第54話 キスの嵐

「・・・ふっ、ん・・・」


 息を吸いたくて離そうとしたのに、そんな隙間すら許さない、とばかりに後頭部を押さえられ、また強く唇を塞がれた。

『もう、ちょっと・・・ダメ、かも・・・』

 陽が部屋まで送ってくれたのはいいけど、さっきの今で、流石にそのまま帰る訳もなく。

 当然ように、一緒に部屋に入った。

 その途端、抱きしめられ、キスの嵐だ。


「・・・は、る・・・んっ、待って・・・」


 息もできないほど性急すぎる強引なキス。

 角度を変えて何度もキスをされ、陽に待ってほしくて口を開けば、ぬるりと柔らかいモノが入ってきた。

 私の口内を確かめるようにうごめいて、何度も絡めとられ、その度にクチュクチュと唾液音が頭の中で鳴り響く。


「・・・う、んっ・・・」


 苦しさと恥ずしさから、堪らずに口を離そうと抵抗した。

 濃厚なキスと、力強く抱きしめられた陽の体から香るオスの匂いに、酔いも手伝って、頭がクラクラしてきた。

 力が抜けて、そのまま座り込んでしまいそうになって、ようやく解放された。

 といっても、唇が離されてだけで、体はがっしりと抱きしめられたままだけど。


「・・・ごめん」


 押し殺したような切ない声に、息苦しさも吹っ飛び、腕の中で小さくフルフルと首を振った。


「ううん、いいの・・・・・陽」


 顔を上げると、腕の力が緩んで、玄関の薄暗い中に、陽の顔が間近に見えた。

 いつもの優しい笑みとは違う、すごく真剣な男の顔をしていた。


「なんか、あった?」


 私の問いに陽は目線を外して、またギュッと抱きしめてきた。


「・・・桜子は、俺が好き?」

「うん、好きだよ」

「・・・そっか。俺も好きだ」


 そう言って、私の頭を何度も撫でた。

 陽が、こんなにも感情を表に出したことが今までなかったから、すごく驚いて、何があったのか気になった。

 だけど、

『今、ものすっごい、良い雰囲気じゃない?』

 と別の思いも沸き上がってくる。

 でも、やっぱり気になるのは、陽がこんなになった原因で、折角の良い雰囲気にどっぷり浸れない。

 浸りたくて、パパッと原因を聞いちゃえ、と思うけど、陽がそれ以上何も言わないから、こっちも聞くに聞けなくて、そのまま抱かれていた。


「部屋に上がっても?」

「もちろん」


 暫くして、少し気持ちが落ち着いたのか、陽が聞いてきた。

 すぐに部屋に上がって電気をつけ、エアコンをつけていると、急に明るくなって見えるお互いの顔に、陽は少し照れ臭そうに笑った。


「す、座って。コーヒーでも、入れるね」


 その笑顔にホッとしながらも、今日、陽が来るなんて想像もしていなかったから、室内を見てハッとした。

 ベッドにテレビ、1人用のソファにテーブルといった、ありきたりな一人暮らしのワンルームだけど、朝、出かけたままの状態だった。

 今更どうしようもなくて、私も照れ笑いを返しながら、ベッドを軽く直し、テーブルの上を片付けた。


「桜子」


 コーヒーを入れにキッチンへ行こうとしたら、陽にパッと手を取られ、その瞬間、ぼわっと顔が熱くなった。

 気にしない様にしていたけど、こんな時間に好きな人と部屋で2人きりだなんて、気にしないでいられるワケもなく、押さえていた気持ちが沸き上がった。

『そうなっちゃっても、いいのはいいんだけど。起きたまんまのベッドって、なんかイヤだ。自分のベッドなんだけど、生々しすぎて、やだー。うぅ、羞恥心が半端なく来る。すっごい恥ずかしいー。あー、そうよ、うん、そう、落ち着こ、』


