第百四十 ピザまんの理由と迫る影


「おはよう、青嵐せいらん。なんか、いい匂いしねえか?」

「おう、おはよう小英しょうえい。だよな、嗅いだことあるようなないような、でもすごくいい匂だ」


 顔を洗い終わった二人が匂いをたどって厨に行くと、華老師かせんせい香織こうしょくがいた。


「あれっ、華老師。それ、羅勒らろくじゃないですか」


 華老師は乾燥させた草の束を香織に渡していた。


「香織。まさかそれ、料理に使うのか?」

「ええ、そうよ」

「えっ?!」


 驚く小英の目の前で、香織は乾燥した羅勒の束から葉をちぎり、まな板の上で細かく刻んで鍋に入れている。

 その鍋は、小英と青嵐を厨へ呼び寄せた匂いの大元だった。


「ちょっと待った、香織! 羅勒は口内炎の薬を煎じるのに使うんだぞ? そんな美味そうなものの中に入れるのは、ちょっと……」


 小英はあわてて鍋に近付き、「あれ?」と首を傾げた。


「なんか、なんていうか羅勒の匂いなはずなのに食欲をそそるっていうか……」

「羅勒の香りが混ざって、いい匂いでしょ?」

 にっこりした香織に、小英は頷く。

「うん、さっきからこの鍋からいい匂いしてると思ってたけど、さらに美味そうな匂いになった。なんでだ?」


 信じられない、という顔で、小英は鍋をのぞいている。青嵐も小英の後ろから鍋をのぞいた。


「ところで香織、この鍋の中はなんだ? スープか?」

「これはね、トマトソースっていうの。調味料の一種ね」

「とまとそーす?」

「新しく考えた料理に使うのよ」

、ってことなんだけど……)




 試食会に『ピザまん』を思いついたのは、羊剛ようごうの話を聞いてからだった。


 羊剛の話では、試食会は呉陽国と芭帝国の中間地域である、マニ族の集落で行われる。

「慣れない山奥に集まるって、なんだか遠足みたいね」


 そこで最初は、おにぎりが適切かと思った。

 この世界の人々はおにぎりをとても気に入ってくれる。

 そして香織の中で、遠足といえばおにぎりだ。


「でも、それだけじゃ会談で交渉するために食べてもらう物としては、インパクトが弱いかも」


 紅蘭の話によれば、『民の豊かな食生活を取り戻すためには商人や隊商の保護が必要であることを訴え、更に新しい食材の誘致を行いたい』というのが特使の——李鴻樹と耀藍の狙いだ。


「呉陽国の民にも芭帝国の民にも馴染みがあり、商人や隊商の保護にもつながり、会談の場である山奥でも食べやすく、みんなが納得する美味しいもの、か……あっ!」


 香織は、羊剛の話を思い出す。

 寒冷な気候の芭帝国の民にとって、夏野菜はごちそうだと。


「夏野菜が貴重ということは、それを保存した食べ物もあるはずよね」


 前世で言えば、例えばキュウリやナスの漬物とか。


「もしかして、トマトソースみたいな物も、あるかも……?」


 この異世界は、呉陽国にしても芭帝国にしても、中国風だ。

 前世でも、中国の人はトマトに火を通して食べるのが一般的だと聞いたことがある。

「トマトソースを使っておにぎりみたいに野外でも手軽に食べられて……って、ピザまんだわ!」


 そう、包子だ。

 ちょうど、試作品を何度か作っていた。にくまんと、中村屋の餡を再現したあんまんは辛好や胡蝶に「商品として店で出せる」と合格をもらっている。

 そして、呉陽国では包子はお祝いの席で食べられる物だとも聞いている。


「TPOに合っていて、しかも美味しい。それに、乾酪を入れればマニ族の人も気に入ってくれるかも」



 呉陽国、芭帝国、マニ族。そこに会する人々の国の「美味しい」をぎゅっと詰められる食べ物。それが『ピザまん』ではないか――香織は、そう考えたのだった。



 そこでトマトソースを作るために、まずトマトケチャップを作った。


 前世、COOKPOTでマヨネーズと共に、ケチャップの作り方も検索したことがあったので、ぼんやりと覚えているレシピを頼りに作ってみた。

 材料はいたってシンプルで、トマトと砂糖、酢、赤唐辛子、シナモンやローリエ、すりおろした玉ねぎやニンニク。

 どれもすぐに厨にある物ばかり。シナモンやローリエを除いて。

 しかし。


「シナモンって、確か漢方薬に使われていたわよね」

 前世、子どもたちに飲ませる薬をいろいろと調べていたときに、漢方というのは生薬といって、様々な薬草をブレンドして作るもので、ケミカルな薬より身体に優しいと聞き、小児科で処方してもらったことがあった。


