第百四十九話 異世界で言えるようになった言葉
「えっと、包子の皮の仕込みはできてるでしょ、あとはトマトソースと小豆餡を作って……」
夕飯の後、厨で
「香織、なんか手伝えることない?」
二人は心配そうな顔で厨をのぞいてくる。
すると、二人の後ろから華老師も顔を出した。
「香織よ、ひとまず風呂にでも入ったらどうじゃ?」
「ありがとうございます、
香織は笑った。
「わたしのことはお気になさらず、華老師も小英も青嵐も、お風呂に入ってくださいね」
三人は顔を見合わせる。
「でも、吉兆楼から帰ってきて休む間もないまま夕飯作ってくれて、それでまた厨に立つって……また倒れるぞ」
「ああ。それに、おそうざい食堂の献立なら、そんなに焦って考えなくてもいいんじゃないのか?」
青嵐の言葉に、ドキリとする。
「わたし、焦ってるかな……?」
「ように見えるけど」
香織は大きく息を吐いた。
「そっか、そうだよね……」
落ち着いて、とは思っているが、試食会まであと三日しかない。
ピザまんは、トマトソースを微調整する。包子の皮は、おそうざい食堂のものも含めて常に仕込んでおく。
おにぎりも用意するつもりなので、新しい佃煮を作っておかなくては。
必要な食材・器材は王城で用意してくれるらしいが、いつも使っている包丁は持参したい。
などなど、考えることがたくさんありすぎて、気が急いていることは確かだ。
(それに……)
試食会の日は、早朝から王城入りするため、おそうざい食堂は休業にしなくてはならないだろう。
(食堂でお腹いっぱい食べて、心も身体も温まりたい、って願う人たちがたくさんいるのに、わたしの都合で急にお休みにするなんて……心苦しい)
何か妙案はないものだろうか――香織はずっと、悩んでいたのだ。
「香織、何か、わしらに隠していることがあるんじゃないのかのう?」
華老師の言葉にドキリとする。
「話してみてはどうじゃ? わしらでは力になれないかもしれんが、話してラクになることもあるもんじゃよ」
「そうだよ香織。俺たち、家族みたいなもんじゃないか」
「そうだ。香織は、困っている俺に手を差し伸べてくれたじゃないか。俺だって、香織が困っていたら助けたい」
華老師、小英、青嵐。
三人の顔を見て、微笑んで何か言葉を返さなくては、と思った瞬間、三人の顔がぐにゃり、とぼやけて見えた。
「こ、香織?!どうした?!」
小英と青嵐があわてて土間に下りてくる。
「あ、あれ……? ごめんねっ……」
香織はすぐに手拭で顔を押さえた。
気の利いたことを言えないばかりか、涙があふれてしまったのだ。
華老師も土間に下りてきて、そっと香織の肩に手を置いた。
「疲れておるんじゃな。よくがんばっておるよ、香織は。がんばりすぎじゃ」
「華老師……」
その言葉に、堰を切ったように涙が止まらなくなる。
華老師が、優しく背中を撫でてくれた。
「さ、ちと居間へ上がって話をしよう。小英、青嵐、白湯を用意してくれるかの」
「はい、老師」「わかりました」
二人はテキパキと白湯の支度をはじめ、香織は華老師と居間へ上がった。
「うう……ずびばぜん」
香織が涙を拭き、鼻をかむのを、華老師はただ微笑んでじっと見守ってくれた。
耀藍がいなくなって、料理人の話を持ち掛けられて。
「ちゃんとしなくちゃ」と、ここ最近、ずっと心に緊張の糸を張りつめていたかもしれない。
その糸を溶かすように、涙がとめどなくこぼれた。
小英と青嵐が白湯を持って来てくれる頃には、涙も止まって頭もスッキリしてきた香織は、
「実は……」
蔡紅蘭から伝えられた料理人選定の話を、三人にぽつぽつと語ったのだった。
「特使の料理人とは……それは重要な役割を仰せつかったものじゃのう」
「ま、まだわたしに決まったわけじゃないですけど……」
見事じゃのう、と唸る華老師の隣で、小英がニカっと笑う。
「でもさ、三日後の試食会で勝負するのは、香織ともう一人なんだろ? 確率的には選ばれる可能性は高いよな。すごいぜ、香織!」
「三日後か……王城へは、朝から行くんだろう?」
青嵐の言葉に、香織は頷く。
「うん。だから、食堂をどうしようって思っていて。お休みにしたら来てくれたお客さんに申しわけないな、って……」
しどろもどろに悩みの種を明かすと、小英が呆れたように言った。
「また香織は、人の心配ばっかりかよ。だから焦っていたんだな。そんなの、俺たちを頼ってくれよ」
「え……?」
「そうだぞ香織。 食堂を休むならそのことを事前にお客さんに知らせるし、営業するなら香織がいなくてもできる方法があると思うんだ。みんなで力を合わせよう。香織はどうしたい?」
「うむ。わしも微力ながら、何かできることがあるはずじゃ。ここは皆で乗り切ろう、香織」
「みんな……ありがとう」
香織は、頭を下げた。
「わたしに、力を貸してください」
前世ではとても言えなかった言葉が、自然と出てきた。
(ああ、今のわたしには、頼っていい人たちがいる……)
その事実は途方もなく心強く、香織の背中を押してくれた。
華老師、小英、青嵐の言葉にまた涙があふれつつも、香織は三日後の試食会に向けて、三人と話し合ったのだった。
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