エピローグ

エピローグ:前編 大人たち

 ――黒腐病ベスタトリクスの脅威が去ってから数年の月日が流れた。


 ヘミレイア=ベスタトリクスとの決戦後、王立騎士団はかつての狩人組合ハンターギルドや王立書士隊に不当な圧力を掛けて人事と資金を握っていたことが問題視され、抜本的な改革が行われた。


 騎士団は城下や街の内政を役目とし、街をモンスターから防衛する役割は新たに発足した狩猟ハンティング兵団レジメント狩人ハンターが担うことが正式に決定。

 そして中立の立場として王立書士隊がモンスターの素材や資金を収集・分配する立場となることで、三権分立を図る新たな構造が生まれた。

 そうして安定し始めた治世の元、黒腐ベスタトリクス化したモンスターが各地の町村は順調に復興を続け、残されたモンスターの爪痕は徐々に無くなりつつある。

 

 そんな中、ヘミレイア=ベスタトリクスとの決戦が行われた砂漠のほど近くにある村は急速に再開発が行われた結果、今では狩猟兵団の第一支部が置かれるほどの重要地となっていた。



 カランカラン、と酒場の呼び鈴が新たな来客を告げた。

 町の復興のシンボルとなっているこの酒場では今宵も日暮れと共に多種多様な人間たちが集まって酒を酌み交わしている。


 店内は空席を見つけられない程に賑わっており、いつもなら客の1人や2人が入ってきたところで誰もその存在には気づかない。

 だが、この時ばかりは例外だった。


「サン・ラモンの旦那じゃないですか!」

「いつもお疲れさまです!」

「今回の狩りも無事に終わったんですかね? どうですこっちで一緒に一杯!」


 店に入ってきた人物――サン・ラモンを目にした瞬間、店内の誰も彼もが会釈する。

 現在のサン・ラモンの肩書は王都に本拠地を構える狩猟兵団の団長。

 ヘミレイア=ベスタトリクスとの戦いでの功績と狩人や民衆の指示が相まって団長に任命されてから数年、今ではどこに顔を出しても歓迎される人気者だ。


「すまん、今日は探している人がいて来たんだ。狩猟教官がここにいる聞いたが、知っている者はいるか?」

「あー、それならたぶん2階の席ですよ」

「そうかありがとう」


 親しげに絡んでくる客たちに会釈を返し、入り口近くの階段を登る。

 二階の雰囲気はがらりと変わって落ち着きがあり、上等な酒を静かに嗜んでいる上客たちが中心。

 だが、その最奥にこしらえられている特別席で2人の老人が大声で口論しているせいで部屋中の視線を一点に集めていた。

 

「――だから君の指導は適当すぎると言っているんだ!」

「なにを言ってる。こっちはこっちなりに考えて指導しとる」


 目当ての人物は確かにそこにいた。

 だが、この場で一番長者な大の大人同士がつばを飛ばしながら言い争っている様は控えめに言ってもみっともない。

 この状況で話しかければ不毛な口喧嘩に巻き込まれることは必至。サン・ラモンは引き返すことにした。


「おーい狩猟団長! こっちだこっちぃ!!」


 だが、悲しきかな。踵を返した背中に声を掛けられる。

 気づかずに立ち去ることもできたはずだったが、反射的に足を止めてしまったので人違いを装うことはもはや不可能。

 サン・ラモンは悟られないように静かにため息をついて腹をくくると、呼ばれた卓へと向かって白々しく口を開いた。


「こちらにおられましたか教官。こういう場所に来られるのは珍しいですね」

「そうかもな。コイツが今日の狩人研修のことで反省会を開きたいって言うもんで、酒を入れながら話していたんだ」


 老いを感じさせないたくましい腕で果実酒のジョッキを掲げて見せてくるこの男――パーカス・ブルボン。

 ヘミレイア=ベスタトリクスとの戦後、アリーシャが独り立ちしたことで余生を持て余していたのだが、そこをサン・ラモンにスカウトされ、今は狩猟兵団第一支部の教官を務めている。


 彼は誰もが最強の狩人と認めるアリーシャ・ティピカの育ての親であり、過去には王立騎士団に所属していた経歴もある。次世代を担う狩人の育成者として適任だった。


 そんなパーカスに「コイツ」と指されたもう一人の教官は額にしわを寄せて口を開いた。


「事実をねじ曲げるな。わたしは今日のパーカスきみの研修のやり方に問題があるから反省しろと言ったんだ」

「そうだったか? まあそうかっかするなよ

「誰のせいでこうなってると思ってるんだ……」


 酔ったパーカスが呑気に開き直るように言うと、もう一人の教官――カスティージョはシワの寄った額に手を当てる。


 騎士団の失策の責任を取って離任したカスティージョもまた、今は狩猟兵団の教官を務めている。


 パーカスからの強い推薦があったことと、サン・ラモンとしても元上司である彼のマネジメント能力に一目を置いていたことから、この男を狩人ハンター育成のもうひとりの教官として任命することにしたのだ。


