第百六十四話 審査の結果は


 審査の方法は単純明快。

 王を除く審査員一人一人が誰とも相談せず、どちらの料理が特使の料理としてふさわしいかを決めて、箱に料理人の名を書いた札を入れる。


 ただしもちろん、各陣営では事前の打ち合わせがあり、各陣営が推す料理人の名を書くことはわかりきっている。


 よって、結果は特使である宰相と術師の札によって左右されることになる。


(小賢しい小僧め……)


 楊氏は苦々しい目つきで李鴻樹を睨んだ。

 術師は王同様、近付くことが難しいので宰相だけでも抱き込もうとしたのだが、相当な大金を積んだにも関わらず李鴻樹は「聞かなかったことにしておきます」と涼しい顔で言ってのけたのだ。


(まあいい。あの小僧がわしに従わずとも、陳万福の料理は王と蔡術師を魅了したはず。王は好き嫌いが多くおありだからその対策は完璧にさせたし、術師は食道楽と聞いたしな)

 美味しそうに食べていた王や蔡術師の顔を思い浮かべ、にやにやが止まらない。

 絶対に、陳万福が勝つ。


(あのような田舎臭い料理に負けるはずもないからな)


 正直、あの香織とやらの作ったものは敵ながら美味しいと思った。ただの家庭料理とは違った。なんというか、斬新でありながら懐かしい味だった。

 しかし、洗練された料亭の味に敵うはずはない。

 楊氏は止まらない笑みを押さえつけて、箱へ札を入れた。


 同じように審査する者全員が、自分の札を箱に入れた。



「料理人たちに、聞きたいことがある」

 全員が札を入れた後、王が言った。



「今日の試食会、なぜこの献立にしたのか、理由を説明せよ」


「では、恐れながら私めから申し上げます」

 楊氏と目配せした陳万福が、平伏した。


「恐れ多くも王の御召し、しかも国を代表する料理人選定との御意向をうかがい、この陳万福、持てる技術のすべてを結集いたしました。会談という限られた時間の中でも堪能していただけるよう、究極の贅をぎゅっと濃縮する工夫をしております。今回は芭帝国との会談、彼の国の珍味もふんだんに使用しました。また呉陽国を代表する肉やキノコ料理は、我が国の国土の豊かさを誇示できるものと確信しております」


 陳万福のよどみない口上が終わる。


…………沈黙。


(ど、どうされたのだ、王は)

 あまりの沈黙に不安になり、ちら、と目線を上げると、王は玉座で頬杖をついて陳万福をじっと見ていた。


「終わりか?」

「は……?」

「そなたの説明はもう終わりか?」


 聞かれた意味がわかって、陳万福はあわてて「ははあっ」と肯定の平伏をする。


「わかった。では、聖厨師・香織はどうだ?」


 陳万福は平伏しつつ、ちら、と横を見る。

 香織は平伏したまま、顔を真っ赤にしていた。


(憐れな娘だ。若い身でこのような大舞台に立つことがそもそも、分不相応であるし重荷であろうに)


 いくぶん白けた気分になったとき、香織が口を開いた。


「お、恐れながら……わ、わたしは説明が上手ではないので、少々長くなってしまうかもしれません」

「かまわぬ。話せ」


 王が穏やかな声で許可したとたん、スッと香織は顔を上げた。

 その顔を見て、陳万福は愕然とした。

(まったく別人のような顔になっておる……!)


 目を瞠る陳万福の横で香織は大きく息を吸うと、説明を始めた。


「まず、包子ですが、これは『ピザまん』と称する包子です」

「ほう。ぴざまん、とな」

「中の具材はトマトとひき肉と玉ねぎを香辛料と煮込んだ物です。トマトは呉陽国では通年収穫できますが、芭帝国では夏野菜に分類され、寒冷で夏が短い芭帝国では夏野菜は御馳走と聞きました。このトマトの煮込みは、日持ちがします。貴重な夏野菜を芭帝国の民に長く楽しんでもらえるよう、このような形にして包子にとじこめたのです」


 ほう、というざわめきが、審査員たちから上がった。


「なるほどな。確かに、彼の国では夏野菜は貴重であると余も聞いたことがある」

「はい。そして、包子は芭帝国の民にとってなじみ深い料理。呉陽国では、お祝いの席で食べられる御馳走です。両国の民にとって大切な料理である包子ですが、今、小麦粉が高騰していて、民は以前のように包子を食べられなくなっているのではないでしょうか」

