第百十話 お土産の乾酪の行方
「ずいぶんたくさんお土産を持って帰って来たねえ」
「いったい、何を持って帰ってきたんだい?」
「
「乾酪? ああ! 山の民が食す発酵食品だな? 余もあれは好物だ! さすが幼馴染だな!」
「おまえに持って帰ってきたわけじゃない」
「へ?」
「が、おまえにもやる」
「当たり前だろ」
亮賢は口をとがらせる。やや童顔なので、すねた顔をすると少年のようだ。
「そんなにたくさんあるんだから余だって食べたいぞ。だいたい、乾酪は正式な証書を持った商人でなくば商えないのだからな! て、べつに君は商わないか」
「商いはしないが、オレに三日だけ時間をくれ」
「時間ならいくらでもあげるけど」
「そうしたらすぐに入城する」
「なんだって?」
亮賢は玉座から腰を浮かせた。
「どういうこと?」
「入城の儀を早めたい。姉上が報告している手はず通りに進めてくれ」
「うーん……でも、なんか紅蘭から、君の悩みが解決しないかもしれないから、もう少し延期してくれって打診があったんだけど」
(姉上……)
居丈高で妖艶な姉の姿を思い浮かべ、耀藍はふと笑んだ。
「いいのだ、亮賢。芭帝国との交渉には、正式な蔡術師が赴いたほうがいいだろう」
「芭帝国との交渉が、五日後に決まったのでございます」
「そういうことだ。三日の後に、オレは蔡家より出発する。そのように取り計らってくれ」
亮賢はうーん、と唸っていたが、玉座の上で居ずまいを正した。
「まあ、君が言うんならわかったよ。余は君が王城へ入ってくれるのを心待ちにしているからね。あ、ヘンな意味じゃないよ? 僕の性癖はいたって普通だし、君と結婚するのは余ではないからね」
「知っとるわボケっ」
耀藍と亮賢のやり取りを見て、鴻樹が呆れたように苦笑した。
「では入城は三日の後、つまり四日後ですね? 五日後には芭帝国との第一回目の交渉があります。なかなかキツイ予定組みですが、だいじょうぶですか耀藍?」
「だいじょうぶだ! 鴻樹、亮賢に仔細の報告を頼む!」
耀藍は大きな荷袋をふたつ担いで、謁見の間を走り出た。
「ウソでしょう?! 走った……あの荷袋、乾酪がぎゅうぎゅうに詰まってるんですよ? かなり重いんですよ?」
「耀藍は細腰だけど、ああ見えてけっこう力持ちだからねえ。優男に見えて実は筋肉男、フラフラしているように見えて実は一途。あの落差が女にモテモテな理由だよねえ。しかも本人無自覚だし、絶世の美男だし」
亮賢は玉座から鴻樹を手招いた。
鴻樹は一礼して、玉座の傍へ寄る。
「我らが留守の間に、何かありましたか?」
「耀藍には僕の末の妹の佳蓮が輿入れすることになっているんだ」
「は、存じております」
「蔡術師が王城へ入るときは、王家の末の女子を輿入れさせる、というのがしきたりだからね」
「は、存じております」
「でもさ、もしかしたら、佳蓮が末じゃないかもしれないんだよね」
「は、存じて……って、ええ?!」
鴻樹が思わず声を上げ、周囲を見回して咳払いする。
「どういうことでございますかっ?」
「鴻樹も知っている通り、父上は有名な好色家だ。多くの妃嬪を抱えておられた。が、妃嬪の数のわりには子が少なかった」
「はあ……」
「これは、父上の策略だ」
「は?」
「後宮政治から貴族に政を乗っ取られないための策略だよ。妃嬪が子を産めばその外戚として貴族がしゃしゃり出てくるだろう」
「はあ、あるほど」
「ああ見えて父上は政に関しては公私混同しない。すっごい女好きだけどね。余などはウンザリするがな。あんなしょっちゅう女の元に行ったり文を書いたり贈り物をしたり面倒くさいし、いったい一日に何回閨に入っているんだか知らぬが体力が――」
「……こほん。王よ、それで佳蓮様が末の王女ではないというのは、どういうことです?」
「まあそんあわけで、父上の子は少ないから数えやすい。それで今回、蔡術師との婚儀を整えるためにいろいろ調べていて、わかったんだ。父上にはもう一人、身分の低い女に生ませた女の子がいるらしい」
「なるほど……」
「鴻樹はどう思う?」
いつも穏やかな笑みを崩さない鴻樹だが、少し困ったように眉を寄せた。
「そうですね……数十年ぶりの蔡術師ですからね、耀藍様は。そこへ佳蓮様が嫁がれることを快く思わない宮廷の派閥が、その女の子を担ぎ出さなければよいのですが」
「そうそうそう、そこなんだよ」
亮賢はいっそう声を低めた。
「余の考えとしては、このまま予定通り、耀藍には佳蓮を嫁がせるつもりだ。佳蓮は小さい時から、耀藍に憧れているからね」
「そうなのですか?」
「そうさ。耀藍は無自覚の人たらしなんだよ」
「はあ、罪な御方ですね」
「このことは余と、調べ物を共にした者数名しか知らない。もちろん固く口止めしてある。余がこれ以上調べるのは目立つから、鴻樹にその女の子のことを調べてほしい。よいか?」
「御意。芭帝国との交渉と共に進めます」
鴻樹は深く一礼した。
♢
建安、北の市場。
久しぶりに仕入れられた荷を、
「耀藍様か?! どうしたんだ、その荷は!」
「マニ族の集落に行ってきた。で、乾酪をたくさん購ってきたのだ」
「マニ族で乾酪を? まさか、これ全部乾酪なのか?」
「そうだ。中へ入るぞ」
耀藍は羊剛の店に入り、荷を下ろした。
「そなたこそ、塩は購えたのか」
「おう。なんでも、国境付近に、呉陽国の要人がおしのびで来ていたようでな。少ないが精鋭の兵を連れていたらしい。賊もそれを見て鳴りを潜めていたんだろう」
「そうか、よかった」
「ああん?」
「いや、こっちのことだ。それより、そなたに相談があるのだ」
「なんだい、改まって。ん? そういえば、今日は香織はどうしたんだ?」
耀藍はそれには答えず、下ろした荷袋を軽く叩いた。
「これは乾酪だ」
「さっき聞いたが、本当にこれ全部か」
羊剛はあきれたような、感心したような顔で耀藍を見上げた。耀藍が生真面目にコクリと頷く。
「ああ。これをそなたが仕入れたことにして、ここで売ってくれぬか」
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