 結果は正解で、カスティージョのカリスマ性は遺憾なく発揮され、教官としての支持はパーカスを凌ぐと言われている。


「あの、一体何があったのでしょう……?」


 このままでは口喧嘩の埒が明かないと考えたサン・ラモンが仲裁を試みると、それに応えたのはカスティージョの方だった。


「今日の野外訓練のことだ。パーカスこいつが担当だったのだが、こいつは新米たちをモンスターの群れの中に放り込んでそのまま帰って来たのだ。……君は馬鹿なのか?」


 皮肉めかしてカスティージョが言うと、今度はパーカスが意趣返しとばかりに鼻で笑う。


「お前こそ馬鹿か。自然の中で臨機応変に立ち回るのは狩人の基本だ。それを実践させるための教育だろうが」

「それのどこが教育だ。お前は狩猟兵団という組織の教官だぞ。彼らを従わせ導く立場だと理解しているのか?」

「……やれやれ、お前は相変わらず過保護なやつだな」


 一時休戦とばかりにパーカスは果実酒を飲み干して追加の酒を2杯注文すると、ずっとしかめ面を向けているカスティージョをなだめるようにゆっくりと口を開いた。


「お前の考えも一理ある。確かに強力な指導者がいれば人は強く変われるだろうよ」

「そうだ。才を持たぬ弱者でも持てる強者が導けば大きな力が生まれる」

「だがそれは方法のひとつでしかない。現にお前だって見ただろう。お前の元を飛び出したあの子たちが騎士団おまえたちよりも高みに届いた瞬間を」

「……彼女たちは特別だ。誰も彼もがそうはならん」


 肯定の言葉こそ口にしないものの、思う節はあったのかカスティージョは不貞腐れるように呟いた。

 パーカスはどこか遠い目をして自嘲気味に続ける。


「案外若い芽は自ずと育つもんだ。俺たちはそれを見守っていれば十分なんだよ」

「お前は甘い父親だな。甘すぎる」

「でも俺たちの娘は全員ちゃんと育っただろう」

「全員に逃げられたの間違いじゃないのか?」

「やめろ、その皮肉は心身からだに堪える」

「自業自得だな」


 悲壮な顔を浮かべるパーカスを尻目にカスティージョは微かに笑って立ち上がる。


「明日の訓練は私が担当だ。余計な口は挟まないようにな」


 そう言い残して銀貨を卓上に置くと、カスティージョは店を去っていった。

 その背中を見届けて、サン・ラモンはパーカスに促される形ではす向かいの席に腰を下ろした。


「見苦しいところを見せたな。俺とあいつは昔からこうなんだ」

「パーカス殿も騎士団の所属でしたね。その時からのお知り合いですか」

「そうだ。昔とある事件があってな、俺はそれを機に騎士団を辞め、あいつは残ったんだ」

「パーカス殿も相当な実力とお見受けしますが……どうして騎士団を抜けようと?」

「単純な話だ。俺は理不尽で堅苦しい組織に嫌気が差したんだ。そして、それを変える気概もなかった。だから俺は自分の手にあるものだけを守る道を選んだんだ」


 注文していた果実酒がちょうど届くと、パーカスは片方をサン・ラモンに寄越し、一気にジョッキ半分を喉に流し込む。

 それから一息つくと、再びぽつりぽつりと語り始める。


「だがカスティージョあいつは違った。あいつはその理不尽に抗うために権力を追い求めていた。そして、本当にすべてを手に入れてみせたんだ」


 パーカスの言う通り、王立騎士団の団長に成り上がったカスティージョは表と裏であらゆる力を握っていた。

 狩人組合では不正を働いていた全ギルドマスターを買収して自らの後ろ楯とし、王立書士隊が密かに独占していた素材や研究は王立騎士団が押収。

 そして最後には騎士団の人事権まで掌握し、もはや王国の公的機関は全てカスティージョの意のままに動かせると言っても過言ではなかった。


 手法は強引そのものであったが、それを体現したカスティージョの手腕はサン・ラモンも素直に認めている。


「カスティージョ殿は本当にとんでもないお方ですね」

「大したもんだ。……だが、あいつは1人で全てを背負ってしまっていた。おかげでカスティージョが表舞台から去った今、汚職は綺麗さっぱりなくなったが、今のこの国の新体制は赤子も同然だ」

「確かに何もかもまだ手探りの状態ですし、言い得て妙ですね。……この先この国は一体どうなるんでしょうか」

「それはお前たちだな! 期待してるぞ、狩猟兵団の団長殿?」

「期待に応えられるよう精進致します」


 恐縮して固くなるサン・ラモンの背中を叩いてパーカスはガハハと陽気に笑い飛ばした。


「まあ気楽に行け。困ったらあの子たちに手伝わせればいい」

「ええ、彼女たちとは今後も良好な関係でいたいものです。……そういえば、今日はその件でお話しがあったんでした」


 そう言うと、酒を流し込んでいたパーカスの喉がぴたりと止まった。

 明らさまに不安の色を浮かべて続きの言葉を待っている。


「……もしかして、またか?」

「はい、です」


 それだけで全てを察したパーカスが深々と溜め息をつく。

 サン・ラモンも苦笑いを浮かべてそれに続けた。


「アリーシャが狩猟依頼に出たきり帰ってきていません。しかも今回は、王立書士隊の方でもモカが失踪したらしく」

「……ったくあいつらは」

「どこか行き先に思い当たる所はないでしょうか?」

「2人が姿を消したタイミングが同じなんだとすれば、あの子に会いに行ったのかもしれんな」


 その言葉にサン・ラモンの脳裏にもある光景が浮かぶ。

 いつも一緒にいた輝かしい3人の少女たち。

 ヘミレイア=ベスタトリクスの戦いのあと、それぞれ違う道を歩むことになったが、きっと彼女たちの絆は当時のままのはず。

 そう考えればモカとアリーシャが向かったであろう場所に見当がついた。


「なるほど、リベリカに会いに行ったとすれば……わかりました、部下を派遣させてみます」

「いつも娘たちが迷惑かけてすまんな」

「それ以上に彼女たちには助けられていますから。これくらいは必要経費ですよ」


 大袈裟でもなんでもなく、この国の人々は彼女たちによって救われたのだ。

 欲を言えばもう少し大人しくいてくれれば助かるのだが……それを彼女たちに求めるのは当の昔に諦めた。

 サン・ラモンは冗談めかして言うと、追加の果実酒を受け取って彼女たちとの出会いに乾杯した。

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