第百五十一話 モンスタークレーマー佳蓮


 先日、市場で安くたくさん手に入った鶏肉を皮がこんがりするまで焼く。

 皮がこんがりしたらひっくり返してこちらもこんがり焼いたら、砂糖多めの生姜醤油ダレを回しかける。

 鍋肌がじゅわ、と音を立てて甘辛くこうばしい香りが上がったら、時折返しながら鶏肉全体にタレを絡めていく。


 鶏の照り焼き。今日のメイン献立だ。


 つややかにタレが回った鶏肉を、細く刻んだキャベツの上に乗せていく。

 そして、ふっくらと蒸しあがった包子の生地を添える。


 三日後の試食会に備えて常備してある包子の生地を平たく蒸した物に、鶏の照り焼きを挟んで食べてもらう。前世で大好きだった『豚の角煮割包クワパオ』をアレンジしたものだ。


 副菜は、ポテトサラダにした。


 たくさんあるジャガイモときゅうり、昨日の残りのマヨネーズと酢を合わせる。隠し味に砂糖を少々まぜる。


 今日の汁椀は、ふわっと卵のトマトスープ。


 このところたくさん仕入れているトマトと玉ねぎを細かく刻んで出汁で煮込み、最後にできるだけ高い位置から流し入れると、糸のように細い卵がトマトを絡めとり、美しく仕上がる。


 明梓が「たくさん採れたんだ」と持参してきてくれたほうれん草は、シンプルなお浸しに。そのため、かつお節をたくさん削った。


 それぞれを味見して、香織はうなずく。


「うん、いい感じ! やっぱり忙しいときは照り焼きがお助けメニューね」


 前世でもパートがあって忙しい日は、爆安の鶏肉があれば必ず大量に買って、大量に照り焼きを作った。

 余ったら次の日のお弁当や、朝食のサンドイッチに利用できる。

 唐揚げよりも作るのがラクなのも、ピンチヒッターの理由だ。


「明日は照り焼き丼か、生地があまったら割包もまた楽しめるわね!」


 今日もお客さんに喜んでもらえますように、と香織はいつものように天に向かって手を合わせた。




――ところが。



「料理人・香織こうしょくをお呼びなさいっ!」


 

 ちょうど昼前、混雑のピークに向かってお客がどんどん入って来ている時間に、庭院にわにならんだ卓子の中央で声が上がった。


「今ちょいと忙しいんだよ。見ればわかるだろう」

 明梓めいしが苦々しい顔で言う。

「あたしももう少しで市場へ行かなきゃなんだ。香織は厨の中でてんてこ舞いだし、出てこられるはずがない。あんた、そういえば昨日も来ていたね。ここいらじゃ見ない顔だけど」


 明梓は目の前の少女を頭のてっぺんからつま先までまじまじと見た。

 襦裙を着ているが仕立てのよい絹の襦裙、なぜか頭から被った赤い頭巾も絹。明らかに高い地位にある者だとわかる。

 そして整った顔立ちには、香織を初めてみたときと同じように驚いた。

 明梓は大げさに肩をすくめる。


「どこのお金持ちか知らないが、こういう庶民の食堂は客の文句をいちいち聞いているヒマはないんだよ、悪いけど」


 すると美少女は不敵な笑みを浮かべてさらに声を張り上げた。


「あーら、お金を取るのに、お客の要望を聞き入れてないとおっしゃいますの? なんてあくどい店でしょう!」

「なんてあくどい店でしょう!」

「料理に虫が! 虫が入っているのに! 作った者がそれを確認に来ないなんて!」

「虫が入っているのに!」

「あたくしに虫の入った物を食べろと?!」

「虫の入った物など食べられるはずがございませんとも!!」


 美少女の隣にいる野ネズミのような小柄な女が一緒になって声を張り上げる。

 二人の掛け合いに周囲も気付いて、ざわつき始めた。


「虫?」

「虫だって?」

「えっ、料理に虫が入ってたって」


 周囲の様子を見て明梓はばりばりと頭をかく。

「あーもうっ、ちょっと黙りな! 虫なんて入っているわけがないだろう!」

「あら、ではごらんになる?」


 美少女は勝ち誇ったように汁椀を差し出す。

 明梓が椀を手に取ると、トマトと卵と一緒に、不気味な黒い大きな虫の足が飛び出していた。


「あんた! どういうつもりだい! あたしゃね、この食堂を香織がやってくれてからずっと来ているけど、こんな虫なんか入っていたことはないよ!」

「あーら、あたくしがワザと入れたとでも?」

「そうじゃなかったらなんなんだいっ!」

「調理人が出てこない上に過ちを認めず、あまつさえ客に罪をなすりつけるなんて、なんてひどい食堂なのかしら!」

「ひどうございますとも!」


 美少女の芝居がかったすすり泣きに、卓子についている客たちは、今しがた出された皿を不安そうに箸でつついている。


「あーっもうっ、こんなときに青嵐がいないなんて」

 いよいよ混んでくる客たちをかき分けて、明梓は厨をのぞいた。


「香織、ちょっと出られるかい?」

 香織は割包の生地を汗だくで蒸しているところだった。

「は、はい! どうかしましたか?」

「面倒な客がいてさ、汁に虫が入ってたって騒いでんだ。そんなはずないって言っても聞きゃしない。周囲に不安が広がらないように、出てってバシっと言ってやってくれるかい」

「わかりました」


 香織は手拭で汗をふきふき、庭院へ出ていく。

 人々を香織を見る目が微妙なのが瞬時にわかった。


 見れば、昨日の美少女が腰に手をあててこちらを睨んでいる。

「お待たせしました。今日も来てくださって、ありがとうございます」

 香織が頭を下げると、美少女が金切声をあげた。

「う、うるさいわねっ。別に来たくて来たわけじゃないのよっ。それなのにこれは何?!」


 美少女が突き出した汁椀から、黒い虫の足が飛び出している。


(えっ?! これって、これってまさか?!)


 香織は声を上げそうになるのを必死にこらえた。

 前世で死ぬほど嫌いだったGの付くアイツと、異世界でも会うことになるなんて。


(でも、おかしいわ)


 こちらに来て、香織は華老師の家ではもちろん、周辺でもゴキブリを見たことはない。いたら気付かないはずない。前世でも夏には常に目を光らせ、その不吉な黒い影を見かけたら速攻でジェットスプレーを噴射していた。


(飲食店と言える吉兆楼でも見たことないのに――)


 香織の思考は、再びの金切り越えに遮られた。


「皆さま! ごらんになって! こーんな巨大で邪悪な虫が入っているのに澄ましているなんて、料理人として失格ですわよね? こんな食堂で皆さま、食事をなさりたいの?!」


 卓子についている者も門から列を作っている人々も、顔を見合わせている。


(いけない、お客さんを不安にさせてしまうわ!)


 ここは本当にGが入っていたか否かではなく、ひとまず謝罪をしなくては。


「も、申しわけございま――」

「ちょっと待って!」


 よく通る声が、香織の謝罪を遮った。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る