第百二十四話【二章最終話】 術師と聖厨師


 夕刻。

 吉兆楼の最上階の座敷に、建安の大商人が集まっていた。


 小物から馬まで扱わない物は無いと言われる『魯商会』の会長、魯達ろたつ

 遠く西域や芭帝国より糸から生地、絹から木綿まで手広く扱う『栄屋』の 

老翁、栄元えいげん

 芭帝国や山の民などから山海のさまざまな塩を仕入れ、宮廷から正式な証書も発行されている塩商人の羊剛ようごう


 定期的に開かれる情報交換も兼ねての酒宴だが、今日の話題は商いのことではなかった。



「術師の入城行列は、見事だったな」

 魯達が専用の大杯を干した。

「さすがは王が外交の切り札にしようという御方の入城だったな。それとも、術師の入城ってのは毎回ああなのかい、栄元」


 魯達とは対照的に、小さな金杯で小鳥のように美酒を楽しむ栄元が細い首を傾げた。

「むう、前の術師の入城行列を見たのは、わしがまだほんの童の頃だったがのう。もちろん立派な行列じゃったが、今回の行列のほうが豪華絢爛じゃったのう」


「ふうん……術師ってのは王が国の大地図の前で金の矢を放ち、それが落ちたところに遣いが出向いて召喚されるとガキの頃から聞いていたが、実は大貴族五家のひとつ、蔡家から代々輩出されるって話もある。実際、今回の術師は蔡家の御曹司なんだろ、羊剛?」

「ああ、間違いねえ」


 羊剛は美味そうに酒杯に口をつけた。


「俺はちっと安心したぜ。術師なんざ怪しいもんだと思っていたが、耀藍様なら、きっと国境のことをうまく計らってくれるだろうよ。きっと呉陽国の商いの未来を守ってくれるだろう。塩の味をわかってくれる御仁は仕事がデキる。間違いねえ」

「おまえは相変わらず塩のことしか頭にねえ奴だな」

「本当のことだ。塩の味がわかる御仁は仕事がデキるんだよ。まあ、これを食ってみてくれって」


 羊剛は金と螺鈿が意匠された大膳から、ひとつの皿を魯達に渡した。

 魯達は不審げに、皿をいろんな方向からじろじろと眺める。


「なんだ、この食い物は。米を固めて……海苔を巻いてあるのか?」

「おう、オニギリと言ってな。米を手でこう、握るらしい。この料理には塩が欠かせない。この吉兆楼でオニギリを出すってんで、ここの厨で働く香織こうしょくって娘が、胡蝶に掛け合ってくれてな。俺のところからオニギリに使う塩を買ってくれることになった」


 以前から吉兆楼と取引をしたかった羊剛にとっては、願ってもない機会だった。


 魯達が大きな目をさらに大きくする。

香織こうしょくだと?! そういえば、香織が厨で働くことになったって少し前に杏々しんしんが言ってたな。そうか、香織が作った物なら美味いにちがいない」


 不審げな表情はどこへやら、魯達はおにぎりを口に入れた。口の大きい魯達の一口におにぎりの半分が入り、中の具が見えた。

 じっくりと噛みしめていた魯達がやがて唸った。


「……美味い」

「だろ?」

「しょっぱいがしょっぱすぎない絶妙な塩加減、海苔の香ばしさ、そして中に入っているコレだ、この甘いくせにちゃんと米の美味さを引き立てているコレ!」

「それは、佃煮っていうんだと」

「佃煮?」

「どれ、わしにも一つくれぬかの」


 羊剛が渡した皿から、栄元もおにぎりを一つ取って、上品に口に運んだ。

 もしゃもしゃと顔全体で食べているような栄元の表情が、ぱあっと明るくなる。


「美味いのう。こんな食べ物は初めて食べたが、なぜか懐かしい味じゃ。塩気があるで、おかずもいらぬ。中には……わしのオニギリには、かつお節が入っておるが、これも美味い。かつお節をこのように米といっしょに食すとは、斬新な組み合わせじゃ」

「だろ、美味いだろ、オニギリ。香織の提案で品書きに載せたらしい。お試しだって言ってたが、これは人気が出ると思わないか」

「おう、確実だな。これからは吉兆楼に寄ったら、俺様は必ずオニギリを食う!


