第百七十五話 月夜の最強乙女


 耀藍ようらんは私邸へ戻る道すがら、考えこんでいた。


香織こうしょくが、オレの花嫁……」

 それはどんなに望んでも叶わないと思っていた願い。

 今、目の前に差し出されたその最上の幸福の前に、耀藍は戸惑っていた。


 香織は、それでいいのだろうか。


「オレの花嫁になるということは、術師の妻としてずっと王城で暮らすということ。それは、香織の自由を奪うということではないだろうか」

 おそうざい食堂や吉兆楼、華老師宅での生活——今ある香織の交友関係は断ち切られてしまうのだ。


 それに、佳蓮はどう思うだろうか。


 どうやら佳蓮は、耀藍を好いているらしい。そして結婚に積極的だ。

 かなり鈍い耀藍でも、佳蓮が寄せてくる好意にはさすがに気付いていた。

 そんな佳蓮が、この事実を受け入れるだろうか。


 佳蓮のことは幼い頃から知っているし、亮賢と同様、家族のように、妹のように大事に思っている。恋愛感情こそないが、傷つけたくない。


 堂々巡りのまま気が付くと、耀藍は私邸の門をくぐっていた。

 そのまま玄関に向かわず、いつもの定位置、クチナシの繁みの脇に長身を折ってかがみこむ。広い術師の私邸の中、耀藍が落ち着ける数少ない場所のひとつだった。

 耀藍は空を仰いで呟いた。

「オレはどうすればいいのだ……」


「香織を迎えに行けばよろしいのよ」


「なっ?!」


 耀藍はぎょっとしてしりもちをついてしまう。以前もこんなことがあったような――。


「佳蓮! 何をしているのだこんなところで!」

「耀藍様こそ、いいかげん慣れたらいかがです? ここは耀藍様の屋敷ではありませんか。帰宅したらすぐに玄関に向かう! 香織が来たら、ここで一緒に暮らすのですよ?」

「か、佳蓮、そなた、なぜそのことを」

「ぜーんぶ鴻樹から聞きましたわ。あと、お兄様にも」

「そ、そうか」


 二人から聞いたのなら、核心を聞いているのだろう。


「……佳蓮。そなたに話しておかねばならない」

 耀藍は正面から佳蓮を見る。クチナシの甘い香りが二人の間の緊張した空気を和らげてくれる気がした。


「オレは、香織を愛している」

「呆れた。ずいぶんはっきり言いますのね」

「す、すまん」

「もうっ、謝らないでくださいませっ」


 ぷい、佳蓮はそっぽを向いてしまう。耀藍はあわてて言った。


「そなたのことも大事に思っている。オレはそなたを、亮賢と同様、家族のように、妹のように思っているのだ。その気持ちに偽りはない」

「…………」

 佳蓮はまだそっぽを向いている。それでも耀藍は正直な考えを言葉に紡いでいった。

「しかし、オレの結婚は術師としての結婚だ。そこには、オレの個人的感情は関係ない。だから、オレは慣例に従おうと思う。もともと王家の末の王女といえばそなたであるし、厳密に言えば香織は妾腹だ。オレの結婚話はその辺りを明確にしてから――」

「もうっ、耀藍様のことだから、きっとそうやってクヨクヨ悩んでいると思いましたわ!」


 佳蓮が振り返り、びしっ、と人差し指を差してきた。


「あの鴻樹が! 几帳面で仕事に妥協がなくて若いくせにヘンにジジ臭くて細かいところにもぬかりがないあの鴻樹が! そんなことも確認せずに真実をあたくしに話すと思いますの?」

「う、そ、それは」

「それに、へらへらしているくせに押さえるところは冷酷とも言えるほどちゃんと押さえるお兄様が、耀藍様の個人的恋愛感情のためにしきたりを破るとお思い?」

「…………」

「妾腹でも、末は末。術師の花嫁の条件がそうなっているからこそ、鴻樹もお兄様もあたくしに話をしたのですわ」

「…………そ、うだな」


 佳蓮の言う通りだ。鴻樹や亮賢が佳蓮に話したということは、そういうことだ。

 そんなことは、わかっていたはずなのに――。


「耀藍様が本当に気にしているのは、香織の気持ちなのではなくて?」

「!」

「どうせ香織の自由を奪ってしまう、とか考えていらしたのでは?」


 図星すぎて言い返せない。


「耀藍様は乙女心がわかっておりませんわ! そんな脆弱な気遣いは無用でございます!」

 佳蓮はきっぱりと言い放った。

「乙女というのは、誰かに自由を奪われるほどか弱い者ではないのですよ。心に恋や愛があれば、どこででも輝ける強い者。それが乙女なのです」


 先刻から気付いている。佳蓮は、瞳が潤むのをこらえてずっと話している。

 その姿に耀藍は心を打たれた。

 勇気を――もらった。


「ありがとう、佳蓮」

 頭を下げた耀藍に、佳蓮がぎょっとする。

「な、なんですの耀藍様、急にあらたまって」

 耀藍は、佳蓮の手をそっと取った。

「どこでも輝ける強い者。それは佳蓮、そなたもだな」

「あ……当たり前でございましょう? あたくしを誰だと思っているのです」


 佳蓮は耀藍の手を振り切るように立ち上がり、夜空を見上げて胸を張った。


「あたくしは呉陽国王家の気高い王女! そして心に料理への愛を抱いた乙女なのですわ!」

「料理への愛……? それはなんだ」

 耀藍の問いには答えず、佳蓮は月に向かって高らかに叫ぶ。


「つまり! あたくしは最強乙女なのですわ!」


 そして振り返って、ふふん、と笑った。

「ですから、あたくしにも脆弱な気遣いは無用です。耀藍様は一刻も早く、御自分の為すべきことをなさってくださいませ。ああ、後宮まで送る必要はございませんわ。乙と輿を待たせておりますので」


 そう言って胸を張ったまま、佳蓮は去っていった。


「オレが為すべきこと、か」

 小さかった佳蓮が、妹だと思っていた佳蓮が、あんなにも大人な考え方をするようになったとは。

 その成長が兄のようにうれしく、そして佳蓮の潤んだ瞳を思い出すと切なく。

「佳蓮のためにも、為さなくてはならんな」


 耀藍はゆっくりと立ち上がり、衣の裾を払うと玄関へ向かって歩き始めた。





「……とっくに知ってましたわ。耀藍様があたくしを女人として見てないことなんて」

 後宮へ戻る道すがら、佳蓮は月を見上げる。

 輿は先に返していた。後ろから乙がひっそり付いてきているだけだ。


 月は静かに優しく照らしてくれる。陽の下を歩くのと違い、心が癒された。だから歩きたかったのだ。

 

 耀藍の前でいろいろな気持ちがこみ上げてきても、取り乱さずにきちんと言いたいことを言えた。


 これで本当に、自分の気持ちに整理がついた。


 今は、心が凪いでいる。


 だから。


「初恋は実らないって、本当ですのねえ」

 最強乙女は、溜息まじりに呟いた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る