第百三十七話 揺れる思考と強引な決定
蔡家当主代理
「いやあ、やっぱり紅蘭は美しいよね。殺伐とした議会が華やいだよね」
私室に戻るなり、
「おかげで保守派と穏健派の争い、って様相にならずにすんだよね」
「まあ、そうとも言えなくもないが……」
「空気が和らいだのは姉上の容姿がどうこうというより、あの有無を言わさぬ威圧感で相手を完全に論破するからであってだな」
「同じことさ。毅然とした強さは美しさと同義だよ、耀藍」
「確かに、蔡紅蘭殿はお見事でしたね」
「来期の予算の使い道も、今期の予算との比較でちゃんと穴を突いて質問していましたよね。財務長官もたじたじでした。次の芭帝国との会談についての質問も的確でしたし。おかげでそれぞれの派閥からの推薦料理人もすんなり決まりましたしね」
「まあ、うちの術師クンが挙動不審になったから、一瞬、場が白けたけどねぇ」
亮賢のジト目を見ないように耀藍は茶をすすり、半刻前のことを脳裏に思い返す。
♢
『我らは会談料理人に建安の
よく通る紅蘭の声は議場によく響き、その発言に議場はざわついた。
『聖厨師? なんだね、それは』
『巷で噂になっとる庶民向けの食堂の料理人らしい』
『なんだそれは。会談へ伴う料理人だぞ。ナメてるのか』
『まあいいじゃないか。これでこちらが圧勝なのは確定だ』
などと露骨にささやき合う保守派の貴族諸侯を横目に、紅蘭は不安そうな穏健派の貴族諸侯たちに向けて頷いてみせる。
『ご安心を。周明高様が評価している料理人です。わたくしもその料理人を少なからず存じておりますが、料理の腕は確かかと――』
『異議あり!!!』
王の隣で突然立ち上がった蔡術師に、議場はしん、となった。
『い、異議あり……その……香織、という人物を推薦するのは、止めたほうがいいと思う』
紅蘭はスッと目を細めて微笑んだ。
『なぜでしょうか。術師様』
『な、なぜって……』
『理由をお聞かせください』
そっくりな美貌で睨み合う姉弟を、人々は固唾を飲んで見守っている。
(香織の料理はもちろん美味い! 会談に出してなんら恥じることはないし、きっと香織なら工夫して会談に合う料理を作るだろう。だが香織には食堂もあるし吉兆楼の手伝いもあるし忙しいのだっ……などとはこの場で言えん……)
少し前に体調を崩した香織に、これ以上の負担をかけたくない。
耀藍が言い淀んでいると、
『術師様。香織という人物が町食堂の料理人であることを気にされているならば、御心配なく。我らは精査した上で、かの人物が適任と判断したのでございます。それとも……他に何か理由がおありで?』
穏やかな微笑みの中に探るような視線を向けてくる。
老獪な周明高に返す言葉もなく、耀藍はすごすごと着席したのだった。
議会の終了後、最後に席を立った紅蘭は、耀藍の元へやってきて『少し弟が懐かしくなりまして』などと王に微笑みかけ、鼻の下を伸ばしている王の隣から耀藍を議場の隅へ引っぱっていった。
二人きりになるなりさっきの妖艶な笑みはどこへやら、紅蘭はキッと耀藍を睨みつけて凄んだ。
『そなた、香織と顔を合わせるのがつらいのか?』
『そ、それは……』
図星だった。
香織の身体も心配だが、耀藍は香織に平常心で会う自信が無い。
紅蘭は溜息をついた。
『まったく情けない……香織は潔く引き受けてくれたぞ』
『姉上、香織に会ったんですか?!』
『あの娘もつらそうであったが、任務の重大さを考えて自分で力になるならと言うてくれたのだ。あっぱれな娘じゃ。そなたも術師であれば腹をくくれ。あの娘に恥じぬようにな』
紅蘭に睨まれて、耀藍は返す言葉もなかったのだった。
♢
(姉上はやはり痛いところ突く)
ああ言われては、耀藍も腹をくくるしかない。
(まずは試食会か……直接話もできず、同じ空間にいるだけなど……耐えられるだろうか。いや、耐えなくては。そう、それに香織にとってはこれは絶好の機会となるかもしれぬ)
試食会の対決相手は建安一の高級料亭・桃源の主だ。
もし勝って会談料理人になれば、おそうざい食堂評判はもっと上がるだろう。香織の料理人としての名声も上がるにちがいない。
(だが、香織はそんなことを望んでいるのだろうか)
人々がお腹いっぱいになるのを見てうれしそうに笑う香織の姿を思い出すと、やはりいささか不安になる。
自分は反対できる立場にある。今からでも穏健派の推薦料理人を却下しましょうと王に進言できる。
しかし、それは政と私情と混同することになる。
「耀藍? どうかした?」
「いや……べつに」
「なんだよ、歯切れが悪いなぁ」
亮賢は笑って、茶器を置いた。
「そういえば紅蘭が言っていた穏健派の推薦料理人。たしか、香織といったかな。聖厨師って噂されている人物だよね?」
「はい。建安の下町で庶民向けの食堂を営んでいるらしいです。保守派の推した料理人は建安一の高級料亭・桃源の主なので貴族諸侯たちも知っていますが、香織という人物については謎が多いですね」
「ふうん。気になるな。鴻樹、ちょっと偵察してきてよ」
「そうですね。では至急その食堂に行ってみましょう……って耀藍殿?!」
盛大にお茶を吹き出した耀藍に鴻樹は驚き、亮賢は眉をしかめる。
「またやってる……汚いよ耀藍。小さい子じゃないんだから毎日お茶を吐き出さないでよ」
「耀藍殿、今の話の中に何か不適切な要素でも……?」
のぞきこむ二人に耀藍は引きつった笑いを返す。
「す、すまぬ、近頃むせやすくて。ごほっ、咳が。ごほっ」
「大丈夫ですか? お風邪でもひいたのでは」
「なんだ耀藍、体調悪いなら言ってよ。 あ、そうだ!」
最高にいいことを思いついたというふうに、亮賢が目を輝かせた。
「蔡家がひいきにしている華医師は、たしか下町にお住まいなんだよね。鴻樹の食堂偵察に一緒に行って、ついでに華老師のところで薬を処方してもらってきなよ」
「なっ?! 華老師のところって……い、いいから! オレは元気だから!! 断じて必要ないから!!」
「いや、疲労の蓄積が大病の元だからね。余はまだ若いし治世は長いから、耀藍にも元気でいてもらわないと。てことで鴻樹、耀藍を一緒に連れていってくれる?」
「おい亮賢! 勝手に決めるな! オレはだいじょうぶだからっ!!」
「もう、こうやって意地になるときの耀藍はぜったい無理してるから。鴻樹、ぜったい連れて行ってね」
「かしこまりました。ではすぐに日程を決めましょう」
「おいっ」
「そうだね、じゃあ……明日かあさってには行ってきてよ」
「御意」
「オレを無視するなーっ」
――耀藍の叫びはさらりと無視された。
こうして強引な二人に勧めにより、耀藍は食堂偵察と華老師の家へ行くことになったのだった。
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