「その通り。そのために、李宰相と蔡術師が物流の妨げになっている内乱平定の依頼を芭帝国へ上申するのだからな」

「包子の美味しさを民にも身近な食材トマトで味わっていただき、小麦粉の安定した流通が急務であることを感じていただきたいという思いでこの包子を作りました。また、中心部に入れた乾酪は、マニ族から仕入れた乾酪です。会談の土地を提供してくれるマニ族の方々にも楽しんでいただきたくて、工夫しました。それと」


 香織は、厨に置いてあった壺を三つ、自分の前に置いた。


「これは、マニ族が山の塩鉱で採る珍しい塩です。それぞれに特徴的な味と栄養があります。高値で取引されるものと聞きましたが、塩の道がもっと開けて、流通できる量も増えれば、もう少し値段も低くなって芭帝国や呉陽国の民にも手が届き、マニ族の人々にとっても利益になるものと思います。その可能性を考えるきっかけにしていただきたくて、塩の味を直接楽しめる『おにぎり』を作りました」

「ほう。あれは『おにぎり』というのか」

「はい。米と塩があればどこの家庭でも作れる、簡単な料理です」

「なるほど、面白い」

「おにぎりは中に具材を入れることも多いのですが、今回はマニ族の塩を味わっていただくために塩結びとし、昆布の佃煮を添えました」

「おお、そうそう。この甘い食べ物。非常に美味だったな。甘いのに、このおにぎりという米と相性が良かった」

「はい。卵焼きもそうですが、甘くてもご飯に合うんです。そして、甘いと時間が経っても料理の艶が失われず、冷めても美味しくいただけます。きっと、会談は長い時間がかかると思い、時間が経っても美味しくいただける料理にするというのも、献立を考える上で気を付けたことです」


 王はうなった。香織はよどみなく説明を続ける。


「わたしのような者には、難しいことはわかりません。でも、国と国が平和のために話す、その場所で、集まった方々が会談に有意義で、しかも美味しいご飯を食べるには、どうしたらいいだろうって考えました。

 そこで辿り着いたのは、民の誰もが食べる食材で、時間が経っても美味しく食べられることが大事だと思ったんです。

 それと、会談場所は山の中なので、持ち運べる荷を考えて、なるべく少ない油や器材で作れて、ごちそう感が出る料理にしました。食材も傷みにくい物を選びました。干し肉の汁物と唐揚げは、その代表です」



 今や、王だけでなく、その場の全員が香織の話に耳を傾けていた。



「ポテトチップスは……あの、じゃがいもを薄く揚げた物ですが……、唐揚げの油をできるだけ捨てずに使うために作りました。以前、ある御方に作ったら芭帝国でもぜったいに気に入られる、と御意見をいただいたので」

「うむ、あれは美味かった。じゃがいもからあのような料理ができるとは、驚きだったぞ」

「はい。それからマヨネーズは、野菜が苦手な方でも野菜を食べやすくする効果があるので、包子の大蒸籠で一緒に蒸す野菜に添えてみました」

「そうだ! あれはすごいな! 実は余も野菜が苦手でな。それなのに、あれを付けたら確かに野菜がするすると食べられたのだ!」

「本当ですか?! それはよかったです!」


 盛り上がる王と香織の間に、大きな咳払いが入った。若き宰相が香織と王、双方に笑みを向ける。


「香織、王の御前です。つつしみなさい。王、そろそろ御時間です」



 こうして二人の料理人に対する王の質問は終了したが、今やどちらが特使の料理人としてふさわしいかは、一目瞭然とも言える空気だった。



 衛兵が箱を開け、札の名を読んでいく。



「陳万福の札、五名、香織の札、七名」

 衛兵が告げると同時に、王が立ち上がった。



「おめでとう、香織。そなたの勝ちだ!」



 周氏の陣営から歓声が上がる。

(うそ……)

 勝ちたい、と願っていたのに、頭が真っ白になって現実がうまくつかめない。


「ほ、ほんとに……わたしが、特使の料理人に?」

「公正な審査で決めた公正な結果だ。自信を持つがよい」


 王が玉座から微笑みかける。

「そなたの料理に対する考えには、感服した。任せたぞ、香織」


――任せた。

 この場でのその言葉は、どんな賛辞よりも重きあるものだろう。

 勝った、という喜びを責任に変えて、香織に新たな任務への道筋を示してくれる。

「は、はい、お任せください……!」


 香織は、王に深く深く平伏した。

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