「座って」


 陽の言葉に、

『そう、一旦座って、落ち着いて』

 反復しつつ、


「話を聞いて欲しいんだ」


『そう、話を・・・ん?、話?』

 見ると、陽は生真面目な真剣な顔で私を見ていた。

 なのに、私ったら煩悩だらけで、また恥ずかしくなって顔を逸らした。


「疲れた?よな」

「う、ううん、ううん、大丈夫」


 陽の言葉に、自分の思いを悟られない様に、空元気を出して首を振ってクッションの上に座った。

 すると、陽も私の隣に座ろうとするから、


「陽は、そっちのソファに座って。寒いでしょ、温まるまでちょっと待って」


 慌てて言ったけど、陽は、私の隣に腰を下ろした。

 ラグは敷いているとはいえ、間違いなく冷えるでしょ。


「クッション。これ、敷いて」

「俺は、いいよ」


 お尻から引き抜いて、渡したら断られた。


「ダメダメ、冷えちゃうよ」

「いいって、それより話を」

「先に、敷いてって」


 クッションを押し付け合っているうちに、勢い余ってドンッと陽を押し倒してしまった。

 陽がすぐ片手を付いたから、完全な押し倒しではなかったけれど。


「わー、ごめんっ」


 また、羞恥心がやってきて、ぼわっと顔が熱くなった。

『あーん、私のバカ、バカ。なにやってんのー、もう、めっちゃ、恥ずい』

 クッションで顔を隠していたら、陽に優しくどかされた。

 陽があんまりにもジッと見てくるから、赤い顔がますます赤くなってる気がする。


「・・・陽、もう、」

「その顔、大智にも見せた?」

「え?」


 思いがけないことを、言われた。

『その顔?って、今のめちゃめちゃ恥ずかしい顔ってこと?こんな恥ずかしい顔、他の人にするワケがない』

 ブンブンと首を横に振ると、陽の腕が伸びてきて抱きしめられた。

 陽の胸からドキドキと心臓の音が聞こえて、こっちの胸もドッキドッキと一気に心拍数があがった。

 お尻が冷たいどころじゃない。

 気持ち的に、どうにかなってしまいそうだ。

 はぁ、と陽が息を吐いた。


「ダメだなぁ、俺」


『ナニがダメなの? 好きな者同士なんがから、ぜんぜんいーじゃん。大歓迎なんですけど』

 そんなことを思いながら、陽の顔を伺い見た。

 近すぎて、輪郭がぼやける。

 私の視線に気がついて、陽と目が合うと、陽は優しく笑った。

 いつもの優しい笑み。

 胸がギュゥと鷲掴みにされる。

『あぁ、やっぱり陽、好きー』


「今日、飲み会があったんだ」

「あ、宮野さん。風くんが言ってた」

「そうそう、桜子の会社は、工事見積出してるんだろ。ウチは、その工事の精査を頼まれたんだ」

「へぇ。あ、あのね、今日、私、陽と宮野さんが大通りを歩いてるの見たの。最初は、見間違いかなって思ってたんだけど。すごくない? あんなに遠くても、私、陽を見つけちゃった」

「ククッ」


 私が話していると、陽が楽しそうに笑った。


「桜子って、スゴイな。いっぺんに俺の気分よくしてくれる」

「・・・そう?」


 どこら辺がそうなのか分からないけど、すごい嬉しそうな笑みを浮かべるから、嬉しくなってしまう。

 でも陽は、急に険しい顔になって、少しぶっきら棒に言った。


「その、飲み会の帰りに宮野さんから聞いたんだ。大智と桜子が付き合ってるって」

「エッッ! それ、違うからっ」


 青天の霹靂。

 ビックリして、思わず声が大きくなった。


「うん、分かっているよ。分かっているんだ。きっと、どうでもいいようなつまらない理由で、大智が言い出したんだろう」

「うっ、ごめん、ごめんね。なんか、話の流れっていうか、仕事を動きやすくする?みたいな話になって、それで」

「聞いた時は、本当に驚いた」

「だよね。ごめん、本当にごめんなさい」


 陽が、また険しい顔になったから、慌てて謝った。


「いいんだ、分かってるから。頭では、分かっているんだ。大智が、意味なくそんなこと言うワケないし、桜子の気持ちだって、知ってるから。だから、少し考えれば答えはすぐに出る。でも、気持ちはさ」


