第百三十話 マヨネーズの魔力と意外な訪問者


 マヨネーズはまたたく間に、おそうざい食堂の人気献立になった。


「このマヨネーズっていうやつ、まろやかさなのにサラっと食べられてクセになるな。おかわり!」

「これを付けるとこどもたちが野菜をたくさん食べてくれるのよね。おかわりしたいわ!」

「今日の献立の鶏肉と蓮根の煮物にも合う! 野菜に付ける分がなくなっちゃった……おかわりしたい!」


 おそうざい食堂で献立として提供してから数日、おかわりコールが絶えない。

 そのたびに、香織は厨から出てきて頭を下げた。


「すみません、今日はもう完売してしまって。また明日、出せるようにたくさん作りますね」


 昨夜は香織が作った鉢に加え、大きな鉢を一つ、小英と青嵐にお願いして作ってもらったが、きれいになくなった。


「マヨネーズを配る量を、もっと多くしたらどうだろう? 一つの卓子に鉢を一つ置いて好きなだけ取ってもらうとか」

 食堂を終え、片付けながら青嵐が言った。

 今は、小さいココット皿のような器に一人分の量を入れて出している。

「マヨネーズを好きなだけ取れるなんて、いいよな」

 青嵐はマヨネーズにすっかりハマっているため、夢見るような顔で言う。

 しかし香織は首を振った。

「マヨネーズは油と塩が多いでしょう。だから食べ過ぎると身体によくないの。今の提供量で様子をみたほうがいいと思うわ」

「そっか。香織がそう言うなら、俺もお客さんにもそう言っておくよ」

 青嵐は少し残念そうだったが、頷いた。


(マヨネーズってやっぱり魔力があるわよね)

 前世でもマヨラーという言葉があったほど、マヨネーズにハマる人は多い。

 作ってよかったと思う反面、お客さんの健康も考えて出さなくては、と気持ちを引き締める。


「おかわりコールに答えらるように、作る量をあと一鉢、二鉢分増やそうかな。少量なら健康にも影響はないと思うし、お客さんの希望にも応えられるし。ある程度作り置きもできるから、卵をもう少し多く仕入れて……」

 洗い物をしながらぶつぶつ呟いていると、横から青嵐が手を伸ばした。


「香織、代わるよ。市場に行くんだろ。今日は吉兆楼が休みだから」

「あ、そうだったわね」


 最近は、吉兆楼が休みの日は必ず市場に行くようにしていた。

 おそうざい食堂の器や食材を充実させる目的もあるが、家でぼんやりしていたくない。

 一人でいると、日常のあちこちに耀藍の影が残っていることを思い出してしまって、つらい。

 だから夕飯の支度の時間まで市場に出ている。


「早めに行って、たまには自分の衣装や簪とかも見たらどうだ? 香織は、その……けっこう、美人なんだからさ。もっと着飾ったらいいと思う」

 顔を赤らめて青嵐が言う。

 童らしい気の遣い方が可愛いが、大人のような言い草だ。香織は胸が温かくなって、ふふ、と笑った。

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらうね」

 最近、小英や青嵐が香織に気を使ってくれている。二人なりに、耀藍がいなくなったことで香織に気を使ってくれているようだった。

 43歳主婦の前世では人の言葉に甘えることがなかなかできずにいたが、この異世界ではそれができるようになっていた。

 それはこの異世界で、たくさんの人々が香織を助けてくれたおかげだ。助けてもらったお礼に、人々のために心をこめてお惣菜を作る。そういう良い循環ができている。


「青嵐、お夕飯は何が食べたい?」

 香織が聞くと、青嵐は少し考えてから言った。

「マヨネーズをたっぷりかけた蒸し野菜、かな」


 香織は苦笑する。野菜を食べてくれるのは嬉しいが、青嵐はすっかりマヨラーになりつつある。


「それはダメ。朝食べたでしょ」

「ちぇ」

「そうね、お昼が鶏肉だったから、豚肉を見てくるわね。角煮とか、叉焼チャーシューとか、好きでしょう?」


 やった!と喜ぶ青嵐に手を振って、香織は華老師かせんせい宅の門を出た。




 しばらくして、香織こうしょくはふと足を止めた。


(誰かが後ろからついてきてる)


 この麗月リーユエという美少女に転生してからというもの、勘や耳が鋭くなっていた。

 初めて耀藍に会った頃、前から歩いてくる母娘の会話が聞こえて、その地獄耳を「普通のヒトじゃないでしょ」と耀藍に指摘されたこともある。

 かなり離れたところにいるその誰かの気配が、背中にはっきりと感じられた。


 香織が止まれば止まる。ゆっくり進めばゆっくり進む。足早に歩くと相手も速度を速める。

 香織はそのまま早足で歩き、小走りになった。相手も合わせてついてくる。

 南北目抜き通りの路地を、香織はふっと左に入った。相手があわてて追ってくるのがわかった。

(あまり尾行とかに慣れてない人なのかも)

 そう思った香織は、勇気を出して路地に立ちふさがり、相手を待ち構えた。


「わたしに何か御用ですか?」

「!」


 路地に入ってすぐ、香織に正面から問われて、追いついてきた人影はその場に固まった。

 女性だ。深い青の地味な、しかし上等な襦裙に、黒い頭巾を目深まぶかに被っている。

 たっぷり一拍向かい合ってから、観念したのか相手は頭巾を取った。

 香織は大きく目を見開く。


「あなたは……」

「お久しぶりです、香織様」


 以前、蔡紅蘭にスパイ疑惑で呼びつけられたとき、蔡家の屋敷で案内をしてくれた女性だ。梅に赤紫蘇なんて使うわけがない、と冷たく一蹴された覚えがある。

 蔡紅蘭の侍女で、確か名を雹杏ひょうあんといった。


「あやしいことをして、申しわけございません。主から、香織様の行動を邪魔しないようにお声がけするように言われましたので」

「紅蘭様が? わたしに?」

「はい。尾行が露見してしまいましたので申し上げます。香織様、私と一緒に当屋敷までお越しいただけないでしょうか」

「え、今ですか?」

「はい。できれば」


 雹杏は唇を固く引き結び、足元を見つめている。

 その様子を見て、香織は頷いた。


「わかりました。御一緒します」

「えっ」


 雹杏は顔を上げた。「よろしいのですか?」

「はい」


 おそらく、なにか事情があるのだろう。ここでは話せない事情が。


「ありがとうございます」

 雹杏は深く拱手した。

「主もお待ち申し上げております。さあ、参りましょう」


 先に立って歩き出した雹杏に、香織はついていった。







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