ヴィランイズムの世界

庭畑

ヴィランイズムの世界

 少年達は同じ格好をしていた。

 グレンチェックのテーラードジャケットと膝丈のズボン。

 白シャツに映えるネクタイの色はボルドー。

 黒のゴシックブーツに黒のハイソックス。

 黒いシルクハットの“つば”には燻し加工のシルバーのファスナーが付いており、開けても意味を成さない。



『────は知っていますか』


 世界は一列に並んだ少年達に聞いた。


「知っています」

 みな一様に応える。

 誰もが知っている本。

 誰もが千切られたラストを知らない本。 

 陽の温かい居心地のいい場所で友人に囲まれ、食を楽しみ、そのまま永い刻を過ごす。

 誰もが世界からみ出すのは嫌だった。

 


『あなたは────になりました』



 可哀想な一人が一ヶ月ぶりに世界から弾かれた。

 それまで肘を小突き合い、瓶をあおっていた仲間は、自分では無かったとあからさまにホッとして他人になった。可哀想な一人は、ここに残りたいと泣き叫びながら、世界から落とされた。


 世界は『ヴィランイズム』と言う。

 

 時期を見て少年を迎え、時期を見て少年を落とす。それが役割だった。

 揃いの少年の中に、一人だけ羽根の生えた者がいた。みな羨ましいと褒め称え、誰一人異端の意味など知らない。

 少年の肌は黄色おうしょくで、髪の色は服に合わせたように黒かった。この世界の少年には様々な人種がいたが、床に落ちたパン屑程度には気にしなかった。

 羽根の少年が、ヴィランイズムに来て四十年が過ぎた。その間、少年達の誰かが落とされては新入りが加わる。四十年間変わらずに過ごす羽根の少年は古株となった。

 羽根の少年は歳を取らなかった。彼は新入りの為に本を運び、パンと葡萄酒を慣れた手付きで配る。 

 ここには年齢の概念はない。だってヴィランイズムなんだから。

(なんて過ごしやすく幸せな場所なんだろう)

 羽根の少年は寝入りばなに思った。

(僕は四十年も過ごしたけど、成長しなかった。本には沢山の大人が居たのに何故だろう)

 ふとした考えは誘われた眠りが溶かした。



『あなたはリップ・ヴァン・ウィンクルになりました』



 翌日、少年は世界になんと言われたのか全く分からなかった。全方位から刺さる同情の視線に、身を抱いて後ずさる。

「何を言ってるのです? 僕は四十年も居て羽根もある! 価値があるだろう!?」

「さようなら」

「さようなら」

 少年達は僕にお辞儀をすると、何事も無かったと、ご機嫌に葡萄酒をあおった。 

「嫌だ! 落ちたくない! 止めてくれ!」

『さようなら』



 少年は羽根の一枚も動かせずに落ちた。




 *****


「起きた! 起きたよ! 信じられるか!?」

 少年──中年の男は透明のカプセルに横たわっていた。

「大人がいる……」

 男は、喜び勇む老人を見て呟いた。

「ああ、大人になってるよ! お前が八歳で落ちてから四十年も経っているんだ!」

「落ちた……僕は落ちたんだ……」

「そうだよ! あんな……あんな上階から落ちて良く無事で……良かった……良かった……」

 両目から涙の粒を幾つも幾つも零す老人に、懐かしい気持ちが芽生える。涙なんて、夢見の中で流す者など唯の一人も居なかったからだ。

「母さんに報せよう。ああ、処分される前に来て本当に良かった……」

 老人は急いでリモコンを取り出すと、喋りながら走り去った。

 四十年、筋肉を使わなかったので身体が動かせない。なので、首だけを軽く横に向けた。

 自分と同様の透明カプセルが、見えない奥まで並んでいる。中には男性しか入っておらず、みな眠っていた。

(僕は助かったのか、助かっていないのか、どっちなんだろう)

 夢の世界に居た方が幸せだったのかもしれない。

 己の為に涙を零す者が居て幸せなのかもしれない。

 運命を勝手に決めてしまった世界は残酷だ。

 あの世界には名前があった。

 確か──。

 奥から沢山の靴音と喧騒が聞こえたとたん、思い出そうとしていた名前を世界は消した。

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ヴィランイズムの世界 庭畑 @masabell

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