第百九話 おそうざい食堂をやらずに寝てなんかいられません! 


「か、華老師かせんせい! えっと、あのその……ありがとうございます!」

「ん? なにやら顔が赤いが……ほんとうに食堂を開いても大丈夫かの?」

 心配そうに首をかしげる華老師に、香織こうしょくはぶんぶんと強く頷いた。

「それは大丈夫です! 食堂をやらない方が気になって休めないと思うので」


 自分が作る料理を心待ちにしてくれる人がいる――そう思うと、いても立ってもいられない。

 前世では風邪をひいて熱を出して誰も助けてくれなくても、キッチンに立てた。

 助けてくれる人がたくさんいるこの状況で料理ができないわけがない。


「ほんとに大丈夫なのか? 青嵐せいらんもすごく心配してるぞ」


 小英しょうえい庭院にわを指す。

 青嵐は庭院の隅で黙々と薪を割っていた。


「あいつ、言葉は少ないけど、香織のことすごい心配しててさ。食堂ができないようにいっそ準備の手伝いしない方がいいかとか、悩んでたぞ」

「そ、そうなの?!」


 おそうざい食堂へ訪れるお客さんが増えてから、卓子や椅子を出したり、薪を用意してもらったり、お使いに行ってもらったり、配膳やお会計を手伝ってもらったり、青嵐にはたくさん頼っている。


「青嵐が手伝ってくれないと、困っちゃうな……」

「青嵐、香織はおまえが手伝ってくれない方が倒れちゃうってさ! 頼んだぞ!」


 小英が叫ぶと、青嵐は斧を振る手を止めて頷いた。


「むう、では、青嵐に任せてわしらは行こうか、小英」

「はい、華老師。あ、そういえば、今日は蔡家にも寄るんですよね?」


 蔡家、と聞いて香織の心臓は跳ね上がった。


「おお、そうじゃった。あのフラフラ男がこのところここへ来ないんでな、蔡家の当主様への薬湯を届けねばならんな」

「もう、耀藍様の神出鬼没はいつものことだけどさ。しばらくここに居座ってたくせ、急にどうしちゃったんだろう」

「なんじゃ小英、さみしいのか」

「ま、まさか! 俺はただ、香織こうしょくがご飯の算段とか、困るんじゃないかと思って……なっ、香織!」

「えっ? ええ、そ、そうね……」

「蔡家で耀藍様に会ったら、香織が会いたがってるって言っておくから!」

「ええ?! そ、そんなこと言わなくていいからね小英!」


 慌てる香織に手を振って、華老師と小英は往診へ出かけて行った。

「もう、小英ったら……」


 そこへ入れ違いに、勇史ゆうし鈴々りんりんが入ってきた。

「おはよう、香織!」

「おはよう、二人とも、一仕事してきたんでしょう? 何か食べる?」


 前世よりは温かいが、こちらの季節は秋。

 秋になると農作物の収穫やそれに伴う雑用が増えるので、勇史も鈴々も農作業や雑用を朝から手伝うのだという。


 香織が温かい汁椀を持ってくると、二人はうれしそうに両手で椀を包んで大事そうに飲み始めた。

 それを皮切りに、おそうざい食堂には、今日もたくさんの人々がやってくる。


「おはよう」

「おはよう、香織!」

「おれも汁椀をひとつ! お、今日の汁椀は団子が入っているのか」


 香織は汁椀を渡しながら言う。

「これは、すいとん、っていう食べ物です」


 少し前、耀藍と一緒に市場で買った小麦で作ったのだ。 

 汁椀はお代をちょうだいしていないので、余った食材で作るのが基本だ。けれど野菜だけだと味気ない。

 そこで思い出したのが、すいとんだ。

 すいとんなら少ない小麦で嵩増しできて、振る舞いやすい。


「お団子とはちょっとちがうんですけど、このお醤油味の汁によく合うんですよ」

「どれ……おお、こりゃ美味い! もちもちしてる! 出汁がよく染みてんなあ」


 後から入ってきた大工の男たちと、野菜や着物を売る女たちが羨ましそうに汁椀を眺める。

「いいねえ、そのすいとんって汁椀、早く食べたい! さっと仕事を終わらせて、はやくおそうざい食堂に戻ってこなくちゃね! 香織、これ、今朝採れた白菜だよ。あんたの泡菜あわな、なかなかだったからまた作っておくれよ」

「ほんとうですか? じゃあ、この白菜でまた漬けますね!」


 大工の男たちは女房に持たされた、と香織に青菜の束を渡す。

「わしらは後で寄るわ。これっぽっちしか渡せねえが、何かの足しにしてくれ」

「そんな! 青菜は必ず使う食材だからとても助かりますよ! 奥さんによろしく言ってくださいね!」


 若い大工衆は鼻をくんくんさせてうっとりしている。

「いい匂いがしてるなあ。今日の献立はなんだい? 昼が待ちきれねえ」


 仕事の前に汁椀を飲んで行く人、昼に寄っていくからとささやかな食材を置いていってくれる人、様々な近所の人々がおそうざい食堂にやってくる。


「はーい、いつもありがとうございます!


 戻った記憶のことも耀藍のこともしばし忘れて、香織は厨と庭院を行ったり来たり休む間もなく動き回った。

 おそうざい食堂は、今日も大繁盛だ。





 無人となっている検問所の敷地内。

 野営の天幕を張っていた耀藍たちの元に使者が帰ってきたのは、次の日だった。


「意外に早かったな」

「これは、やはり内乱の収集がつかずに芭帝国も困っているということでしょう」


 鴻樹こうきは、兵が持って帰った封書をすぐに検めた。


「耀藍、芭帝国が交渉に応じるそうです」

「よし。鴻樹、やはりこの検問所を使うよな?」

「そうですね。ここはマニ族が管理している検問所ですし、マニ族にとっては生活領地からは離れているので、交渉の場としては安心かと」

「うむ。では、羊明尚殿にその旨、さっそく伝えねばな。日時は?」

「五日後、と指定しました」

「亮賢には?」

「お知らせしましょう。耀藍のおかげで、建安との行き来はすぐできるようですし」


 鴻樹が意味ありげに笑む。


「術師とは、すごいものです。王が耀藍を切り札に、とおっしゃった意味がよくわからいました」

「切り札、か。ならば交渉を始める前に、オレが正式に入城した後がいいだろうな」

「入城式はいつの予定だったのです?」

「一週間後だったはずだが、早めてもらおう」

「そうですね。では、そのように進めます。そのご報告も含め、我らは一旦、建安へ引き上げましょう」

「そ、そうだな……」

「どうしたんです、耀藍?」

「いや、なんでもない」


 建安に帰り、持ち帰った乾酪を香織に渡し、乾酪火鍋を香織と食べたい。

 しかし耀藍の中では、別れの挨拶はすませたつもりなので、会えばいっそう辛くなって苦しいことはわかりきっている。


(会いたい……いや、だが、ううむ……オレはどうするべきなんだ!!)


 鴻樹と一緒に王城へ戻ったときも、まだそのことを考え続けている耀藍だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る