 豪語して、魯達はぺろりと残りのオニギリも平らげた。


「あーあ、魯達が食っちまったから、またオニギリを注文するか。おーい、誰かいるか!」


 羊剛が大きく鈴を鳴らすと、仙界が描かれた襖がすう、と開いた。


「お呼びでしょうか」


 三人は、思わず息を呑んだ。

 仙女かと見紛うばかりの美女が、そこにいた。


 白い袍に、空色の紗上衣に銀色の帯が光る。

 高く結い上げた髪には、瞳の色と同じ紫水晶の連なりが揺れる。薄い化粧が、かえって滑らかに透きとおる肌の美しさや端整な顔立ちを際立たせた。


 絢爛ではない、むしろ妓楼においては控えめにすら見えるその姿は、まるで天から舞い降りた天女のように輝いている。

 それは、纏っている者の内側から発せられる生来の輝きだろう。


 惚けたように見惚れていた魯達と羊剛がそろって声を上げた。


「「香織こうしょく?!」」


「お久しぶりです、魯達様。羊剛様、この前は突然の申し出をお受けいただき、ありがとうございました。おかげさまで、こうして吉兆楼のおにぎりが、なんとかお客様にお届けできるようになりました」


 深々と香織が頭を垂れると、しゃらりと涼やかな音とともに簪が揺れる。


「おめえ、妓女になったのか? やっぱりその器量は胡蝶が放っておかなかったか」

「香織、耀藍様の入城行列、見なかったのか?」


 一瞬間があって、しかしすぐに香織は、胡蝶がお客にいつもそうするように微笑んだ。


「はい、見ませんでした。今日は入城の儀のために胡蝶様と三姫は王城へ召されています。わたしは留守役なので、ずっと吉兆楼におりました」

「留守役か……なんだ、おめえがここで妓女になったのなら、ずっと指名しようと思ったのによ」


 口をとがらせた魯達に、香織は艶やかに笑んだ。


「ありがとうございます。思えば、魯達様が吉兆楼にわたしを連れてきてくださったんですよね。あのとき魯達様と出会ってなかったから、こうしておにぎりを吉兆楼で出すこともできませんでした」


 香織は瓶子へいしをかたむけ、魯達の大杯を満たしていく。


「おう、そういえばオニギリってやつ、最高だったぜ。前におめえが作った『ぽていとちっぷす』もまた食ってみたいが、オニギリはとりあえず吉兆楼に寄ったらぜったい食うことにする」

