第百三十九話 試食会の主献立は
揚げ鍋にたっぷりの油で唐揚げを作った。
ごま油を揚げ油全体の五分の一プラスする。それは前世で
じゅわ、ぷつぱち、じゅわじゅわ。香織は唐揚げを揚げているときのこの音が好きだ。
卵を絡めた衣をプラスごま油の揚げ油でカラリと揚げていく。
前世で言えばわっぱのような木製の容器にゆで卵、蒸したキャベツと一緒に詰めて、作り立てのマヨネーズを添えた。
マニ族の塩で握ったおにぎりも忘れない。
「おうおう、今日はなんだかご馳走だな。この白いモノは初めて見るぜ。なんだ、こりゃ」
「それはマヨネーズというんです。野菜やゆで卵に付けて食べてみてください」
香織が言うと、さっそく羊剛はたっぷりのマヨネーズを蒸しキャベツですくって口に運んだ。
「美味い!」
羊剛は大きな顔の中で小さな黒目がちの目を輝かせた。
「マヨネーズっていったか。初めて食べるぞこんな美味いもの。芭帝国の食い物なのか?」
「い、いえ、それはわたしが思い付きで作った物なんです」
前世の記憶を頼りに、とは言えないので聞かれたらこう答えることにしていた。
「さっすが
グルメな羊剛は早くも『唐揚げ+マヨネーズ』の黄金コンビに気が付いている。
香織の作ってきた弁当をホクホクと食べる羊剛に、香織は切り出した。
「あの、羊剛さん。芭帝国の人々や山の民の方々が好きな食べ物って、なんでしょうか?」
芭帝国人だと思われている香織だが、そして
蔡紅蘭の属する議会穏健派を優位にさせるには、香織が会談料理人に選ばれ必要がある。
試食会には実際に会談で供する献立を出すらしいのだが、何を作っていいのか香織にはまったく見当がつかずに困ってしまったのだ。
異世界でおそうざい食堂を営むようになってから、人々の疲れた心や体を温めたいという一心で料理をしてきた。
しかし今回は、料理で勝負しなくてはならない。
勝つために何を作るか。そう考えたときに、香織は頭の中が真っ白になってしまった。前世も含めて今まで、そういう視点で料理をしてきたことがなかったからだ。
芭帝国まで商いに行っていて山の民のことにも詳しい羊剛なら、いろいろな食べ物を知っているだろう。
それで、香織は羊剛にリサーチしに来たのだ。
「そうだなぁ」
唐揚げ、ゆで卵、マヨネーズのループが止まらない羊剛は、口をもぐもぐさせながらも思案する。
「芭帝国人は辛い物がわりと好みだな。激辛ってわけじゃなく、ちょっとピリッとくるくらいの。呉陽国に比べて気候が寒冷だからかもしれんな。御馳走といえば、肉よりは魚が珍重される。味の問題というより、都に近い内陸部じゃ魚は珍しいからな。あとは夏野菜をありがたがる。きゅうりやトマトは人気野菜だが芭帝国じゃ短い夏にしか食べられないからな。山の民はなんといっても乾酪が好物だし御馳走だ」
「なるほど」
端的な羊剛の説明に、香織はふむふむと頷きながらメモを取っていく。
「まあ、芭帝国と山の民、呉陽国はタテに連なっていて交易も昔から盛んだから似た料理も多いし、住んでいる人間の食べ物の好みも似ているって印象だけどな。お、今日のおにぎりはマニ族の塩を使ってるな?」
羊剛は唐揚げと一緒におにぎりをひとつ、あっという間に平らげると竹筒から水を飲んだ。
「そうそう、今日はマニからも多めに塩を仕入れられたから、持っていってくれ」
「えっ、うれしいです! ちょうどおそうざい食堂と吉兆楼と、両方に買っていきたいと思っていたので!」
「へへ、とっておきの塩もあるんだぜ」
羊剛は水を飲みながら店の奥へ行き、小さめの塩袋を一つ抱えてきた。特殊な草で編んである、マニ族の塩袋だ。
「今回はな、止まっていた塩鉱の道が開いたんで、この前は入手できなかった『銀の塩』が手に入ったんだ」
袋をのぞくと、きらきらと光る粒が見える。まるで水晶の粒のようだ。
「きれい! こんな塩初めて見ます!」
前世なら、インスタ映えすることまちがいなしの見た目。塩というより宝石だ。
「だろ? 味も保証する。もちろんおにぎりにも合う。『銀の塩』は見た目も美しいから、皇帝御用達でな。直接皇城に運び入れることを許されているくらいなんだ」
「すごいですね」
「おう。ただ、塩鉱がかなり山の深い場所にあって、マニ族をはじめ、三つの部族で管理している。道が険しいから採掘もむずかしくて少量しか採掘できないのが難だが、皇帝からは特別な値で買い上げてもらえるし、芭帝国では貴族にも相当高値で売れるんで、各部族貴重な収入源になっているんだが……ここ数か月、仕入れることができなかった」
「もしかして、芭帝国の内乱の影響ですか?」
「ああ。山賊化した芭帝国の兵たちが塩鉱の道をふさいでしまってな。往来ができなくなった。それがついこの前、芭帝国の正規兵が差し向けられて一気に山賊を掃討して、道を通れるようにしてくれたんだぜ。それもこれも俺たち商人の救世主、
いきなり耀藍の名が出てきて、香織は心臓が口から飛び出しそうになる。
「よ、耀藍様が……?」
「おう。芭帝国が動いたのは、呉陽国の特使と緊急会談をやったからだって聞いている。その会談の特使ってのが、新進気鋭の宰相・
「い、いえ、目にゴミが入ってしまって」
香織はあわてて袖で目元を拭ってごまかした。
(耀藍様……)
きっと耀藍は、香織のためにがんばってくれている。
それが、痛いほど伝わってきた。
一緒に市場に行くたびに、商品があまり並んでいない店を見ては耀藍とよく話をした。もっと安く食材が手には入れば、もっと人々にいろいろな物を作ってあげられるのに。耀藍は、香織の話に真剣に耳をかたむけてくれていた。
(もしかしたら、耀藍様が二十歳を待たずに入城したのは、このため……?)
交易の道を守るために。
再びたくさんの食材が行き交う世界にするために。
そう思うとまた視界がにじんで香織はあわてて目をしばたく。
「まあそんなわけで、俺ら商人の間じゃ、この頃は耀藍様を救世主って呼んでんだ」
羊剛は平らげたお弁当の蓋を丁寧に閉じた。
「そうだったんですね……」
(耀藍様、ありがとうございます……!)
香織は、がんばろう、と思った。
試食会で耀藍に再会するのは正直つらいと思っている。ふさがりかけた傷口はまた開いてしまうだろう。
けれど。
香織が用意した料理で会談が円滑に進み、それが少しでも耀藍の助けになるなら。
(試食会、勝ってみせる……必ず!)
♢
羊剛のところから帰宅した香織は、心配する華老師と小英と青嵐に「まだ何のためのどんな料理かは内緒だけど、新しい献立を考えているから!」と笑顔で答えて安心させ、一晩中厨に立ち続けた。
羊剛がくれたアドバイスをもとに献立をいくつも考え、この世界にきてからのことに思いを馳せる。
そこに、前世での主婦としての知恵を加えた。
空が白み始める頃、夜通し美味しそうな匂いがたちこめ続けた厨で、香織は満足そうにうなずいた。
「うん、やっぱりこれにしよう」
こうして、試食会の主献立は『ピザまん』に決まった。
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