第百二十七話 耀藍、奔走する


 建安の都、王城。

 その最奥にある、王の私室。

 そこには、三人の青年が大きな大理石の卓子を囲んでいた。


 三人の青年とは、呉陽国王・亮賢りょうけん、亮賢の側近で新たな宰相として就任した・李鴻樹。りこうき

 そして、異能により王に生涯仕える術師・蔡耀藍さいようらんである。



「まあ、議会の居心地の悪さは想像はしていたが……」


 耀藍は、長椅子にもたれて高い天井を見上げた。


「想像以上に風当たりが厳しいな。亮賢、おまえの人徳が無いせいじゃないか?」


 王に向かって「人徳が無い」などと言えるのは、耀藍が亮賢と幼馴染だから。しかも、王の私室で三人きりだからこそと言える。

 他の臣がいるところでこんなことを聞かれれば即刻「不敬罪だ」と糾弾されてしまいそうなほど、耀藍に対する貴族諸侯の態度は冷ややかだった。


「イヤなこと言うなあ。少なくとも耀藍よりはあるんじゃないかなあ、人徳」


 言われた亮賢は、少しもイヤだという表情をせず、むしろ楽しんでいるかのような笑みを湛えて茶器に口を付けた。


「まあ、芭帝国との交渉の内容に大きな反対が出なかっただけでも今日の収穫としましょう」


 いつもながら穏やかに言ったのは鴻樹だ。


 耀藍は入城の儀式後、鴻樹と共にすぐに国境へ騎獣を走らせ、マニ族の集落の片隅で芭帝国の特使と会談した。

 その内容を今日の議会で報告した。

 それは同時に、王の生涯の側近、術師・蔡耀藍の政界初お披露目にもなった。


「鴻樹の言う通りだな。余はもっとキビシイ議会になるかと思ってた。楊氏あたりが根回しして全員で耀藍を無視とか」

「亮賢様、いくら楊氏でもそんなこどもみたいなことはしないのでは」

 すかさず耀藍が身を乗り出した。

「いや鴻樹。しかねないぞ、楊氏なら。何しろ、ものすごいケチだからな。庭院にわに何本も立派な柿の木があってたくさん実をつけるのに、まったく近所におすそ分けしないのだぞ」

「ああ、そういえば、耀藍ちは楊氏の邸とご近所だったねえ」

「あんなのはご近所さんとは呼ばぬ。周家と我が家のような関係をご近所さんというのだ。我が家は周家に銀杏も梅もおすそ分けするし、周家は李や枇杷をくれる。それなのになんで楊家は柿をおすそ分けしないのだ。あんなにたくさんあるのに」

「……耀藍殿はつまり、ただ柿が食べたいんですね」

「まあそれはそれとして、有力な貴族諸侯が多い派閥をまとめているのは大貴族七家筆頭の楊氏だからね。その楊氏が芭帝国との交渉内容に口を出さなかった。これは、議会で承認されたも同じだ。じゅうぶんな収穫と言えるよ」

 亮賢の言葉に、耀藍はきょとん、とする。

「え? そうなのか? 引き続き議会に報告するように言われたから、承認は保留だと思ったのだが」

「議会は時にカタチだけってことも政の世界ではあるんだよ、耀藍。引き続き報告しろっていうのは、耀藍と鴻樹がもぎとってくれた交渉の成果が、素晴らしかったということだ。君たちは余の優秀な補佐として認められたってことさ」

「……議場の外であからさまに陰口を言われていたが?」



 会議の合間の休憩中、外の空気を吸いに回廊へ出てみれば、ひそひそと袖で口元を隠した視線が耀藍に集まる。「あんな若造に何ができる」「蔡家の放蕩息子じゃないか」「場違いな」というささやきがあちらこちらで聞こえた。