「ありがとうございます」

「な? 香織、オニギリはぜったいウケるって俺様が言っただろ? 魯達がこんなに気に入ってるんだ、まちがいねえ」

「ふふ、では、羊剛様にはまた塩をお願いしなくちゃですね」

「あのオニギリなるものは、そなたの故郷の味かのう? どうも、呉陽国の御人ではないとお見受けするが」

「故郷の味……」


 前世のことを思い浮かべる。

 香織が母に作ってもらったおにぎり。香織が夫や子どもたちに作ったおにぎり。


「そうですね、たしかに故郷の味です」

「ほう。商いをしていて、それなりに異国にも行ったつもりじゃったが、未知の味じゃった。世界はまだまだ広いのう。いずれの国の食べ物か……」

「ま、まあ栄元様も羊剛様も、おひとつ」


 香織は曖昧に微笑んで、羊剛と栄元の杯にも酒を注いでいく。


「おう香織、おめえも飲め」


 魯達に差し出された杯を、香織は懐に差していた扇子を広げて優雅に受け取った。

「ありがとうございます。でも、留守役なので御遠慮しますわ。その代わり、何か余興はいかがですか?」


 すると、そうじゃ、と栄元が膝を打った。


「近頃ひいきにしている旅の楽士を連れてきておるのじゃ。今宵は三姫がおらぬと聞いていたのでな。その音に合わせて、香織殿にはひとさし舞ってもらえまいか」

「おう、それはいい」

「香織、舞いなんか舞えるのか?」

「ええと、まあ、ほんのたしなみ程度ですが……」

「だいじょうぶかぁ?」

 不安そうな羊剛の隣で、栄元が手を打ち鳴らした。

「お入り!」


 すると、続きの間の襖がスッと開いて、若い男女が進み出てきた。


「おそれながら、一曲」


 青年が笛をかまえ、妙齢の女が二胡の弓を動かした。

 弦の上を弓が滑ると、ゆるやかな春の川の流れのような音色が流れる。

 笛の音が重なると、えも言われない旋律になった。


 それは柔らかで優しく、なぜか哀しさを誘う旋律。


「おう、これは……」

 魯達はうっとりと目を閉じる。

「聞いたことない音色だが、素晴らしいな」

 羊剛も低い声でうなずく。

「商いの途中で出会いました一座の花形を、しばらく借り受けられることになってのう。食客として屋敷に居てもらっておるのじゃ」

 栄元が得意そうに言った。


 香織の肩がわずかに震えたことには、誰も気付いていない。

(この曲、わたし、知ってる……)


 冷たい汗が出てきた。記憶の渦が香織を捉えようとしている。頭の芯が痛み始めた。


「……く、香織こうしょく!」


 ハッと顔を上げると、羊剛の小さな目が不安そうに香織を見ていた。


「だいじょうぶか? 顔色が真っ青だが」

「い、いえ、だいじょうぶです」

「無理すんな。慣れないことはしなくていい」

「――いいえ、舞わせてください」


 すっ、と立ち上がった香織は、楽士たちの横に立ち、手を翻した。


 柔らかい音色に合わせて自然と体が動く。

 鳥のように蝶のように、香織が舞うたび、音色に物語が生まれていく。


(記憶にも、現実にも、負けない)


 前世、織田川香織だったときも、どんなに辛くても現実を投げ出さなかったように。


(わたしは、わたしの場所で戦う。立派に入城していった耀藍様に、恥ずかしくないように)



 もう会えないけれど、想い想われた人にふさわしい自分でありたい。

 その願いが香織から記憶への恐怖を祓う。

 遠い記憶に身を任せて、手が優美に弧を描き、足が進む。



 一心不乱に舞う香織に、三人の上客はすっかり目を奪われていた。


「こりゃすごいな……」

「まさか、香織がこんなに舞いの上手だとは」

「今頃、王城でも胡蝶と三姫が歌舞を披露しているじゃろうが、それに引けを取らない舞いじゃて」


 誰もが憧れる、吉兆楼最上階の座敷。

 その場所にふさわしい音色と舞いに、座敷で控えている妓女たちも、階下の客や妓女たちも、しばし酔いしれた。



 だから、誰も気付かなかった。

 夢幻のごとき音色を奏でる楽士たちが香織にじっと目を注ぎ、意味深に目配せ合っていたことを――。







 ほどなく、吉兆楼で出されるようになった『おにぎり』の噂は建安中に広がった。

 そして、その『おにぎり』は、妓楼に行ったことなどない庶民にも食べたことがある者がいるとわかり、どこで食べられるんだ、作っているのは誰だと、ちょっとした騒ぎになった。

 そして浮上したのは――。


 おそうざい食堂の、香織こうしょく


 近所の人たちにお昼を作るための食堂は、今や評判を聞いてやってくる人々や芭帝国からの貧しき避難民にまで、広く食事を提供する。

 最低限の代金は取るが、ほとんど無償で料理を出しているにもかかわらず、食材は近所の人たちの持ちよりと、料理人が自ら買う物でまかなわれている。


 その料理はけっして豪勢ではないが、素朴で温かい滋味にあふれているという。


 その味と、香織という料理人の優しさに心打たれた人々が、この頃では彼女をこう呼ぶという。


 聖厨師せいちゅうし、と。


 聖厨師香織の名は、おにぎりの噂と共に建安中を駆けめぐった。

 



【第二章 おわり】




*    *    *



 読者様へ


 いつも読みにきてくださり、ほんとうに、ほんとうにありがとうございますm(__)m

 おかげさまで、『異世界おそうざい食堂へようこそ!』は第二章を終えることができました。

 

 長い物語なので、タイトルで興味を持った話を読むもよし、気に入ったキャラクターが出てくる話だけ読むもよし、お好みの楽しみ方をしていただければ、作者としてこんなにうれしいことはありません。


 第三章にて完結予定です。

 第三章準備までちょっと時間がかかりそうですが、スタートしましたらぜひ!また読みにきてください!


 年末年始、みなさまがお元気で過ごされますよう、お祈り申し上げます。




 桂真琴

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