第百六十六話 王と鴻樹の内緒話③
私室の露台で月を眺めていた
「
試食会の時と同じ袍を着たまま飛びこんできた宰相を、頭からつま先まで呆れて眺める。
「休むのも仕事のうちだよ、鴻樹。早く湯殿へ――」
「そんな悠長なことを言ってる場合じゃありませんっ」
人払いがしてある王の私室で、更に調度品の影や天幕の間を入念に調べてから、鴻樹は声を低くした。
「行方不明の末の王女ですが……その正体、聖厨師・香織かもしれません」
これには亮賢も一瞬言葉を失った。
「……説明して?」
「しばらく前、建安の下町に近い往来で、とある少女が蔡家の馬車に轢かれたことがあったそうです。泥だらけで、怪我もしていたその少女を、通りかかった華老師と助手の小英が手当をし、連れて帰った。それが現在、華老師宅の庭先でおそうざい食堂を営む、聖厨師・香織です」
いったん言葉を切ってから、鴻樹は大きく息を吸いこんだ。
「香織は、馬車に轢かれた当時、変わった衣装を着ていたそうです。天女のような羽衣をまとった、薄紅色の裾や袖の長い絹の衣……それは、芭帝国の貴婦人の衣装。そして、薄紅色の衣装、というのが、国境付近で息絶えた老宦官と一緒にいた少女と特徴が一致します」
亮賢は露台の手すりを握って、夜空を仰ぐ。
「……なんとなくね、そんな気がしてたんだ」
「亮賢様?」
「試食会のときにね、なんとなく薄々感じたんだ。この子、余と血がつながってるかもしれないってね」
「そ、そうなんですか?!」
「うん。だって、似てるし。あのすみれ色の瞳とか、亡き父上にそっくりだよ」
「亮賢様って、たまにもの凄く野生の勘が働きますよね……」
「まあね。でもこれってすごい運命の引き合わせじゃない? 芭帝国との会談特使の料理人に選んだのが、捜していた末の王女だったんだよ?」
「ええ、まあ、そうですね……」
鴻樹が気が抜けたらしく、露台の椅子にぺたんと腰かける。
「しかし、あの香織という少女が捜していた王女なら、いろいろと納得がいきます。情報の少なさも、あの美しい容姿も」
「うん、そうだね。あの美しさはきっと、父上が気に入ったという舞姫譲りなんだろうねえ。耀藍も隅に置けないな」
「は? 耀藍殿? なぜに耀藍殿が出てくるのです?」
「やだなあ、鴻樹。耀藍は聖厨師に恋してるだろ?」
一拍の、静寂のあと。
「はああああ?! な、なぜそんな話になるのです?!」
「鴻樹ってほんとに、仕事以外のことにはその明晰な頭脳が働かないんだねえ。簡単に想像がつくじゃないか。一、耀藍には入城する前に想い人がいたらしい。二、耀藍がお茶噴いたり様子がおかしいときは、聖厨師やおそうざい食堂の話してた時だった。三、試食会での耀藍は、途中からは特使の顔になったけど、明らかに感情を抑え込んでいる様子だった。これらのことから導き出せるのは、耀藍が聖厨師・香織と特別な関係にある、じゃない?」
にっこり微笑む亮賢に、鴻樹はうなだれる。
そう、この若き王は、こういう人なのだ。ふわふわしているように見せかけて、誰よりも鋭く、注意深く、どんな小さなことも見逃さず周囲を観察し、その情報を掌の上でじっくりと吟味する。しかるべき時がくるまで。
自分にはできない業だ。これが王の器だろう、とも思う。
「だからこそ、生涯お仕えすると決めたのですがね……」
「え? なに?」
「いえ、なんでもございません。しかし、それが本当ならますます王女の速やかな身柄の保護が必要かと」
「そうだね。芭帝国からの追手が近くにいるんだろう?」
「はい」
二人は顔を見合わせて頷く。
「明日、おそうざい食堂へすぐにお迎えを向かわせます」
「頼んだよ。耀藍の花嫁に手を出されるわけにはいかないからねえ」
亮賢は端整な顔で柔らかく微笑んだが、その顔にはひりつくような緊張の色がにじんでいた。
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