第百八十二話【三章最終話】おそうざい食堂は永遠に


 ある日の夕刻。

 吉兆楼最上階の座敷に、建安の大商人が集まっていた。


 小物から馬まで扱わない物は無いと言われる『魯商会』の会長、魯達ろたつ

 遠く西域や芭帝国より糸から生地、絹から木綿まで手広く扱う『栄屋』の 

老翁、栄元えいげん

 芭帝国や山の民などから山海のさまざまな塩を仕入れ、宮廷から正式な証書も発行されている塩商人の羊剛ようごう


 定期的に開かれる情報交換も兼ねての酒宴。


 話題はもちろん、以前の活気を取り戻しつつある建安の市場についてだ。


「やってくれたな、蔡家の若造が」

 魯達は上機嫌だ。


「異国、しかも大国・芭帝国との会談に料理人を引っぱっていって、彼の国の要人の舌に直に訴えて商いの窮状を伝えるとはな」


 ほほ、と栄元も上品に笑う。

「おかげで芭帝国も重い腰を上げて、混乱した国境を整備しましたな。盗賊は一掃され、東西からの隊商も戻ってきた。その隊商がさらに別の商人を呼び、再び建安に商いの良い循環が生まれつつある。さらに、特使である李宰相と蔡術師は山の民と塩の取引にまでこぎつけたとか」


「その立役者が聖厨師。つまり香織だってんだからなあ」

 羊剛がうなる。

「会談でも、俺が渡した数種類の塩でそれぞれおにぎりを作ったらしい。会談に同席してたマニ族の族長が驚いてたよ。あんな塩の使い方もあるんだって」


「芭帝国もこれで内乱収束に向けて急速に復興するだろう。会談は大成功だな」

 魯達が呼び鈴を鳴らすと、仙界を描いた雅な襖がさらりと開き、艶やかな吉兆楼三姫——杏々シンシン寧寧ねいねい梅林ばいりんが入ってくる。


「建安にも活気が戻って、俺様たち商人もやっと美味い酒が飲めるってもんだ。杏々、とっておきの楽を頼むぜ」

「かしこまりました」


 このところ杏々、寧寧、梅林はすっかり顔色がいい。身体が健康なので心も落ち着いて、三人ともしっとりとした魅力で輝いている。もちろん妓女としての魅力的な容姿の曲線美も保っていた。


「すべては、聖厨師・香織のまかない昼餉のおかげ」


 三人は口を揃えて上客に話し、「吉兆楼の料理は聖厨師の手が入っているらしい」と評判が評判を呼び。

「吉兆楼には三姫と美味い酒肴あり」と、妓女との遊戯だけでなく料理も楽しみにくる客は増え続けている。



 三姫が楽を奏でる中、再び襖が開き、髪を高く結った妖艶な美女が現れた。

 手には、大きな蒸籠を捧げ持っている。


「おう、胡蝶こちょう。何を持ってきたんだ?」

「魯達様、栄元様、羊剛様。こちら、先ほど西の広場にてお預かりした物ですわ」

「西の広場……おそうざい食堂か!」



 下町にあったおそうざい食堂は、西の広場に移ったという。

 なんでも、豪華な馬車が何台も往復し、下町だけではなく、建安のさまざまな場所から人がやってくるらしい。

 もともと遠方からの商人の騎獣を繋いだり、難民を受け入れていた場所なので手洗い場や厠なども整備されていて、衛生的。

 最近では戻ってきた商人たちの多くもおそうざい食堂でご飯を食べるため、無料配布の汁物はなくなってしまう日も多いのだとか。


 値段も今までと変わらず、銅貨三枚だけでその日の献立がすべて食べられる。まだ残っている芭帝国の難民には無料でおにぎりや和え物、汁物を配る。

 それでいて『マヨネーズ』や『ミネストローネ』など珍しい名の料理もあって、貴族がおしのびで来ることも多いという。


 老若男女や貴賤を問わず、おそうざい食堂は今や建安になくてはならない食堂となっていた。


「はい。香織から御三方へ、と」

「そりゃありがたいな。包子もいいが、俺様はまた『ぼてとちっぷす』も食いたいけどな」

 魯達は湯気を上げる蒸籠をそわそわと見ている。

「元気なのか、香織は」

「それはもう。いつも通りおそうざい食堂に御夫婦で来られてましたよ。白龍……じゃない、蔡術師様に大事にされて、それはお幸せそうでした」


(よかったねえ、香織)

 胡蝶は目尻を和ませる。


 耀藍が白龍と名乗り吉兆楼へ遊びに来ていた頃、吉兆楼の厨を手伝ってくれていた香織を護衛してきたことを思い出す。


(あの頃から、香織は耀藍様を好いているってバレバレだったもの。耀藍様もね)


 二人が一緒になった経緯の詳細はわからない。

 けれど相思相愛の男女が一緒になれることは、長く花街に身を置く胡蝶にとって、憧れであり自分のことのように幸せに思えること。

 華老師から聞いた話では、香織は複雑な事情を抱えていたようで。

 そのような身の上の娘なら、尚のことだった。


(幸せになるのよ、香織)


 香織が魯達たちに、と持たせてくれた大蒸籠を開けて、胡蝶は歓声を上げる。


「ご覧ください! 会談で出された包子だそうですよ。まさに建安の商人たちを救った包子ですわね!」


 蒸籠をのぞきこんだ三人は、おお、とどよめく。


「変わった匂いがするな。これはトマトと……大蒜かな」

「香辛料も香りますな」

「餡の塩は、マニ族の塩だろうな」


 胡蝶が包子を一つ手にして、割る。

 すると、赤い餡と一緒に、とろり、と乳白色がとろけだした。


「乾酪じゃねえか!」

「また香織殿は奇抜な物を思いつかれる」

「やっぱ、香織は聖厨師だよな! この世界でこんな食べ物思いつく奴は、他にいねえだろう」


 魯達も栄元も羊剛も、うれしそうに包子を手に取った。


「ええ。名前も変わっていましたわ。たしか……ピザまん、というのだそうですよ」

 言ってから、胡蝶はふと思う。


(そういえば、香織こうしょく麗月リーユエという名だったそうだけど……どうして香織と名乗っているのかしら? 香織、なんて、まるで別の世界の名前みたいよね……)



 それだけは誰も知らない、永遠の謎だった。





~おわり~





 ここまで読んでくださった皆様に、心からの感謝をm(__)m

 お付き合いいただき、ありがとうございました!



 桂真琴

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