第百七十六話 新生・おそうざい食堂➀



 華老師の家の厨は、またたく間に元通りになっていった。


「今日は仕事の前に時間があるから、かまどを直しに来たぜ」

「昨日の仕事であまった木材もらってきたから、椅子を作るな」

「布巾、たくさん縫っておいたからね」


 壊れた厨で香織こうしょくが作業していると、近所の人たちが次々にやってきて何かしら手伝ってくれるのだ。

 皆、口をそろえて「だっておそうざい食堂がやってなかったら困るから」と言う。


「一日も早く営業を再開してもらいたい!」と楽しみにしてくれる人たちに、香織は話を切り出しかねていた。


 おそうざい食堂を、別の場所に移す話を。



 少し前に、青嵐せいらんが役所で確認してくれていた、建安の西にある広場。

 交易商たちが騎獣をつないだり、隊商が幌を張ったりする広い場所だが、芭帝国内乱の影響で商人が建安にあまり入ってこない今は、芭帝国からの難民を受け入れる場所になっていた。

 その難民たちも、内乱の収束に伴ってだんだん少なくなり、広場は場所が余っているという。


 その場所を、おそうざい食堂に貸してもいいと役所が言ったそうなのだ。


「難民たちに食事を提供するのが条件だって。食材費は役所が負担するらしい」

「つまり、炊き出し担当になるってことね」

「炊き出し?」

「あ、ほら、わたしたちも厨が壊された日にやったでしょう。食事に困っている人たちに、簡単に食べれる料理を無料で配ることよ」

「ああ、なるほど」

「炊き出しができるなんて願ってもないことだし、場所も広くなればお客さんを待たせる必要はなくなる。でも……」

「近所の者たちのことを気にしておるのじゃろう、香織」

「はい」


 小さい子を連れた母たちは、西の広場までくるのは大変だろう。

 足腰の弱い老人もいる。


「たしかになあ、西の広場は建安の中心部に近いから、建安中心部まで商いに来る人たちや建安の中心部に住んでいる人たちは便利になる。市場に近いから香織も食材の調達はラクになる。けど、逆にこの下町からは遠くなっちゃうからな」と小英しょうえい

「みんなが納得できる方法はないかしら……」


 すっかり直った水場で水が出るのを確かめて、新しい竈に火を入れる。

「おお! 火が入った!」

 四人は歓声を上げた。


「今日からはまた、ここで暮らせるのう。ありがたいことじゃ」


 それぞれ居候させてもらった家に丁寧に礼を言って、引き上げてきていた。


「本当に。皆さん、急なことだったのに快く迎えてくれて」

 明梓めいしの家で過ごしたここ数日は、香織の傷付いた心も腕もすっかり癒してくれた。


「久しぶりに四人で揃ったし、さっそく簡単にお昼でも作って食べましょうか」

「やったあ!」小英と青嵐は珍しく手を取り合って喜んでいる。

「たいしたものはできないけど……手伝ってくれた近所の人たちにもお礼がしたいから、昆布の佃煮とか味を濃い目にしたおひたしを作って配りたいです」

「あっ、じゃあ俺が薬草煎じの合間に配ってくるから、香織はじゃんじゃん作ってくれよ!」

「俺は市場へ行って、青菜を仕入れてくる!」

「久しぶりじゃのう、薬草を煎じるのは」


 小英と青嵐、華老師がそれぞれの場所へ行ってしまうと、香織は隅に寄せられた麻袋をのぞいた。

 ここ数日、少しずつ片付けながら、まだ使えそうな食材を拾っては集めてとっておいたのだ。

 葉物はもちろん全滅だったが、根菜類は意外と無事だった。

「じゃがいもがたくさんある……そうだ、粉ふきイモ作ろう!」


 さっそくじゃがいもの皮をむきつつ、ふと香織は思い出した。

「そういえば、この世界にきて初めて作ったのも粉ふきイモだったな」


 それを明梓たちにほめられ、おそうざい食堂を始めることになったのだ。


「あのときも、二種類作ったな」

 塩味と甘辛しょうゆ味と。

「ふふ、マニ族の塩を使っちゃおうかな」

 またここへ戻ってこられた、ささやかなお祝いに。

「じゃがいもはたくさんあるし、粉ふきイモも近所の人たちに配れるかしら」


 香織があれこれ算段しながら調理していると、「どうもー」とのんびりした声が入ってきた。

 振り向けば、熊のような男が戸口につっかえそうにして立っている。


太謄たいとうさん!」

 蔡家の小間使いをしている大男だ。

「お久しぶりです」

 香織はぺこりと頭を下げる。太謄は、蔡家の馬車に轢かれた香織を華老師の家まで運んできてくれたのだった。

「いやいや、こちらこそ、美味い飯食わしてもらったこと、忘れてねえよ」


 太謄はにこにこと手招きをする。

 つられて出ていってみると、門の前に荷車が置いてあった。


「な、なんですかそれ!?」


 大きな荷車には、商家の荷かと思われるほど、てんこ盛りに荷が積まれている。


「紅蘭様に言われて届けにきたんだ。遠慮せずに使ってくれって」

 荷車には、いくつもの米俵に味噌の樽、しょうゆの桶に塩に酒、その他あらゆる調味料、新鮮な野菜や卵、肉や果物まである。


「そ、そんな! 受け取れません!」

「受け取ってくれなきゃ俺っちが紅蘭様に怒られちまうからよお」

「でも」

「紅蘭様が、困ったことがあったら何でも言ってくれって。蔡家にできないことはないから、何でも力になるって」

「そんな……」


 試食会に勝ったことで紅蘭を含む周氏の勢力が優位になったことに、紅蘭なりに感謝の意を示してくれているのかもしれない。


「こんなんじゃ足りないだろう、何が必要か聞いてこいと仰せなんよだ。何か他に、必要なものはないかい?」

「そんな! これだけでじゅうぶんですよ!」


 すると太謄は熊のような身体を折って、眉を八の字に下げた。


「頼むよう、何か必要なものを言ってくれよお。俺っち、紅蘭様に叱られちまうよお」

「そ、そんなこと言われても……」


 太謄は泣きそうだ。

 しかし香織も困った。本当に、十分すぎるほどの物資を運んでもらっている。


「物資はじゅうぶん……」

 香織はハッと顔を上げた。


「あの、太謄さん。紅蘭様は、何でもいいっておっしゃったのですか?」

「もっちろんだ! 香織が必要なものならなんでも用意するっておっしゃっただよ」


 香織は懐から書付用の帳面と筆を取り出し、さらさらと何事が書いた。

 そして、その紙を丁寧に折り畳み、グローブのような太謄の手にがっちりと握らせる。

「でしたら、これをどうか紅蘭様にお渡しください。ぜひお願いしたいことがあるんです」

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