めていた狙いをモンスターの胸元から右前脚のアキレス腱へ。

 賢狼獣クルークウルフの足が大地を踏み抜くと同時、身体の勢いを一点に乗せた短剣を水平方向に一閃させる。


「お願いします――アリーシャっ!」

「はいよ任されましたぁっ‼」


 よろけた賢狼獣クルークウルフの頭上を越え、純白の狩人が天に舞い上がる。

 まるでそらに咲き誇る白ユリのようにはためくワンピース。

 すっかり長くなったブロンドヘアが太陽よりも眩しく輝く。


 アリーシャ・ティピカは流れ落ちるように天から下り、その一太刀で賢狼獣クルークウルフの首筋を斬り込んだ。


 いったいどれだけの経験を積めばこの境地に至れるのか。

 この国で最強と謳われる彼女の高みには、やはりまだ誰も届きはしないのだろう。


 実力差をあらためて思い知り、だからこそまたこうして肩を並べられたことを誇りに思い、リベリカは満面の笑みで親友の胸へと向かった。


「おかえりなさいアリーシャ――」

「リベリカ、ちょい待ち」


 だが、あと一歩近づこうとしたところでアリーシャが待ったをかける。

 再会を喜びあおうとしたのにお預けを食らうのはもどかしく、それどころかアリーシャがなぜかこちらの身体を舐め回すように見てくるので、何とも言えない羞恥心が込み上げてくる。


「あの……なんですか……?」

「リベリカさ」

「は、はい」


 神妙な面持ちを向けられて、リベリカは思わず喉をコクリと鳴らした――直後。

 アリーシャが勢いよく跳んだかと思えば、次の瞬間にはリベリカに抱き着いて胸に顔を埋めてきた。


「なにその服めっちゃ可愛いじゃーんっっ‼」

「ちょっ、アリーシャっ⁉」

「しかもやっぱり滅茶苦茶でっかい! ……なんだかけしからんなコレ」

「揉むな撫でるな埋めるなぁぁっ‼」

「……お前たちナニやってるんだ……」


 どうにかこうにかアリーシャを引き剥がそうとしていると、いつの間にか戻ってきていたモカが白々しい目でこちらを見ていた。

 すると案の定、今度はアリーシャの標的がモカへと移る。


「モカちゃーん! 相変わらず小っちゃくて可愛いねー!」

「再会そうそうケンカ売ってんじゃねぇよ⁉」


 無事にアリーシャの興味から解放されたので、よしよしワシャワシャされながら助けを求めてくるモカの視線は黙殺。

 彼女にはしばらく人柱になってもらい、リベリカは乱れた服をささっと直し、改めて再開の言葉を口にした。


「お久しぶりです、アリーシャ」

「うん久しぶり。元気にしてた?」

「今日まではなんとか平穏無事に。アリーシャは……その様子だと今も自由気ままにやってるみたいですね?」

「なぜバレたし」

「だって呼んでもいないのにこんな辺鄙へんぴな場所までやってきてるんですから。戻ったらサン・ラモン団長に怒られますよ?」

「あ、うん、だよねー。でも今回はリベリカもアタシの味方してくれるでしょ?」

「今回だけは特別に……と言いたいところですが、ひとつ条件があります」

「ナニソレ怖い」


 唐突に”条件”を突き付けられ、アリーシャはモカからパッと手を離して身を掻き抱くように縮こまる。

 その隙にそろーっと退散しようとしたモカを引き留めながら、リベリカはニッコリ笑みを浮かべて口を開いた。


「しばらく、ここの専属狩人になりませんか?」

「あーそういうこと……。でもアタシどこかに縛られるのはちょっと……」

「それなら大丈夫です。どこへ行くのも止めはしません。ただここを拠点に帰ってきてくれれば私は十分ですから」

「なるほどそれなら一考の余地あり、かなぁ」


 アリーシャは困った顔を浮かべているが、彼女の性格を嫌というほど知っていれば二つ返事がもらえないことは織り込み済み。

 リベリカは罪悪感を抱かせないように冗談めかした口調で続けた。


「今なら食事も訓練用の個室も無料でついてきますよ」

「うーん、あともうひと超え」

「モカもセットでどうでしょう」

「よし引き受けた!」

「おいボクの処遇を勝手に決めるなっ⁉」

「でもどのみちこの土地の薬草研究をする気だったんでしょう? モカ専用の敷地を用意しておきますから」

「おいアリーシャ。この女、抜かりないぞ……」


 戦慄したモカの言葉にアリーシャが笑い、リベリカもつられて笑う。


 彼女らがのちにこの国の政治・軍事・学問に大転換をもたらす先導者となることをこの時はまだ知る由もなく。


 性格も身長も信条もまるで異なる凸凹な3人の少女たちは、これから力を合わせて目指していく各々の新たな夢を胸に抱き、風薫る野原の上でひとしきり笑顔を咲かせていた。

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ユリの狩人 ~魅せプレイ大好き少女がハンターギルドで成り上がる〜 ロザリオ @Hidden06

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