「いいじゃないか。耀藍だって、べつに楊氏たちのようなオジサマたちと仲良くしたいわけじゃないだろ」

「それはそうだが」

「それに、君に好意的な者たちもいる。楊氏の派閥よりは小さいけれど、周氏を筆頭とする派閥とかさ」


 周氏は蔡家のとなりに住む大貴族のひとつであり、家族ぐるみで仲良くしている。

 その周氏の当主は、耀藍や姉の紅蘭が小さい頃から優しくしてくれる隣のオジサンだが、議会においては穏健派の派閥の長だ。


「ま、いずれにせよ議会で仲良しごっこをやるわけじゃあないから、居心地が多少悪いのは我慢しなよ。あ、そういえばさ――」



 亮賢は話し続けているが、耀藍は置いてあった茶菓子を食べつつ、ああ香織こうしょくの作る甘めの卵焼きが食べたいなあとぼんやり考えていた。

 きっと香織は、菓子を作るのも上手だろう。そういえば包子パオズを作りたいと言っていたな。だけど小麦粉が高いと言っていたっけ。どうしただろうか。


 茶を一口飲んで、天井を見上げる。


 そう、多少のことは覚悟の上だ。


 一日も早く、国境の安全が確保され、商人や隊商が円滑に往来できるようになるなら、議会の居心地が悪かろうと万が一暗殺を仕掛けられようとも、本望だ。


 香織が安心して食材を集められる世にするためなら、なんだってする。


 その一心で、早めの入城を果たしたのだから。



 その情熱も手伝って、先日の会談では芭帝国に国境の安全保障に取り組むことを約束させたのだ。

 耀藍が特使の鴻樹と共に会談に臨んだのは、姉・紅蘭によれば「抑止力」。

 特使と共に、国境付近の紛争解決および保障条約を結べるよう尽力し、芭帝国がごねるようなら、術を使って山を崩し川をせき止め、嵐を起こすことも辞さないことを伝えて芭帝国との戦を防ぐ「抑止力」となることだった。

 しかし、芭帝国は予想以上に長引く内乱に疲れきっているようだった。あちらの特使の様子が、それをありありと物語っていた。


 だから耀藍が術師として「抑止力」となる必要もなく、会談はいたって平和的に進んだのだ。


 微調整は今後も必要だが、さっそく国境付近に居ついている脱走兵を収拾することで先日の会談は終了した。

 それだけでも、商人や隊商の被害はかなり減る。物の流れが盛り返してくるきっかけに充分なるだろう。

 次はもっと具体的に、国境の安全策を提案しよう。ついでに、新しい食材を運んできそうな商人の誘致も行う。



「――香織、待っててくれ。香織が思う存分料理ができるよう、呉陽国にたくさんの食材が行き交うようにするから」

「え? 何だって? なんか言ったかい、耀藍」

「い、いや、なんでもない。亮賢こそ、何か言いかけていなかったか」

「なんだ、聞いてなかったのか。どおりで反応薄いと思った。君がぜったいに食いつく話題だと思ったのに、ヘンだと思ってたんだよ」

「オレが食いつく話題?」


 そんなものは香織の話題しかないが、まさか亮賢が香織のことを知るはずもないしな、などと思って耀藍は茶をすする。


「君の綺麗なお姉さんのこと。蔡家当主代理の蔡紅蘭、次の議会から出席するらしいよ」

「ぶはっ」


 盛大にお茶を吹いた耀藍に、亮賢が眉をひそめた。


「きたないなぁ、お姉さんに言いつけるよ?」

「おまえが変な冗談言うからだろうがっ!」

「冗談じゃないってば。蔡家は当主が病でこのところ議会は欠席していたけど、当主代理でも余が許すなら出席させてほしいって書状が届いてね。君のお姉さんは字も文章も上手いねえ。見事な書状だったよ。君たち本当に同じ屋根の下で育ったの? 小さい頃の記憶だけど絶世の美女だよね、君のお姉さん。まだ独り身でしょ? あれで性格さえもっと柔らかかったらぜひ余の後宮に入ってもらいたいところだけど……って聞いてる耀藍?」


 耀藍は亮賢の話をやっぱり途中から聞いていなかった、というか耳に入らなかった。


「姉上が議会に出席?!」


 ぜったいダメ出しされる。

 嫌な予感しかしない耀藍は、頭を抱えた。


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