 私の顔をジッと見て、陽は前髪に触れてきた。

 それから頬を、指でつたう様に触れて、コツンと額と額を合わせてきた。


「どんな理由があっても、あんなウソは聞きたくない」


 呻くような声。

 近すぎて、ハッキリ見えない顔。

 でも、辛そうな顔をしていると、分かる。

 陽の、その全てに、私は打ちのめされてしまった。

『もっと、ちゃんと断ればよかった。そうしたら、こんな思いさせずに済んだのに』


「ごめんね、陽・・・」

「桜子」

「ん?」


 謝る私に、陽が名前を呼ぶから、顔を離して陽を見た。

 陽は、何かを言いかけたけど、やめて顔を寄せてきた。

 ついばむような軽いキス。

 触れては離れ、離れては触れて、と何度もキスをしてくる。

 濃厚なキスとは違うけど、息のしどころが分からなくて、目を開けて陽を見たら、陽も私を見ていて、目が合った途端、可笑しくなってぷっと息を吐いてしまった。

 すると、陽の頬がぷっと膨らんだ。


「ククク」

「アハハハハ」


 お互いの顔を見て、大きく笑い合った。

 可笑しそうに笑う陽が、私を見て、また笑みを深くすると、私も笑顔になった。

 そんな陽が大好きで、胸がすごく暖かくなる。

 ひとしきり笑い終わると、


「俺、桜子が好きだ」


 陽が、告白するように改めて言った。

 だから私も、


「うん、私もすっごく好き。大好き!」


 と断言して言うと、陽は照れたようにフッと笑った。


「じゃ、俺、・・・そろそろ帰るよ」


 なーんて、急に言うから、


「えーっ(なんでー)」


 思わず、心の声が漏れてしまいそうになった。


「はっ、そんな顔してると、本当に襲っちゃうぞ」


 頬っぺたを、ムニッとつままれた。

 全然いいのに、と思って陽を見ていると、


「だから、そんな顔するなって」


 困ったように陽は笑った。


「別に、私は、」


 照れ隠しのように、もぐもぐ言うと、


「今日はさ、勢いで来ちゃったし。俺に、カッコつけさせてよ」


 と言われてしまった。

 そんな風に言われてしまえば、もう引き留められない。


「うん、わかった」


(心の中で渋々)頷くと、頭をポンポンとされた。


「そういえば、店に阿部さん、いたよな」


 思い出したように、それとも話題を変える為なのか、陽が言った。


「うん。今日、帰りに一緒になって。こないだの立ち飲みに行こうかと思ったんだけど、阿部さんが他の店がいいって言うから、梅野に来たの」

「ふーん。大智とは、どんな感じ?」

「阿部さんは、風くんが好きなんだけど。風くんは、どうかな。今日の感じだと、嫌がってはナイと思うけど」


 2人が、目の前で話していた光景が目に浮かんだ。

『陽と私、抜けちゃって。あれからどうなったんだろう』


「そうなのか。帰りに梅野によって、見てこようか」


 陽も、同じことを思ったみたいだ。


「んー。もう、いいんじゃないかな」


 憶測だけど、きっと大丈夫、と思った。

 人の恋路に、多少の力添えはいいけど、必要以上に首を突っ込まない方がいい。

 結局、決めるのはお互いだから。


「そっか。じゃぁ、そのまま帰るよ」

「電車、ある? タクシー呼ぶなら、それまでここで、」


 立ち上がって帰ろうとする陽に言うと、


「俺の自制心。これ以上、試さないで」


 陽は片手を額に当てて、天を仰いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

上手いビールと美味しい肴と、ときどき彼氏 青空 吹 @sorafuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