「ローリエは月桂樹の葉で、これも漢方薬に使われていたわ。あと、トマトソースにはバジルよね。バジルも確か薬効があったはず」


 これらのトマトケチャップやトマトソースに欠かせないハーブは、きっと薬草部屋にあるにちがいない——そう考えた香織は、早朝、ダメ元で華老師に聞き、なんと予想通り、すべて必要なハーブを揃えることができたのだった。



 バジルはこちらでは「羅勒らろく」というそうで、香織の説明を聞いた華老師が薬草部屋から探して持ってきてくれたのだった。



 香織は、包子の皮だけを小さいパンケーキの形に蒸した物に、小さく切った乾酪とできたてアツアツのトマトソースを乗せて小英と青嵐と華老師に渡した。


「美味い! 今まで食べたトマトの料理に似てるけどなんか違う、初めての美味さだ!」

 小英が歓声を上げた。

「乾酪とこのトマトソースってやつがすごいよく合う!」

 青嵐も頷く。

「ふむ、酸味とちょっとの辛味、それとやはり桂皮や月桂樹、それと羅勒の香りが絶妙に混ざり合って美味しさを引き立てておる。薬草がこんなに料理に影響するとは、不思議なものじゃのう」

 華老師も薬草と料理の妙に驚いている。


「よし! ピザまんでいけるかも!」

 三人の反応を見て、香織が試食会への自信をつけていた――その頃。




 建安の都の北西部、大商人・栄元の屋敷の客用離れで、若い美男美女が密談していた。




「医師・華元化かげんかの家に手伝いで入る、という手は使えないと思ったの」


 女は涼やかに整った顔をわずかにしかめた。


「華元化という人物は、王城で王家の侍医も務めていたことがあるという。それで今は評判の町医者。細かい事情はわからないけれど、かなり聡い人物だと予想するわ。女色に惑うどころか、こちらが疑われかねない」

「なるほど、それで吉兆楼か」


 女と差し向かいで籐椅子に座った、やはり涼やかな顔立ちの美丈夫が口の端を上げる。


「ならば、食堂へは俺が行こう。おまえは吉兆楼から、俺は食堂から。香織という女にもらおうではないか」

洸燕こうえん、無茶をしないで。下手したら我らの身が危うい」

「大丈夫さ。俺が小娘を落とすのが得意なの、知ってるだろう」

「バレたら呉陽国の追手もかかるんだよ。そうなったら、芭帝国に見捨てられるかもしれない」

「大きな宝を手に入れるには多少の危険は伴うだろう、冷葉?」

「だが」

「あの容姿、踊り筋。あの娘が麗月であることはほぼ間違いないのだ。首元の刺青いれずみさえ確認できればいい。そうすれば、どのような言い訳をしようとも後宮に連れ戻すことは可能だ。皇太子殿下は麗月を所望している。麗月が間諜であったとしても、不問に伏すというお言葉だったじゃないか」

「それはそうだが……」

「いいか冷葉。この内乱で、有力だった皇太子妃の一族が滅んだ。皇太子殿下の寵を得る者が次の朝廷の権力者となりうる絶好機だ。麗月は後ろ盾がない。麗月を皇太子殿下に奉じれば、我らの地位も上がるというものだ」

 視線を迷わせていた冷葉は、すがるように洸燕を見つめた。

「そうすれば、あたしたちの一座も、宮廷楽団として後宮で雇ってもらえる? そうしたらもう、あてもなく放浪しなくていいの? 兄さん?」


 泣きそうにも見えるほどに必死な妹の肩に、洸燕は優しく手を乗せた。


「ああ。殿下はそう約束してくださった。この仕事が終われば、放浪の一座で各地を巡り、間諜として働くのも最後だと」

 その言葉に、冷葉はぎゅっと唇をかむ。

「……わかった。必ず、麗月リーユエを捕えて帰ろう、兄さん」


 美しい兄と妹は固く手を握り合い、うなずき合った。

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